5.4 関西の鉄道・交通年表

・・国有の鉄道においては鉄道省時代と国鉄(日本国有鉄道)時代を除き’基本的には国有鉄道’と表記しています

明治7年
1874.5.11 
国有鉄道、大阪-神戸 仮開業
●この時設置された途中駅は西ノ宮駅と三ノ宮駅(現・元町駅)のみ  
 (もともとの三宮は現在の元町駅南方の地区である)
●西ノ宮駅と三ノ宮駅は当時の地名表示のルールに従いカタカナの’ノ’を使
 用 (西ノ宮駅は平成に入り西宮と表記があらためられている)
●当時の大阪駅駅舎は桜橋口のガードからさらに神戸よりに100mほど西
 方である
 (現在の西梅田スクウェア(もと大阪中央郵便局)の北西隅付近)
 ・・現在地に駅舎がうつったのはのちの1901年のことである
●神戸駅のプラットホームは現在のハーバーランドの中ほどにあった
 ・・中線を有する相対式ホームがあり、検車庫のようなつくりであった
 ・・駅舎は海側をむいて建てられていた 
1874.6.1
国有鉄道、神崎駅(現・尼崎駅) 開業
・・当時の尼崎の市街地は現在の阪神尼崎駅の南方の狭い地区に過ぎずこの駅からは近いとはいえなかった
・・現在の尼崎駅には往時をしのばせるものは残っていないが5番ホーム下には赤煉瓦を積んでつくられた部分が見える
1874.6.1
国有鉄道、住吉駅 開業

明治12年
1879.8.18 
国有鉄道、東海道線 京都―稲荷―大谷 仮開業
・・この工事は日本人のみにより完成された
・・本来は東山をトンネルで貫通したかったのであるが地質の関係でトンネルは断念し一旦稲荷まで南下し、そこから現在の名神高速道路が通っているルートを大谷までたどっていた

明治13年
1880.6.1
東海道線、逢坂山トンネル 完成
・・このトンネルの西側の坑口は名神高速建設時にとりこわされた 
1880.7.15
東海道線、大谷-馬場(現・膳所)および大津(現・京阪浜大津付近)-馬場 開業
・・大津-馬場間はのち1882年の鉄道連絡船就航に接続するためのものである
 
明治15年
1882.5.1 
太湖汽船、鉄道連絡船として長浜―大津間 就航開始
・・1927.1に大津電車軌道㈱を合併し琵琶湖鉄道汽船㈱に改称 

明治16年
1883.5.1
東海道線、関ヶ原―長浜 開業
・・この時のルートは現在のものとは異なる。現在線より北よりのルートをとっていた。また長浜-大津間は暫定的に連絡船を使用する計画となっていたため関ヶ原からはまっすぐ長浜をめざすルートとなる 
   
明治17年
1884.4 
国有鉄道、長浜―敦賀 開業 
  
明治18年
1885.12.29
阪堺鉄道、難波―大和川 開業
・・現在の南海本線の一部である
・・軌間は2フィート9インチ(838ミリ)であった。官営釜石製鉄所の閉鎖に伴い不要となった釜石鉄道の車両、線路を再利用した
・・大和川駅は大和川北岸(現在の住之江駅南方)にあった仮駅であった 
 
明治20年
1887 
小西壮二郎ら13人、川辺(かわのべ)馬車鉄道会社の設立を出願 

明治21年
1888.5
阪堺鉄道、堺まで開業
・・この鉄道の業績は良好であったという
1888.11.1 
山陽鉄道、兵庫-明石 開業
・・当初の計画では神戸駅を起点としての開業を予定していたが神戸駅と兵庫駅間は住宅密集地であり、とりあえず兵庫駅起点で開業した。そのため鉄道建設用の資材は和田岬方面まで線路を敷設し、調達された。 
1888.12.23
山陽鉄道、明石-姫路 開業
 
