5.6 鉄道車両・システムに関する年表

明治28年
1895.2.1 
京都電気鉄道、京都塩小路・伏見間にて日本初の電車運転開始
・・軌間は1067ミリであり、電圧は550Vである
 
明治30年
1897 
日本鉄道㈱、Bt4/6型蒸気機関車を米・ボールドウィン社より輸入
・・日本鉄道が国有化されたのち9700型に改称される
・・車軸配置は前輪1軸、動輪4軸、従輪1軸である。従輪つきの機関車が発注された理由は日本鉄道においては低質な常磐炭を使用したため広い火室を必要としたためであった。
ボールドウィン社ではこれを機に前輪1軸・動輪4軸・従輪1軸の蒸気機関車の愛称につき、’日本で最も高位にあるとされる人物’(=天皇・帝(みかど))にちなみ’mikado型’と命名し宣伝した。
のちにこの車軸配置を持つ機関車は世界的にミカド型として通称されるようになる
 
明治32年
1899.3
梅鉢車両、創業 (大阪府堺市並松町)
1899.5.25 
山陽鉄道、京都-三田尻(現・防府)間の列車に食堂車連結、営業開始
 
明治33年
1900.4
山陽鉄道、1等寝台車 連結開始 
 
明治37年
1904.9.21 
京浜電気鉄道、日本初のボギー電車(1~10号)採用
・・車体中央には6組のボックスシートがあったが2年後にロングシート化 
 
明治43年
1910.9.30国有鉄道、客車に重量記号(ナ、オ、ス、マなど)使用開始
1910.12国有鉄道(北海道)、米国・ラッセル社より雪かき車を購入
・・これ以降、わが国では雪かき車のことを’ラッセル車’と呼ぶようになる
 
明治45年・大正1年
1912国有鉄道、東海道線箱根越え区間(現・御殿場線)にてマレー型蒸気機関車(シリンダが計4つある)を使用
・・当時アメリカにて流行していたので日本でも採用した。しかし動輪の摩耗が激しく長くは使用されなかった
 
大正7年
1919~20頃 
山手線・中央線、架線をカテナリー式にあらためパンタグラフ集電化される
・・従来は複架線方式でありポール集電であった
 
大正9年
1920.12.19田中車輛工場、操業開始 (兵庫県尼崎市)
・・尼崎市松島において、従来の田中鉄工所を改称しj鉄道車両に関する製造事業を開始
・・現在この敷地は尼崎市の下水道浄化施設の一部となり、往時の面影はない
 
大正11年
1922.10
神戸市電気局、日本初の半鋼製電車(G車、181~) 竣工 
1922
田中車輛、阪神電鉄尼崎車庫隣接地(500㎡)に組立工場を設置(田町工場)
・・当初は受注に苦労し、ようやく阪神電鉄より311号車となる電車の製造を受注
 
大正12年
1923 
鉄道省、新製電車の車体幅を110ミリひろげ2700ミリに拡幅
・・モハ10系(木造車)が該当
・・2700ミリは一時的なものであり1926年には2805ミリに拡幅される
 
大正13年
1924 
鉄道省、山手線、架線電圧を1200Vに昇圧
 
大正14年
1925.7 
鉄道省、全車両の連結器を自動連結器に交換
・・これより前は’フック式連結器’といって’くさり’を隣の車両の’フック’にひっかける方式のものが採用されていた。車両の解結時に作業人が車両間に入り込むので(間違って車両が動き出したりした時など)負傷者がたえなかった
1925 
鉄道省、木造車体の電車製作の打ち切りを決定
・・翌年度より新製電車を鋼製車とすることになった(モハ30系がそれに該当)
 
大正15年・昭和元年
1926.6.21 
阪神急行電鉄、600系電車 竣工 (全鋼製車体を採用) 
1926.9.28 
鉄道省、京浜線においてドアエンジン装着車(木造車)試用開始
・・ドアエンジンの装備完了は京浜線が1928年、山手線が1930年、中央線が1932年である
1926 
鉄道省、新製電車の車体幅を2805ミリとする(モハ30系が該当)
・・この2.8mの車体幅がしばらく国鉄車両の標準となる 
 
昭和2年
1927.12.15
新京阪鉄道、100系電車 竣工 (P-6ともよばれた) 
1927.12 
田中車輛(現・近畿車輛)、自動開閉扉(ドアエンジン)を備えた車両(5両)を新造
・・この車両は鉄道省・山手線に投入された
・・自動扉の採用により客室扉が車端に位置している必要がなくなった。以降の時代に製造された電車は扉が車体中央よりに位置するものが多くなる
 
昭和3年
1928.8.1 
日本無軌条電車、花屋敷(現・兵庫県川西市)―新花屋敷(現・兵庫県宝塚市)(1.3Km) 開業
・・日本初の無軌条電車(トロリーバス)である。のち1932年に廃止された
 
昭和4年
1929 
鉄道省、スハ32系客車 竣工
・・製造費は1両13500円ほどであったという
 (鉄道ピクトリアル1964年8月号による)
1929
鉄道省、新製電車の屋根をダブルルーフを改め丸屋根となる
・・モハ31系がこれに該当
 
昭和5年
1930.10
鉄道省、モハ32系電車 竣工
・・湘南電鉄が同年4月に横須賀方面に開業したのをうけ、対抗上横須賀線用として新調された
・・1931.4.1より営業運転開始
・・非電動車は20mの車長が採用されたが電動車は当時台枠の強度に自信が持てなかったため17mとした
 
昭和6年
1931.1 
鉄道省、スハ30000型客車 竣工
・・丸屋根をもつ車両となる
・・これ以前の車両はモニタールーフ(二段屋根)となっていた
 
昭和7年
1932 
鉄道省、EF53型電気機関車 竣工
・・当時の最良の部品を採用して製造された優秀機であり故障が少なかったといわれる。一定の耐用年数に達しても状態がよかったので歯数比を変更して(同時にEF59に改称)山陽本線の瀬野・八本松間の補機として再用された
 