明治22年
1889.3
国有鉄道、神戸駅を現在地に移転
・・9月に山陽鉄道が兵庫‐神戸間を開業させる予定であるため、それに合わせて駅をやや北側(相生町寄り)に移転。2代目駅舎(洋館2階建て)が設置される
・・駅構内には神戸鉄道局が併設される
1889.4.1
(大阪市、市制施行により発足)
・・なお、この時点における大阪駅の住所は大阪市の’外’(曽根崎村)である。大阪駅が大阪市内にくりいれられたのは1897年4月のことである
1889.7.1 
国有鉄道、東海道線 新橋-神戸 全通 
1889.9.1
山陽鉄道、兵庫-神戸 開業
・・当区間は市街地であったため用地確保に難航し開業が遅れた
  
明治23年
1890.7.8 
山陽鉄道、兵庫-和田岬町(現・和田岬) 貨物線として開業
・・1889年9月に兵庫-神戸間が開業し、建設資材の運搬が神戸駅経由でおこなうことができるようになったため、資材運搬のため先行建設されていた当線路には余裕ができ、貨物線として本格営業開始することができるようになった
 
明治24年
1891.7 
川辺馬車鉄道、尼ヶ崎(後の尼崎港)―長洲(現・JR尼崎付近) 開通 (軌間:1067ミリ)
・・馬車鉄道は道路上に併用軌道として建設されるのが一般的であるがこの馬車鉄道は異なっていた。将来の蒸気鉄道化に備え専用軌道となっていた。現在のJR福知山線のスタートは馬車鉄道である
 (伊丹市史・第3巻による) 
・・途中の停車場には、大物(だいもつ)があった
1891.9 
川辺馬車鉄道、長洲(現・JR尼崎付近)―伊丹間開業
・・途中駅には塚口、伊丹南口があった
 (現在伊丹南口は福知山線の踏切名にその所在の名残を刻むのみとなる)
・・伊丹は日本酒の産地であり、同鉄道の輸送品目であった
・・東海道線とは平面交差となっていた
(馬車鉄道側線路を3.8cmほど高くし、かつ国有鉄道線路と重なる部分の線路を切断したものとした) 
・・この馬車鉄道も馬糧費に泣かされたようであり、2年後には蒸気鉄道化されることとなる

明治26年
1893.6 
摂津鉄道、設立
・・川辺馬車鉄道は発展的解消となる 
1893.10 
摂津鉄道、馬車鉄道の営業を一旦停止
・・このあと軌間を1067ミリより762ミリにあらためる
・・馬車鉄道としての営業期間は2年と1か月であったことになる
1893.12.12
摂津鉄道、尼ヶ崎(のちの尼崎港)―池田(呉服橋西詰)間、762ミリ軌間にて開業
・・スイス製のCタンク(4両)が使用された 
  
明治27年
1894.3摂津鉄道、3駅開業(大物、塚口、伊丹南口)
 
明治28年
1895.2.1 
京都電気鉄道、塩小路(京都駅南)―伏見 開業 (日本初の電車運転)
・・軌間は1067ミリであり、電圧は550Vであった
 
明治30年
1897.2.16 
摂津鉄道㈱、阪鶴鉄道㈱に買収される 
1897.4
阪鶴鉄道、神崎(現・尼崎)―池田 仮営業開始
・・再び1067ミリ軌間への改軌工事を済ませての開業
 (この時点では東海道線神崎(現・尼崎)―尼ヶ崎(のち尼崎港)は762ミリ軌間で残る)
・・この時点の池田駅は仮駅であって現在の川西小学校の西南にあった
1897.12.27
阪鶴鉄道、 池田(仮駅)―宝塚 開業
・・この池田(仮)駅は1900.12に焼失