昭和8年
1933.12 
鉄道省、モハ42型電車 竣工
・・両運転台の車両である 
 
昭和9年
1934.1.31 
鉄道省、モハ43型電車 営業運転開始
・・モハ43型はモハ42型を片運転台にした車両である
・・吹田―須磨間の電化は7月であるのでそれまでの一時期、モハ42、43型は三鷹電車区に配属され中央線の臨時列車に使用されている 
1934.3.19
京阪電気鉄道、60型電車 竣工
・・日本最初の連接車である
・・1934.4.2より’びわこ’号(天満橋‐浜大津)として営業運転開始 

昭和10年
1935.9.6日本鉄道自動車㈱、設立 (本社工場:東京市品川)
1935.12.26田中車輛工場(個人経営)、法人化して田中車輛合名会社となる
 
昭和11年
1936.3.31
鉄道省、モハ52系流線型電車 竣工
・・同年の5月13日より営業運転開始 
1936.3.31 
鉄道省、EF55型流線型電気機関車 竣工
1936.5.25
鉄道省、京浜東北線電車に密着連結器装着 
  
昭和12年
1937.3.3
名古屋鉄道、(西部線用)850系流線型電車、竣工
・・1935年に名岐・愛電合併により名鉄が発足したが当時車両の管理は一元化されておらず、合併前と同じ状況であった。東部線(旧・愛電線)に流線型電車3400系が設計されたことを受け、(対抗上)西部線用の新車についても急きょ設計変更をおこない流線型車両を登場させることになった。ほぼ同時デビューの3400系(下記)に比べて造形美の点で少し劣ったものとなっているのはこうした’急いだ’状況が起因している
・・なお塗装はマルーンであり、前面幕板部に3本の白ラインの装飾塗装があったため’なまず’という愛称をもつことになった
1937.3.16 
名古屋鉄道、(東部線用)34O0系流線型電車、竣工
・・この電車はのちに’いもむし’というあだ名がつけられた 
1937.9.13 
鉄道省、EF56型電気機関車 竣工 

昭和16年
1941.7.4 
鉄道省、山手線に両開扉試作車(サハ75021、17m車)営業運転開始
・・従来の車両の扉は1100ミリが標準であったがこの車両は1300ミリでありラッシュ時に効果が期待された。しかし戦時中でもあり増備されることなかった。国有鉄道において本格的に両開扉車が使用開始となるのは1957年(101系)以降である
 
昭和19年
1944.1
日本車輌、のちに南海C10001型となる蒸気機関車を製造
・・同車は中国海南島にあった石原産業の燐鉱山鉄道向けに製造されたが戦局の悪化により船積できず、三重県四日市の同社の専用線に工員輸送列車などに使用された。戦後用途を失い放置されていたのを近畿日本鉄道が目をつけ、当時戦時統合され近鉄の一部であった(現・南海)高野線の列車牽引用にあてられることになった
・・基本設計は樺太鉄道60型蒸気機関車をベースにしたため8620型に近い2コブのやや古典的なスタイルであった
・・のち、タンク機に改造され片上鉄道(C13型と呼称)にて活躍した
1944.1
中島飛行機㈱、宇都宮工場 操業開始
・・陸軍の戦闘機工場として建設された。戦後は分社化のうえ鉄道車両製造に業態変換し宇都宮車輌㈱となり、その後富士重工業㈱宇都宮車両工場となる
1944.6.2
山手線、モハ63系電車 運転開始
・・戦時設計といえる電車であった
 ①側窓を3段にする(小型のガラスで済ますため)
 ②座席を半減する(3人掛けの座席を8か所ほど設置)
 ③天井板の省略(天井の梁がむき出し)
 ④車体を切妻構造とする(製造工程の簡素化)
 ⑤側扉を4か所設置(戦前は2カ所または3か所が標準であった)
 ⑥通風器を円筒形のものに変更して7個程度に減らす
・・このうち④⑤⑥についてはのち戦後の国鉄電車の標準仕様として定着した
・・また⑤については現在では違和感をもつ人はいないといえるまでになった
  
昭和22年
1947 
運輸省、私鉄電車の標準規格を制定
・・以下の4種を定め、そのいずれかに基づいた電車につき優先的に製造許可を与えるとした
 ●A型・・・20m級(近鉄2000系が唯一の例といわれる)
 ●A’型・・17m級(このタイプが大多数をしめた)
 ●B型・・・15m級
 ●B’型・・15m級(車体幅の狭いもの、近鉄モ600型や阪急宝塚線550型)
・・実際は各鉄道会社により若干の寸法の修正が施され完全なかたちの実現はできなかった
 
昭和23年
1948.1.17 
国有鉄道、C62型蒸気機関車、落成 

昭和24年
1949.8.13 
小田急電鉄、1910型特急車、営業運転開始 
1949 
国鉄、全国の車両工場に おいて木造客車の鋼体化工事を開始
・・当時国有鉄道に在籍していた客車の半数(約5500両)が経年20年以上の木造車であったといわれている
・・方法としては古い雑型客車の台枠をを4つに切断し、それを1919年以降に製造された17m級標準型木造客車の主台枠につなぐという方法がとられた。(つまり5両の木造客車をつぶして4両の20m客車をつくる)
・・こうして誕生したのがオハ61系客車である。
・・鋼体化工事は1957年ごろには完了した
 
昭和25年
1950.1.30 
国鉄、モハ80系直流電車 落成 
1950.10 
国鉄、モハ42系電車のうち(戦時改造されず)2扉で残った車両を(京阪神地区より)横須賀線に転属させる
・・代わりに首都圏から3扉ロングシートのモハ40系が京阪神地区に転属されたがこの措置には(京阪神地区側では)不満がくすぶったという 
・・横須賀線に移ったモハ42系は翌年に登場するモハ70系(3扉車)と混結するため、のち主電動機の出力増強(1953年にモハ53系に改称)が行われた
1950
国鉄、リクライニングシート車(スロ60)、使用開始
・・占領軍の指示による
1950
片上鉄道、オープンデッキ客車(ホハフ2000形) 使用開始
 
昭和26年
1951.2.1 
小田急電鉄、デハ1700系 営業運転開始
・・3両固定編成であり、中間車サハ1750型は(非常扉を除き)扉のない車両(出入りは両端の制御電動車よりおこなう)となった
・・また側窓は1100ミリ幅の広いものとなったが室内の座席ピッチとは全く合っていない独特の設計となった。小田急の斬新性がこのころすでに姿をあらわしていた
1951.3
京浜急行電鉄、500形電車 運転開始
・・ハイキング特急に使用するため同社戦後初のクロスシート車として製造
(ただしクロスシートは2か所ある扉間の中央部6ボックスのみである)
1951.2.5 
国鉄、モハ70系直流電車 落成 
1951.9.12 
国鉄、D60型蒸気機関車 落成
・・D50型蒸気機関車の従輪を2軸化して1軸あたり軸重を減らしの亜幹線でも使用できるようにした
1951頃 
この頃から路面電車の集電装置がポールからビューゲルやパンタグラフに変わり始める
・・これにより車掌が車両後部にいる必要がなくなり、中央口に乗車口をもち左右が非対称となった車両が増える 
 
昭和27年
1952.2.10 
国鉄、流線形改造のEF58が落成
・・初期のEF58はデッキ式であった 
1952.5.20 
東京都交通局、トロリーバス(無軌条電車) 営業運転開始 
1952 
国鉄、70系モハ71形 竣工
・・中央東線は1931年に甲府まで電化されていたが、トンネル区間は盤下げをしないままトロリー線が張られたのでトロリー線の高さが低く一般の電車は入線できなかった。そのため当該区間用に屋根を低くした車両が製作された。それまで電機牽引列車のみの高尾以西に電車列車が入るようになった 
1952頃
この頃私鉄においては2両編成から3連以上の長編成化する傾向がでてきて制御車が独立して増備されるようになった
(近鉄のク6561型やク1560型、京成のクハ2100型、東急の3850型等)
・・また中小私鉄においてはディーゼル化時代に入り電化はほとんどおこなわれなくなった

昭和28年
1953 
国鉄、キハ44100型、電気式ディーゼル車 運転開始
・・3連5編成が製造された
・・鹿児島本線の門司港―久留米間の快速列車に使用された
・・電気式はあまり結果が良くなく、こののちは液体式が増備されていくことになった。この系列も液体式に改造された
 
昭和29年
1954.7.21
国鉄、直流電気機関車EH10型 落成 
1954.8.13 
阪神電気鉄道、3011型2扉クロスシート車 営業運転開始 
  
昭和30年
1955.3
近畿日本鉄道、800系、竣工
・・当初3両編成であった
・・1955.4より営業運転開始(急行列車)
・・1958.10に簡易運転台つきのク710を追加し4両編成となった
1955.4.1 
小田急電鉄、2300系特急車、営業運転開始 
1955.11.29
国鉄、阪和線、70系電車 営業運転開始
・・当時は緑1号とクリーム3号に塗られていて横須賀色ではなかった 
1955 
国鉄、客車・電車の車体色にぶどう色1号を廃止し、同色より少し明るめのぶどう色2号を採用
・・ぶどう色と称しながら実際のぶどうの色とは少し異なり、こげ茶色に近い
・・同年登場の10系客車において採用開始

昭和31年
1956.11 
名古屋市交通局、地下鉄東山線用試作車(101号車) 竣工
・・車体はボディマウント構造となる
・・塗色は名古屋出身の画家である杉本健吉(1905~2004)に依頼されウィンザーイエローとなった。杉本はのちに名鉄パノラマカー(7000系)デビューの時にも同様に色彩選定を依頼されている
1956 
国鉄、C63型蒸気機関車、図面完成
・・国鉄においては線路の規格によって甲線、乙線、丙線、簡易線などにランク分けされていた。当時、甲線においては電化の進展により大型蒸気機関車に余剰が出始め、丙線、簡易線においてはキハ17系ディーゼル車などの新製配置によりC11、C12、C56などの小型機関車があまりだしていた。その一方で中間規格の乙線においてはC58型蒸気機関車が足りないという声があった。そこでC58クラスの蒸気機関車をあらたに設計するはこびとなったのである。ところがDF50型ディーゼル機関車(動輪を6軸としたため軸重が14トンにおさえられ乙線入線可)が近々落成(下記)することになったため、結局C63型蒸気機関車の製造指示はだされることはなく図面の完成のみに終わった
  
昭和32年
1957.3 
国鉄、DF50型ディーゼル機関車 落成
・・電気式のディーゼル機関車である
・・外国のライセンス品を使用したため製造コストが高く大量増備は難しいものがあった
・・外観の面では、前面がわずかに後傾しているが切妻に近く、後ろに続く43系や10系客車に違和感のない好ましいデザインとなった
1957.7.6
小田急電鉄、3000系特急車(SE車) 営業運転開始
1957.9.20 
小田急電鉄3000系、国鉄に貸し出され高速走行試験を実施
・・東海道線 函南―沼津間にて狭軌鉄道最高速度145Km/hを記録 
1957.10.7 
国鉄、ナロ10型軽量2等客車 竣工
1957.10.14
上野公園、園内にて日本初のモノレールを運行開始 
1957.10
近畿日本鉄道、6800系(南大阪線用通勤車) 竣工 
1957 
国鉄、ED70型電気機関車 落成
・・初の量産型交流電機である
・・水銀整流器を使用していたので振動に弱かった