明治31年
1898.3.24 
河陽鉄道、柏原(かしわら)-古市 開業
・・このうち柏原-道明寺間(現・近鉄道明寺線)は、阿部野橋まで直通する路線(現・南大阪線)が開業すると支線としての地位に下ることになる。この点は東京の西武鉄道国分寺線とよく似ていて興味深い
1898.4.5 
西成鉄道、大阪-安治川口 開業
・・このうち一部区間はのち1961年に大阪環状線の一部に編入される 
1898.4.14
河陽鉄道、古市-富田林 開業 
1898.6.8 
阪鶴鉄道、宝塚―有馬口(現・生瀬) 開業
・・有馬口という駅はのち、有馬鉄道(国鉄有馬線)や神戸電鉄にも同名駅が存在することになった 
1898.6.8
阪鶴鉄道、東海道線神崎(現・尼崎)駅に連絡線を新設
・・一部の列車が大阪駅発着となる 

明治32年
1899.1.25 
阪鶴鉄道、有馬口(現・生瀬)―三田 開業
・・有馬口(現・生瀬)から有馬温泉へは大多田川(蓬莱峡北側)沿いの谷道を徒歩または駕籠を利用する 
1899.3.25
阪鶴鉄道、有馬口駅を生瀬駅に改称
1899.7
汽車製造、現在の安治川口駅北側に工場開設
・・のち川崎重工業に合併される
・・なお、現在も京阪電鉄の車両が川崎重工業製であるのは従来から汽車製造との取引があったためである 
  
明治33年
1900.9.3 
高野鉄道、汐見橋―堺東 開業
1900.9 
大阪馬車鉄道、天王寺西門前―東天下茶屋 開業(軌間:1067ミリ) 
・・1902年には下住吉まで開業

明治34年
1901.4.1
阪鶴鉄道池田駅、本駅完成に伴い移転(現在の川西市栄根) 
1901.7.1
大阪駅、現在地に移転 2代目駅舎営業開始
1901.8
東海道本線、上淀川橋梁(大阪‐現・新大阪間にある) 竣工
・・それまでは、現・橋梁の少し東側に中津川(現・淀川より幅の狭い蛇行した川があった)の橋梁があった
  
明治36年
1903.3.21 
南海鉄道、南海本線 難波―和歌山市 全通
・・当時の南海鉄道は蒸気機関車による列車が運行されていた
・・同時に難波―和歌山市―(紀和鉄道)-五条間を直通運転する急行列車(紀和鉄道内は各停)も運行された。この時は難波・和歌山市間は1時間50分ほどを要している
1903.9.12 
大阪市電、花園橋―築港桟橋(約5Km) 開業
・・1435ミリゲージを採用した鉄道としては国内では大師電気鉄道(現・京急大師線)につづき2番目となる
 
明治38年
1905.4.12 
阪神電気鉄道、大阪(出入橋)―神戸(現・神戸三宮) 開業
・・出入橋駅は現在のリッツカールトンホテルの西にあった。阪神電車の開通のころ、大阪駅西方には人工の入り江(梅田入堀)があり、堂島川から運河でつながっていた。そこに架かる橋の一つに出入橋という橋があり、駅名はそこからとられている
・・神戸側のターミナルは開業当初’神戸’という名称であったが1912年11月1日の滝道までの延長時に三宮に改称されている
1905.7.13 
阪鶴鉄道、神崎(現・尼崎)―尼崎(のち尼崎港)間も1067ミリに改軌され、東海道線をまたぐ鉄橋がつくられた
●同時に、長洲駅及び大物駅が廃止された 

明治39年
1906.4 
南海鉄道、難波-和歌山市間の蒸気急行列車にて食堂営業開始
・・1等車の半室を食堂にあてた
1906.12.21 
阪神電気鉄道、大阪側のターミナルを梅田まで延長 
・・当時の阪神梅田駅(地平)は現在大阪四季劇場が入っている建物のある地点であり、1939年に現在の地下のりばが開業するまで使用された
1906 
南海鉄道、大阪毎日新聞社と提携し浜寺海水浴場を開設
・・1961年に沖合が工業用地として埋め立てられることになり閉鎖。現在は砂浜などはなく人口岸壁が連なり砂浜の跡は運河状となる(浜寺水路)
1906
大阪市電気局、2階建電車を2両増車し、合計3両となる
    