昭和33年
1958.3 
国鉄、ディーゼル機関車DD13型 落成 
1958.4 
札幌市交通局、D1000型路面ディーゼル車 竣工
・・のち、非電化であった区間の電化により1967.10に廃車、車体は700型電車に流用 
1958.4頃
鉄道友の会、第1回ブルーリボン賞に小田急SE車を選定
1958.6 
近畿日本鉄道、10000系特急車(7連1本) 竣工
・・営業運転開始は1958.7.11である 
1958.8.18 
国鉄、電気機関車ED60型、落成 
1958.9.17 
国鉄、特急用電車モハ151系(こだま型) 落成 
1958.10.10
国鉄、急行用直流電車モハ91系(東海型、のちの153系) 竣工 

昭和34年
1959.3.14 
名古屋鉄道、5500系電車 竣工
1959.8.14
国鉄、157系電車、竣工 
1959
羽幌炭砿鉄道、キハ11 運転開始
・・富士重工製のレールバスを1両購入
  
昭和35年
1960.1.14 
国鉄、EF60型直流電気機関車、竣工
1960.3.19 
国鉄、EF30型交直流電気機関車、竣工
・・下関-門司間の関門トンネル用につくられた。塩水による腐食防止のため車体はステンレスを採用
1960.8.27 
神戸電気鉄道、300系クロスシート車、竣工 
1960.9.15 
国鉄、キハ81系特急型ディーゼル車 竣工
・・上野―青森間’はつかり’用として製造された
・・当時の東北線にはタブレットを使用する区間があったため、運転席はモハ151系こだま型のようには高い位置に置くことはできず、あまりスマートな形状に仕上げることはできなかった
・・同年の12月10日より’はつかり’号として運転開始
1960.10.1 
国鉄、401系交直流電車 落成
・・401系は交流50Hz地区用であり、常磐線に投入された 
 
昭和36年
1961.5.16
国鉄、キハ28型ディーゼル車 落成 
1961.5 
名古屋鉄道、7000系’パノラマカー’ 竣工
・・車体の色の選定は杉本健吉(1905~2004)画伯に依頼され、スカーレット色となる。この色の塗装がパノラマカー(7000系)以降の形式にも継承されることとなる 
1961.7.5
南海電気鉄道 20000系’デラックスズームカー’ 営業運転開始
1961.12.28
国鉄、EF70型交流電気機関車 竣工
 
昭和37年
1962.2 
近畿日本鉄道、20000系修学旅行用電車 竣工
・・3両編成5本がつくられた
・・このうち4編成が1989年に廃車され、残る1編成も1990年2月の新・20000系’楽’竣工後休車となり、のち廃車された 
1962.3.31 
国鉄、ディーゼル機関車DD51型 竣工 
1962.5.16 
国鉄、直流電気機関車EF62型 落成 
1962.5 
山陽電気鉄道、日本初のアルミ製の電車(2000系・2512F、3連) 竣工 
1962.5.25 
国鉄、直流電気機関車EF63型 落成 
1962.7.21 
国鉄、451系、471系交直両用急行型電車 落成 
・・451系は交流50Hz地区向け(東北線など)であり、471系は交流60Hz区間向け(北陸線など)である
1962.7.28
国鉄、EF80型交直両用電気機関車、落成
・・常磐線などで使用された
1962.12.30
京王帝都電鉄、井の頭線、3000系ステンレス車 営業運転開始
1962
西武鉄道、501系(2M2T)の一部にサハ2両を組み入れ2M4Tとする
・・加速性能が悪く6年後にとりやめる

昭和38年
1963.3 
国鉄、103系通勤型電車 試作車竣工 
1963.8.4 
京王帝都電鉄、京王線、5000系電車 営業運転開始
・・1964.7.18に昭和39年度のローレル賞受賞(京王としては2年連続の受賞である) 
1963.12.30
国鉄、ED75型交流電気機関車 落成 

昭和39年
1964.5.25 
京阪神急行電鉄、京都線、2800系 竣工
・・1964.6.1より営業運転開始
 
昭和40年
1965.1.14 
国鉄、EF65型直流電気機関車 落成 
1965.7 
名古屋鉄道、8000系ディーゼル車 竣工
・・1965.8.5に営業運転開始
・・下回りは国鉄キハ58系に準じたものとした 
1965.12
~1966.4
京浜急行電鉄、性能別の改番を実施
●もと700系を600(2代)系に改番
 
昭和41年
1966.6.20 
国鉄、DD54型ディーゼル機関車 落成 
1966.10.13
国鉄、DE10型ディーゼル機関車 落成  

昭和42年
1967.2.14 
国鉄、711系交流電車 落成
・・北海道札幌近郊にて運行 
1967.5.27
京浜急行電鉄、扉の開閉の操作を車掌が行うよう変更
・・それまでは、車掌の合図に従い運転手が操作していた
1967.12 
近畿日本鉄道、名古屋線用1810系、竣工
・・1800系にラインデリアを搭載し、1M2Tを基本に設計変更された 
  
昭和43年
1968.3.19 
国鉄、阪和線、旧・阪和電鉄社形車両の運転終了
・・このうち2両は岩手県の松尾鉱業㈱の鉄道線に移る
1968.6 
国鉄、583系交直流寝台兼用電車 竣工
・・交流電化区間は50Hz、60Hz双方に対応 
1968.7 
国鉄、EF66型直流電気機関車 竣工 
1968.12
国鉄、EF81型交直流電気機関車 竣工
1968.12
~1969.9
京浜急行電鉄、500形電車(=1951~)、4扉化
・・台枠を残し車体は解体し、新たに4扉の車体が構築された

昭和45年
1970.3
国鉄、591系電車 落成
・・前頭部はすっきりした優美な造形の車両であった
・・のち1980年秋ごろ解体
1970.12.22
京阪電気鉄道、5000系電車 竣工
・・日本初の5扉通勤車であると同時に京阪初のアルミ車である

昭和46年
1971.7.1 
京阪電気鉄道、3000系特急車 営業運転開始
  
昭和47年
1972.5.23 
京王帝都電鉄、6000系 営業運転開始
・・1991年まで304両が製造された 
1972.11 
近畿日本鉄道、2610系 竣工 
     
昭和49年
1974.12.2 
京浜急行電鉄、私鉄初の12連運転開始 
 
昭和51年
1976.12.21
名古屋鉄道、6000系電車 竣工
・・座席は路線バスほどのやや小型のクロスシート(シートピッチも750ミリと狭い)を配置した。のちロングシート化

昭和53年
1978.6.23
国鉄、宮崎浮上式実験センター リニアモーターカーが時速312Kmを記録
・・このころは一般的な鉄輪式の鉄道では時速300Kmが限界であると考えられていた
1978.12.27
名古屋鉄道、100系豊田線・地下鉄鶴舞線乗入れ用電車 竣工
・・名鉄としては初の20m4扉車となった 
1978.12.27
京浜急行電鉄、デハ800系 営業運転開始
・・のち1979.7.8にローレル賞受賞 
  
昭和54年
1979.5.29 
大阪市営地下鉄、御堂筋線用10系(当時は20系とよばれる) 竣工
・・当初は8両編成であった 
1979.9.12 
国鉄、117系近郊型電車 竣工
・・1980.1.22に営業運転開始 

昭和55年
1980.1.29
大井川鉄道、タイから戻ったC56 44蒸気機関車が営業運転開始
・・キャブの上が扁平化されているのは、タイへ移送される前に(重機関銃を装着できるように)日本国内において改造が行われたためである(RJ71号p30)
1980.秋ごろ
国鉄、591系電車、長野工場にて解体
1980.12.27
小田急電鉄、7000系特急車(LSE車) 営業運転開始
・・1981.5.12にブルーリボン賞受賞 

昭和58年
1983.3.19
小田急電鉄、モハ1型(10号) 原形復元 
1983.6.26
南海電気鉄道、30000系電車(特急こうや号用) 営業運転開始
・・20000系の後継車として東急車輛にて製造された
・・20000系と異なり2編成が製造され、冬季の運休もなくなる
 
昭和59年
1984.3.9 
京王帝都電鉄、京王線、7000系ステンレス車 営業運転開始 
1984.9.17
南海電気鉄道、20000系電車(特急こうや号用)、休車
・・翌年1月に老朽化を理由に廃車
・・約23年間で廃車されたことになる。後継の30000系はこれよりずっと長く使用されている
1984.12.10
名古屋鉄道、8800系’パノラマデラックス’ 竣工
・・1884.12.15に営業運転開始
・・この列車は7000系を種車としており完全な新造車ではない 
 
昭和60年
1985.3.14 
JR 西日本、福知山線の客車列車を12系におきかえる
1985.4.1
三木鉄道、ミキ180形 運転開始
・・富士重工製のレールバス(LEカー)であり、1両4200万円ほどであった

昭和61年
1986.1 
近畿日本鉄道、京都線用3200系、竣工
・・この車両より前後が対称になり、運転室直後に座席が設置されなくなった 
1986.6.12 
名古屋鉄道、5700系電車 竣工
・・7000系パノラマカーと異なり運転室は1階にあったが運転室と反対側(右側)は前面展望が考慮されていた 
1986.7.25
国鉄、EF55型電気機関車 復活運転開始
1986.7 
近畿日本鉄道、東大阪線用7000系 竣工 
 
昭和62年
1987.12.23
小田急電鉄、10000系特急車(HiSE車) 営業運転開始
・・高床式となる
・・高床式となったことがのちに、後にバリアフリー法に抵触する(一部の車両が長野電鉄に移籍)
    
昭和63年
1988.2
名古屋鉄道、モ510形電車 エバーグリーン賞 受賞
1988.2 
近畿日本鉄道、5200系 竣工
・・3扉のオールクロスシート車である 
1988.3.18 
近畿日本鉄道、’アーバンライナー’21000系 運転開始 
1988.5 
JR東日本、107系電車0番台 竣工
・・165系の一部部品を再利用、2連8本が小山電車区に配属 
1988.11.4 
西武鉄道、4000系(セミクロスシート車)、竣工 
1988.11 
JR東日本、107系電車100番台 竣工 
・・2連19本が高崎支社管内にて運行

昭和64年・平成元年
1989.1.8 
(昭和より平成に改元) 
1989.8.5 
京阪電気鉄道、8000系(8001F) 竣工 
1989.12
阪急電鉄、神戸線用8000系に一部をクロスシート車とした編成を運転開始
・・8両編成中、神戸よりの2両をクロスシート車としている
1989 
上信電鉄、この年から翌年にかけてデハ204と205を両運転台化
・・廃車化された東武3000系の前面窓を再利用した。そのため西武鉄道風の側面と東武電車風の前面を持つ面白い電車となった 
1989~1991
JR東日本、719系近郊型交流電車 増備 
・・集団見合い型のシートを備える
・・5000番台は標準軌用の車両である

平成2年
1990.1.31 
大阪市営地下鉄、鶴見緑地線用70系(7101F) 竣工 
1990.3.15 
近畿日本鉄道、26000系(南大阪・吉野線用)特急用電車’さくらライナー’運転開始
1990.6.1 
東武鉄道、100系特急用車’スペーシア’ 営業運転開始
・・アルミ製の車体をもちVVVF制御である 
     
平成3年
1991.1.31 
名古屋鉄道、キハ8500系 竣工
・・1991.3.16に従来のキハ8000系を置きかえ使用 
1991.4.30 
JR西日本、207系電車(試作車) 片町線にて営業運転開始
・・試作車は側扉の窓のデザインが特異であった 
1991.6 
神戸電鉄、2000系 運転開始
・・1991年の公園都市線開通に備えて製造された
・・前頭部はシンプルながら優美なデザインとなる
1991 
JR貨物、EF66型電気機関車の運転室屋根上に冷風装置本格設置開始

平成4年
1992.2.24
南海電気鉄道、1000系(2代)電車(1001F) 竣工
・・軽量ステンレス車である。板厚を増しビードを廃している。また特記すべき点としてステンレス車であるにかかわらず塗装を施してある(6次車を除く)
1992.3.14 
JR東海、特急’南紀’キハ85系化により、キハ80系の定期運用終了 
 