明治40年
1907.4.1 
(香櫨園(こうろえん)、開園) 
・・現在のJRさくら夙川駅の北西(夙川の西側)に位置し博物館、動物園、グランド、ウオーターシュートを備えた遊園地であった
・・園名は創業者の香野 蔵治と櫨山(はぜやま)慶次郎のそれぞれ頭文字からとっている
・・英国系の会社が当該土地を買収したため1913年に閉園することとなり住宅地に変わった。現在は阪神電鉄の駅名にその名を残すのみとなる
1907.7.2 
兵庫電気軌道㈱、設立 
1907.8.1 
阪鶴鉄道㈱(現・福知山線)、国有化される
・・このころに国有化された私鉄は全国で17社あり、関西地区では他に山陽鉄道㈱(山陽本線など)や関西鉄道㈱(関西本線など)の例がある
・・この17社に及ぶ国有化は日露戦争(1904~05)時において貨物輸送に難をこうむった軍部の要請によるところが大きい 
1907.10.19 
箕面有馬電気軌道㈱、設立
・・もと阪鶴鉄道㈱の株主たちによって大阪から有馬温泉および箕面方面とを結ぶ軌道条例準拠(路面電車タイプ)の鉄道会社が設立された
1907.11.15 
高野鉄道㈱、事業一切を高野登山鉄道㈱に譲渡

明治41年
1908.12.5政府、鉄道院を創設
・・鉄道局(監督機関)と帝国鉄道庁(現業機関)を統合し一体的な国有鉄道運営を図る
・・鉄道院のうち四国および本州西部(神戸以西)の区域を管轄する組織が西部鉄道管理局であり、これが神戸に設置された。この西部鉄道管理局が現在のJR西日本(およびJR四国)のルーツに近いといえるかもしれない
 
明治42年
1909.1.1 
龍野電気鉄道、網干―龍野(5.7Km)および支線 開業
・・軌間は1435ミリであった
・・のち続いて1909.3.20に龍野―觜崎(はしざき)間も開業
1909.1.11
鉄道院、西部鉄道管理局を兵庫駅南東の旧・山陽鉄道㈱社屋(兵庫駅北西)に移転
・・この建物はのち1928年に神戸市街区間の東海道山陽線高架工事にともない撤去される
1909.6.17
大阪市電気局、2階建電車を一般型に改造
 
明治43年
1910.3.10 
箕面有馬電気軌道、宝塚線・箕面線、開業
・・箕面線終点の箕面駅は(トロリーポールのつけかえの手間を省くため)テニスのラケットのような形に線路が敷かれていたといわれている。8両列車対応となった現在においても駅の線路自体がS字型をしているのはこのときの名ごりといえる
・・日本においてはテニスのラケット型の線形をもつ終点は例としてはまれであった。しかし海外においては珍しいものではない
1910.3.15 
兵庫電気軌道、兵庫―須磨 開業 (軌間:1435ミリ) 
1910.3.25
嵐山電気軌道、四条大宮-嵐山 開業
1910.4.5 
神戸電気鉄道(初代)、春日野―兵庫駅前(5.8Km) 開業
・・1916.8.1 市営化 
1910.4.15 
京阪電気鉄道、天満橋―五条(46.57Km) 開業
・・当時は路線延長の約3分の1は併用軌道であったといわれている
1910.6 
箕面有馬電気軌道、分譲住宅販売開始
・・同社では鉄道開業以前に周辺の土地を買い込んでいた
・・今でいう住宅ロ-ンを用いた販売で毎月24円ずつの10か年払いとした 
1910.10.1 
南海鉄道、上町線(電車運転) 営業開始
・・軌間は1435ミリである 