平成5年
1993.3.18
営団地下鉄、06系電車 千代田線にて営業運転開始
・・運転室の拡大を図った結果、車体中央部を短くせざるを得ず6人掛けシートを配置することになる
・・4M6Tのため、当初は小田急線に乗り入れず
・・扉配置が独特なため、ホームドア化に対応できず2015年8月に廃車
1993.3
JR東日本、209系、京浜東北線にて営業運転開始 
1993.12.6 
西武鉄道、10000系電車 新宿線特急’小江戸’号として営業運転開始
・・製造は日立製作所笠戸工場による
・・1994年より池袋・秩父線においても使用開始  
1993.12.23
JR東日本、E351系特急型電車 営業運転開始 (スーパーあずさ) 
・・車体の傾斜は制御つき自然振り子方式(最大傾斜角度5°)を採用
・・組成方式は基本編成が8両、付属編成が4両とした

平成6年
1994.3.15 
近畿日本鉄道、23000系’伊勢志摩ライナー’ 運転開始 
1994.6 
南海電気鉄道 、50000系’ラピート’ 竣工
1994.8 
JR東日本、E217系(量産先行車、1次車) 竣工
・・1994.12.3より横須賀・総武快速線にて運行開始
・・横須賀線も4扉化されることになった

平成7年
1995.2 
京阪電気鉄道、7200系電車 竣工
・・1995.5.1 営業運転開始 
1995.8.12 
JR西日本、223系1000番台電車 営業運転開始 
1995.12.1 
JR東日本、E501系 営業運転開始
・・常磐線の取手以北の交流区間も走行できる4扉車である 
    
平成8年
1996.1
~1998.12 
JR西日本、500系、製造
・・川重、日車、近車、日立により16両編成9本計144両がつくられた
・・また各メーカーに対しては編成ごとに発注するのではなく、共同受注のかたちをとり号車ごとに各メーカーが分担して製造する方式が採られた
・・山陽新幹線の区間においては300Km/h運転が実施された
 (東海道新幹線の区間においては設備上285Km/hとした)
・・1997.3.22のダイヤ改正にて営業運転開始
・・2010.2.28のダイヤ改正にて’のぞみ’運用からはずれる
 (N700系の増備が進み所定編成数が充足されたため)

平成9年
1997.3.22
JR東日本、東北新幹線、E2系電車(先行試作車) 営業運転開始
・・特急やまびこ号に充当 (秋田新幹線こまち号と併結)
1997.9月末 
JR東海、新幹線車両700系量産先行試作車 竣工
・・最高速度を285Km/hに引き上げるための新型車開発となった
 (300系の最高速度は270Km/hである) 
1997.10 
京阪電気鉄道、京津線、800系電車 竣工
1997.12.5 
JR貨物、EF210型直流電気機関車、営業運転開始(東京貨物ターミナル-西岡山)
・・岡山機関区に配属され、省電力高出力機であるため’ECO-POWER桃太郎’という愛称があたえられた
1997.12.20
JR東日本、新幹線車両E4系Max 営業運転開始 

平成10年
1998.3.28
京浜急行電鉄、2100形電車 営業運転開始
・・シートピッチは850㎜である
・・アルミニウム製の車体となる
・・当初はエアポート快特(羽田‐成田)への導入が検討されていたが東京都交通局が認めなかったため断念された
1998.11.2 
フリーゲージトレイン試験車両、鉄道総研に搬入
・・試験車両は3両編成で、最高速度は標準軌で300Km/h、狭軌で130Km/h出せるものとした
・・のち、山陰線の米子―安来間、アメリカのプエブロ実験施設にて走行試験が行われた
・・車両の製造は東急車両と川崎重工業が担当した
1998.12.8 
JR東日本、E127系電車(100番台) 営業運転開始 (長野地区)
・・外観は701系とよく似たものとなった
・・通路の片側(西側:北アルプスが見える方)が一部クロスシートとなる
 
平成11年
1999.5.6 
JR東海、313系電車 営業運転開始 

平成12年
2000.1.4 
北条鉄道、フラワ2000型 営業運転開始
・・富士重工製の18m級の軽快ディーゼルカーである 
  
平成13年
2001.2.1小田急電鉄、向ヶ丘遊園モノレールを廃止
・・鉄レールと鉄車輪を使用したロッキード式といわれる方式を採用していた
2001.4.29能勢電鉄、1000系電車(=6連1本) さよなら運転
2001.11.27新潟鉄工所、会社更生法適用申請
2001.11.30南海電気鉄道、1000系6次車 竣工
・・1000系の最後の1編成である
・・1~5次車と異なり無塗装となり異彩を放つ
 
平成14年
2002.5富士重工業㈱、鉄道車両製造事業より撤退を表明
2002.7.5岡山電気軌道、9200形電車(MOMO) 営業運転開始
・・車両の製造は新潟鉄工所による。ドイツのメーカーの既製品をライセンス生産したものである
  
平成15年
2003.2.3新潟トランシス㈱ 設立
・・石川島播磨重工業㈱(株式70%を出資)により設立
2003.2富士重工業㈱、鉄道車両事業(宇都宮車両工場)を新潟トランシス㈱に事業譲渡
・・こののち、宇都宮車両工場は同社のエコ宇都宮工場としてごみ収集車や風力発電設備を生産することとなったが2013年ごろ事業を停止
2003.10JR四国、マリンライナー(岡山‐高松)を5000系におきかえ
 
平成16年
2004.5 
名古屋鉄道、2000系’ミュースカイ’ 竣工
・・営業運転開始は2005.1.29である
・・2005年度のグッドデザイン賞を受賞
・・2006年度のローレル賞を受賞
・・車体傾斜装置を備え最大2°まで傾斜させることができる
 
平成17年
2005.2.3
福岡市交通局、七隈線3000系電車、営業運転開始
・・鉄輪式リニアモーターを採用
・・デザインはドイツ人工業デザイナー・アレクサンダー・ノイマイスターによる
・・通勤車両に本格的に流線型を採用した国内初の車両といえる
2005.3.19 
小田急電鉄、50000系特急車(VSE車) 営業運転開始 
  
平成18年
2006.9.1
石川島播磨重工業㈱、新潟トランシス㈱のすべての株式を入手、完全子会社化
2006.12.16
横浜市営地下鉄 1・3号線、1000系及び2000系 営業運転終了 
2006.12 
JR東日本、E233系0番台、中央快速線にて営業運転開始 

平成19年
2007.夏新潟鐵工所㈱、会社解散
2007.7.1石川島播磨重工業㈱、㈱IHIに改称
・・新潟トランシス㈱の親会社である
2007.12.25東京急行電鉄、7000系(2代) 営業運転開始
・・東急多摩川線、池上線向けの18m車である
・・先頭部は流線形を採用、のち2020年頃にはこの流線形が関東私鉄においてブームとなる
 
平成20年
2008.3.28
東京急行電鉄、6000系(2代)、営業運転開始
・・先頭部は流線形となる
2008.4.26
西武鉄道、30000系電車(愛称:スマイルトレイン)、営業運転開始
・・前面はスカートの部分も一体化してデザインされる。以降に東急、都営、新京成などに同様なデザインの車両が増備されることになる
2008.10.19
京阪電気鉄道、3000系電車(2代)、営業運転開始
・・ 中之島線開通と同時にデビューしたセミクロスシート車である
2008.11.30
JR西日本、山陽新幹線 0系電車定期運行終了
2008.12.5 
京阪電気鉄道、9000系の9005F(一部中間車ロング化済)を全車ロングシート化
・・のちほか4編成も2010年1月までに全車ロングシート化された
・・転換式ではなかったこともあり京都大阪間直通客には不評であったという 

平成21年
2009.1.18JR東日本、EF55電気機関車、さよなら運転
2009.3.14JR西日本、キハ127系気動車 営業運転開始
・・兵庫県やたつの市、佐用町が資金を負担する姫新線輸送改善工事により実現
2009.12.23富山地方鉄道、富山市内線 9000電車(セントラム) 営業運転開始
 
平成22年
2010.11.4東京地下鉄、16000系電車 千代田線にて営業運転開始
 
平成23年
2011.1.16JR東日本、E331系電車 京葉線にて定期運用終了
・・14車体16台車の連接編成であった。(=7車体8台車×2)。JR唯一の連接式列車であった
2011.3.19阪急電鉄、6300系’京とれいん’(6両編成) 営業運転開始
・・中央の2両はデッキと客室が別室のように仕切られているような構造となった。またシ-トも(転換式から)固定ボックスシートに変更され旧国鉄の長距離列車のような感じを味わえる
 
平成24年
2012.4.14
京阪電気鉄道、13000系電車 営業運転開始
・・2600系置き換えのため新製されたロングシート車である 
  
平成25年
2013.3.16 
JR東海、117系の定期運用がなくなる
2013.3.16
北近畿タンゴ鉄道、KTR001型気動車 すべての運用から離脱
2013.3.21 
近畿日本鉄道、50000系特急用電車’しまかぜ’ 運転開始 
 
平成26年
2014.1 
JR東日本、EV-E301系’ACCUM’ 落成
・・烏山線用の蓄電池を使用した電車である
2014.4.28 
北大阪急行、9000系’POLESTARⅡ’ 営業運転開始 
2014.9.10
JR北海道、デュアルモードビークルの導入を断念すると発表
・・同社としては北海道新幹線と安全対策に経営資源を集中させたいとのこと
・・もっともバスの車体は長寿命を想定していないので、DMV車は早々に車両の取り換え時期がやってきて採算に合うのか疑問がある
2014.12.6 
JR東日本、E129系電車 営業運転開始 (新潟地区)
 
平成27年
2015.2.23 
大井川鐵道、7200系 営業運転開始
・・もと東急7200系であり、十和田観光鉄道に譲渡されていた車両である 
2015.8.1 
JR東海、キハ25(2次車)、紀勢線・参宮線にて営業運転開始
・・室内はロングシートとなった 
2015.8.8
東京地下鉄、06系電車 廃車(形式消滅)
・・扉の配置が他形式と異なり各駅のホームドア化に対応できないため
2015.10.8
南海電気鉄道、8300系 営業運転開始
・・製造は近畿車輌による 
 
平成28年
2016.2.14 
熊本電気鉄道、5000系(青ガエル) 運行終了
2016.3.24
静岡鉄道、A3000形電車 営業運転開始
2016.3.25
JR東日本、415系電車 定期運用終了
2016.4.27 
山陽電気鉄道、6000系電車 営業運転開始
・・3両編成を基本としている。クロスシートは設置されていない 
2016.6.13
JR四国、7200系電車 営業運転開始
・・もとモハ121系をリニューアルしたうえで形式を変更
2016.6 
JR西日本、大阪環状線用3扉車323系、竣工
・・この系列は3扉である。当線に乗り入れる3扉の快速列車と扉位置をそろえホームドア設置に対応するものとなった
・・2016.12.24 営業運転開始 
2016.7.12
阪急電鉄、7000系電車 伊丹線にて運用開始
2016.9 
近畿日本鉄道、南大阪・吉野線、16010系特急車(2連1本)塗色変更
・・白をベースに車体上下にオレンジ色が入る
・・なお16000系と12200系は新塗色化の対象外である 
   