明治44年
1911.5.1 
箕面有馬電気軌道、宝塚新温泉を営業開始
・・宝塚旧温泉は明治20年代に泉源が発見され、そのころから武庫川南岸に旅館が建ちはじめている。一方新温泉とは箕電が武庫川北岸の河原(当時の武庫川の河原は現在よりずっと広かった)の一部の払い下げを受け、埋め立てて造成したものである
1911.9.6 
国有鉄道、尼崎港線 旅客営業開始
・・国有化後の貨物営業は1905年より始まっていた
1911.11.10国有鉄道、岩美-浜坂 開業
1911.11.21
南海鉄道、南海線全線電化(蒸気列車が電車化される)
・・このとき電車が各駅に停車しても(蒸気列車の急行と同じく)1時間50分で結ぶことができたので急行は一旦廃止された
1911.11
大阪市電気局、もと2階建電車3両のうち2両を松山電気軌道に譲渡
1911.12.1
阪堺電気軌道、大阪(恵美須町)‐堺市内 開業
・・南海鉄道にとっては競合相手が出現。乗客の獲得をめぐり激しい企業闘争となる
  
明治45年・大正1年
1912.1.16 
(大阪難波において大火発生、4800戸焼失) 
・・これにより、市電の西道頓堀高津線は道頓堀の北方よりも焼け跡が多かった南方(現在の千日前通り)を通ることに変更された
1912.5.5国有鉄道、西部鉄道管理局(兵庫駅東南)を神戸鉄道管理局に改称
1912.7.30
(明治より大正に改元) 
1912.11.1 
阪神電気鉄道、三宮―滝道(0.3Km) 開業
・・滝道というターミナルは現在の神戸国際会館の西の道路上にあった。現在の神戸国際会館の南側の東西方向の道路上には市内電車の路線が通っていたのでそれに接するべく路線の延長がなされた
・・なお、滝道というのは付近の地名ではなく、現・神戸市役所まえを南北に走る道路の名称である(現在は’フラワーロード’とよばれる)。まっすぐ北上すると布引の滝に至るということで明治・大正期はそうよばれていた
1912.12.20
南海鉄道、堺(旧)駅‐湊駅間に龍神駅(現在のフェニックス通り)を新設開業
・・当時は現在のフェニックス通りにも(大浜公園に向かう)路面電車があったのでそれに対する接続のためである

大正2年
1913.2
能勢電気軌道、伊予鉄道より旧・松山電気軌道(軌間:1435ミリ)の木造単車10両と無蓋電動貨車1両の譲渡を受ける(伊予鉄道は狭軌に統一のため)
・・木造単車は21~30と付番され、のち1933~1937年に廃車された
・・無蓋電動貨車は有蓋電動貨車に改造のうえ105と付番された(のち1957年廃車)。この105号車はもと大阪市電開業のころ投入された2階建車両であった
1913.8.1
竜野電気鉄道、網干港‐竜野‐嘴橋(はしざき) 開業
・・のち、1934年廃止
1913.12.29
湖南鉄道、新八幡(現・近江八幡)‐八日市口(現・新八日市) 開業 
1913
国有鉄道、東海道本線 大阪-吹田間のルートを現在線ルート(現・新大阪駅のある地点を経由)に変更
・・従来は現在阪急電鉄の線路(崇禅寺駅‐(京都線)‐淡路駅‐(千里線)‐下新庄駅)が敷かれているルートを経由していた
 
大正3年
1914.4.30
大阪電気軌道、上本町-奈良(仮駅) 開業
・・大阪奈良府県境にある(旧)生駒トンネルは当時の日本において複線鉄道トンネルとしては最長のものであった。トンネルの建設は大林組が請け負った。(大林 芳五郎(1864~1916)は大阪電気軌道の大株主でもあった)
・・これ以降も近鉄の大きな工事は大林組が多くたずさわる
1914.7.7
大阪電気軌道、奈良(仮駅)-奈良 開業
1914.8.15 
東海道線、2代目京都駅 現在地に移り開業
・・以前の駅舎はは少し北(塩小路通に近い位置)にあったといわれる
1914.8.18 
阪神電気鉄道、北大阪線、野田―天六 開業 
  
大正4年
1915.1.4 
大阪市電気局、天六(天神橋筋6丁目)―北浜二 開業
・・天六終点の北方の線路はテニスのラケット状になっていた
(当時の電車はポールによる集電であり、終点においてポールの向きを変える必要があったがそれを省くためのものである)
1915.2.7
天理軽便鉄道、新法隆寺‐丹波市(現・天理) 開業 (軌間:762ミリ)
1915.3.11 
高野登山鉄道、(現・南海高野線)三日市町―橋本 開通
・・これにより同線の業績がはじめて好転したという
・・この紀見峠越えルートの建設を決断したのは当時の社長、根津嘉一郎(=東武鉄道経営者でもあった人物)であるが、実際に支配人として現地で直接の指揮にあたったのはのちに東京地下鉄道を開業させ’地下鉄の父’とよばれる早川徳次(1881~1942)であった 
1915.4 
高野登山鉄道㈱、大阪高野鉄道㈱に改称 
1915.4.16
有馬鉄道、三田-有馬 開通
・・のち、戦時中の1943.6.3に線路等を国鉄篠山線建設にあてるため休止
・・途中駅は3駅あった(塩田、新道場、有馬口)
 (有馬口駅は現在の西宮市下山口にあり、神戸電鉄の同名駅とは異なる)
・・途中の3駅はともに1面1線であり全線1閉塞であった
・・有馬駅の存在した敷地には現在、先山クリニックという医療施設が建つ
・・有馬駅の手前には33/1000という蒸気鉄道では急こう配があった
・・初代社長はのちに神戸有馬電気鉄道(現・神戸電鉄)を開業させた山脇延吉(1875~1941)であるが開業当初から運営は国有鉄道(鉄道院)に委託されていた
1915.7.21 
新宮軽便鉄道、觜崎―新宮町、開業 (軌間:1435ミリ) 
・・のち、1934年に廃止
1915.8.18
   ~8.23 
(第1回全国中等学校優勝野球大会 開催)
・・現在甲子園で開催される高校野球の前身であり、当時利用者の少なかった箕面有馬電気軌道線(現・阪急宝塚線)が集客を目的として、豊中の陸上競技用のグランドにて開催された。しかし大量の観客輸送に難があり、豊中における野球大会は2年でおわった
・・なお、豊中のグランドは住宅地として売却され、現在は往時の姿はない
1915.9.12 
篠山軽便鉄道、弁天(現・JR篠山駅)―篠山町(3.9Km) 開業
・・1921.2.15 終点を篠山城北東の東新町に移設
・・1944.3.20 国有鉄道篠山線開業にともない廃止
1915.10.27
京阪電気鉄道、五条-三条(1.5Km) 延長開業 
  
大正6年
1917.4.12 
兵庫電気軌道、兵庫―明石 全通
・・当時の明石終点は、明石港の近くであった 

大正7年
1918.2.4 
箕面有馬電気軌道㈱、阪神急行電鉄㈱に改称
・・1907年(明40)に内務省より通達がでて、今後あらたに開業する軌道(軌道条例に準拠した鉄道)は’鉄道’と呼称することが禁じられた。しかし2年後に開業する神戸線は軌道条例準拠ながら実態は’(高速)鉄道’である。そこで苦肉の策として考え出されたのが’電鉄’という言葉であった
1918.4 
京阪電気鉄道、’西淀川線’の特許を申請
・・本線の野江にて分岐して淀川北岸に渡り、茨木、高槻、山崎を経由して再び淀川を渡り本線の淀にて合流する、というルートである
・・翌1919年に特許は下付されたがターミナルを京阪本線とは別の場所に設置することが条件とされた。実際これにより1928年に開業する新京阪鉄道は大阪側が天神橋に、京都側が西院(のちに大宮)にターミナルを設置している。これは一説には国有鉄道当局が’天満橋駅が大阪駅よりも大きな存在になること’をおそれたためともいわれている 
1918.8.29
 生駒鋼索鉄道(大軌系)、鳥居前-宝山寺(1.0Km) 開業
・・公共交通機関としての日本初のケーブルカーである
 