平成29年
2017.3.6 
上信電鉄、デハ205 3年ぶりに営業列車に復帰
2017.3.25 
東京地下鉄、日比谷線13000系 本格運転開始
・・20m4扉車7両編成として登場。東武鉄道区間のホームドア設置に対応するため車両規格を変更することになった
・・日比谷線は18m車を採用して1961年に開業しているが、東武側ではもともと20m車の採用を希望していた。昨今の’ホームドア設置’という社会の趨勢が東武に味方をした格好となる 
2017.3 
西日本鉄道、9000系 営業運転開始 
2017.4.1
富士重工業㈱、㈱SUBARUに改称
・・同社は2002年に鉄道車両製造から撤退している
2017.4.21 
東武鉄道、500系特急用電車’リバティ’ 営業運転開始
・・3両編成を基本としている。また貫通扉を備えている 
2017.5.1 
JR東日本、観光列車’TRAIN SUITE四季島’営業運転開始 
2017.6.17 
JR西日本、観光列車’TWILIGHT EXPRESS瑞風’(キハ87系)営業運転開始
2017.9.2 
JR西日本、SL列車’やまぐち号’旧型客車復刻車オハ35・4000番台 運行開始
2017.9.29 
京王電鉄、京王線に5000系(2代目)営業運転開始
・・デュアルシートを備える
2017.9
JR東日本、107系100番台 全車定期運用終了
・・このうち一部は上信電鉄に移籍 
2017.10.3 
JR西日本、大阪環状線にて103系運転終了 
2017.12.23
JR東日本、E353系特急型電車 営業運転開始 (スーパーあずさ)
・・組成は基本編成が9両、付属編成が3両にあらためられた
 (E351系は基本が8両、付属が4両) 
・・車体の傾斜は空気ばね式車体傾斜方式が採用された
 
平成30年
2018.3.17
小田急電鉄、70000系電車(GSE)、営業運転開始
・・車両のデザインは建築デザイナー・岡部憲明(1947~)ほかによる
2018.11.11
東京地下鉄、千代田線6000系 運転終了 
 
平成31年・令和1年
2019.4.20
相模鉄道、12000系電車 営業運転開始
・・JR線乗り入れ対応車。車体は広幅であり、前面に貫通路がない
・・前面下部には近年の自家用車(グリルを強調)の流行にあわせ吸気口のようなデザインを付加
2019.4
関西電力、トロリーバスに代わり充電式電気バスを使用開始
・・トロリーバスは’鉄道’としての扱いを受けているので、これに先立ち2017.8.28に鉄道事業廃止届がだされている
・・この路線は冬季運休のため2018年11月末日がトロリーバスによる最終運行日となる
・・なお充電式バス化の理由は、現在ではここのトロリーバスが日本唯一の存在となってしまったため、車両等が少量生産とならざるを得ず、経費が割高になってしまっていることによる
2019.5.6 
近江鉄道、700系(あかね号) 運転終了
・・700系は流線型の先頭部を備え、車内も転換クロスシートの意欲作であった
・・翌日より900系が700系の塗装を継承し、あかね号と名乗る
    
令和2年
2020.2.28東京地下鉄、日比谷線03系電車 営業運行終了
・・なお、03系の一部は北陸鉄道浅野川線にて再使用される
2020.3.8JR東海、700系電車 営業運転終了
2020.3.14JR西日本、271系特急電車 営業運転開始 (特急はるか)
2020.3.26小田急電鉄、5000系電車(2代)、営業運転開始
①優美な車両が登場することになる。以下の点が斬新である
●正面下部に装飾灯を設置。尾灯機能を兼ねる
●単に流線型とする以外に正面下部を鮮明な’く’の字に折る引き締まった印象
●室内床は一面フローリングのようなデザイン
●車両間の貫通扉のほか、その両側もガラス張りのようなデザインとする
②設計は川重、日車、総合車両製作所の3社共同によっている。車体デザインについてはメーカー主導で設計し、著名なデザイナーに委嘱されてはいない
●川重 ⇒ 溶接技術
●日車 ⇒ 車体のブロック工法
●総車 ⇒ 妻面の衝突対策
2020.3.13JR東日本、中央総武緩行線 6扉車連結の編成が運行終了
・・国内より6扉車が消滅
2020.7.1JR東海、N700S系新幹線電車 営業運転開始
2020.11東京都交通局、三田線、6500系電車の第1編成が搬入される
・・外観は直線基調で無機的な印象がある
・・扉付近は広々とさせたところは好ましい点である
 
令和3年
2021.3.12JR東日本、185系電車 定期運行終了(踊り子号)
2021.5.6京浜急行電鉄、1000系(1890番台)デュアルシート車 営業運転開始
2021.6.25JR西日本、DEC700形電気式気動車の導入を発表
2021.6.30JR九州、キハ66・67型気動車 定期運行終了
2021.7.20京浜急行電鉄、ドレミファインバータ電車(1033F) 運行終了
・・廃車ではなく床下の機器が更新される
2021.8.7東京地下鉄、18000系電車(半蔵門線) 営業運転開始
・・先頭部は流線形を採用
2021.10.1JR東日本、E4系新幹線電車(Max) 定期運行終了
2021.10.20東京地下鉄18000系電車、グッドデザイン賞を受賞
2021.12.25阿佐海岸鉄道、DMVを本格運行開始
2021.12阪急電鉄、8000系の8007F リニューアル工事施工
・・クロスシートがなくなる(クロスシートは少なからず不評であったという)

令和4年
2022.3.5JR東海、315系電車 営業運転開始
・・全車ロングシートである。中央線にて使用開始
2022.5.26京阪電気鉄道、3000系プレミアムカーがローレル賞を受賞
2022.7.4大阪高速電気軌道、御堂筋線 10系電車 運転終了
2022.11いすみ鉄道、キハ28 運転終了
 
令和5年
2023.2東京都交通局、5300系電車、サイレント引退
2023.3.17JR東日本、651系電車 定期運行終了
2023.8.8泉北高速鉄道、9300系電車 営業運行開始
2023.10.6JR東海、名古屋地区、211系電車 定期運用終了
2023.10.17JR西日本、近畿車両徳庵工場にて273系伯備線向け新型特急車を公開
2023.12.10小田急電鉄、50000系電車(VSE)運行終了(ツアー)
 
令和7年
2025.2.10阪神電気鉄道、5001形電車 営業運転終了
2025.2.11JR東海、静岡支社、211系営業運転終了
 
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