大正8年
1919.3.31 
有馬鉄道㈱、国有化される 
1919.8.29 
明姫電気鉄道㈱、設立
・・のち神戸姫路電気鉄道㈱に改称する
1919.8.29
生駒鋼索鉄道、山下‐宝山寺(1.0Km) 開業

大正9年
1920.5
鉄道院が鉄道省に昇格し、同時に神戸鉄道管理局が神戸鉄道局に改称
1920.7.16 
阪神急行電鉄、神戸線(十三‐神戸) 開業
・・神戸側のターミナルは上筒井(王子公園駅から真西に700mほどの地点)にあった 
・・この時点では梅田―十三間は宝塚線と共用である
・・神戸線の軌道中心間隔は3360ミリで建設された。したがって現在においても京都線6300系などの広幅車体車の神戸線乗り入れをはばむ
1920.7.16
阪神急行電鉄、伊丹線(塚口‐伊丹) 開業
・・神戸線の当初計画上のルートは現在線よりずっと伊丹市街寄りであっ。(現在の山陽新幹線のルートに近いといわれる)。その後ルートを南寄りに変更して建設したため、伊丹市街との連絡は支線を敷設して対応することとなる
1920.12.19
田中車輛、尼崎市松島町2丁目にて創業
・・尼崎市松島町は往時は町工場密集地帯であった。現在は大規模な下水処理施設がひっそりと建ち町工場地帯の面影はない
 
大正10年
1921.1.1
天理軽便鉄道㈱、鉄道事業(新法隆寺‐丹波市)を大阪電気軌道㈱に譲渡
1921.4.14 
赤穂鉄道、有年(うね)―播州赤穂(12.7Km) 開業
・・軌間は762ミリであり軽便鉄道法に準拠したものとした
・・山陽本線は兵庫県明石から広島県尾道まで海岸沿いを避けて建設されている。そのため山陽本線が通らなかった海岸沿い町に向けこのような支線状の鉄道が建設された
1921.6.1 
阪神電気鉄道、2両連結の急行列車運転開始
・・所要は56分であった 
1921.8.1 
東海道線、膳所―京都間が現在のルート(大津・山科経由)にかわる
・・大谷駅は廃止となる 
1921.9.2
阪神急行電鉄、西宮北口‐宝塚 開業
1921.9.3 
別府(べふ)軽便鉄道、野口線、野口-別府港(3.7Km ) 開業
・・のち土山線(土山-別府港)も1923年に開業している
・・1946.4.1に別府鉄道に改称
1921.12.23
明姫電気鉄道㈱、神戸姫路電気鉄道㈱に改称
・・同年11月9日に神戸―姫路間の免許を取得したことによる

大正11年
1922.1.25
大阪電気鉄道㈱、生駒鋼索鉄道㈱を吸収合併
・・近鉄の鋼索鉄道は他社が建設・開業したものを合併して自社路線となったものばかりである
1922.5.11
信貴生駒電気鉄道、山下‐信貴山(1.7Km) 開業
・・信貴山(生駒山脈)に奈良県側から登るルートが開業、しかし1930年に信貴山電気鉄道により大阪府側から登るケーブルカーが別途建設され大打撃を受けた
1922.5.11 
信貴生駒電気鉄道(京阪系)、王寺―山下(現・信貴山下)(現・近鉄生駒線)
 および鋼索線(山下―信貴山、のち近鉄東信貴鋼索線となる) 開業
・・信貴生駒電気鉄道は1920.9に生駒―枚方間の免許を受けており京阪線と路線を結ぶことを目的としていた。のち1929年に枚方東口-私市間を開業させたにとどまり生駒-枚方間を直結させることはできなかった
1922.9.6 
南海鉄道㈱、大阪高野鉄道㈱を合併、高野線とする
1922.10 
神戸市電気局、日本初の半鋼製電車(G車、181~) 竣工
・・川崎造船所兵庫工場と田中車輛(現・近畿車両)で製造された
・・このときより神戸市電の車体色は茶色より緑色に変わる
1922 
波賀森林鉄道、上野貯木場―赤西(あかざい)・音水(おんずい)ほか(計24Km) 開業
    
大正12年
1923.8.19 
神戸姫路電気鉄道、明石―姫路 開業 (電圧:1500V、線路は直線が主)
・・この鉄道は元・兵庫電気軌道(兵庫・明石間)を設立・経営していた資本家(川西清兵衛ほか)グループが別のグループ(伊藤英一ほか)に株式買占めにより追い出された結果、あらたに姫路・神戸湊川間に高速鉄道を建設・経営しようと実現させたものである。従って神戸・明石間を兵庫電気鉄道に乗り入れるという発想はなく車両規格、電圧、線形、明石駅の位置などすべてが異なっていた
1923.9.22 
北丹鉄道、 福知山-河守(12.4Km) 開業

大正13年
1924.1.20
阪神電気鉄道、伝法線、大物-伝法(でんぽう) 開業
・・伝法線は曲線多い本線の短絡ルートとして建設された。そのため阪急神戸線のを意識したような直線主体の線形である
1924.4 
田中車輛工場(個人経営)、工場を尼崎より大阪(京橋)に移転
・・現在はダイエー京橋店のあるあたりである
・・のちの近畿車輛である
1924.7.31 
阪神電気鉄道、阪神甲子園球場を完成させる
・・このときの設計は野田誠三(1895~1978)という若い主任技師である 
・・野田はこの後も同社にて働き続けたのち社長に就任(1951~64)した。在任中梅田・三宮間ノンストップ特急(1954~60)の運行や高加減速車’ジェットカー’導入(1959)などを実現させ、阪神電鉄のために生涯をつくしている
1924.8.1 
阪神電気鉄道、伝法線、伝法-千鳥橋 開業
・・千鳥橋駅は(尼崎から)梅田方面への別・新線を想定してつくられており、梅田方向にまっすぐ進めるよう駅直前(すぐ西側)にカーブが存在する。しかし時代がくだり、路線の延長が西九条方面に変更されたため駅の東方では線路が逆方向にカーブしている。したがって駅をはさんでS字型のルートとなっている
 
大正14年
1925.1.6
摩耶鋼索鉄道、高尾駅(現・摩耶ケーブル駅)‐摩耶駅(現・虹駅) 開業
・・意外ではあるが六甲ケーブル線(=1932~)よりも7年早く開業している
1925.4.1 
(大阪市、第二次市域拡張を行う)
・・東成、西成両郡にあった約40ほどの町村を一気に大阪市に編入。これにより一時的ながら大阪市の人口が東京市を追い抜き、日本でもっとも人口の多い都市となる。このときから7年ほどを’大大阪時代’という。(のち1932年に東京市も同様な拡張を行ったのでトップの座は再び譲ることになる)
・・なお、ドイツのベルリン市では1920年10月に周辺町村を大規模に合併して市域拡大をおこなっている。これになんらかの影響をうけたのかもしれない
 
大正15年・昭和元年
1926.6.21 
阪神急行電鉄、600系電車(全鋼製車体採用) 竣工 
1926.7.5 
阪神急行電鉄、大阪市内高架線(複々線)、開通
・・同時に梅田―十三間にて神戸線と宝塚線が分離された
・・この高架化の直接的なきっかけは、国有鉄道線大阪駅の客貨分離に伴い新たに梅田貨物駅を大阪駅北方につくることになり、阪急線(中津付近)との立体交差化が不可避となったことによる
・・このときに阪急梅田駅は一旦5面4線の高架駅(ただし北野線のりばは地平のまま残る)となった。この2代目梅田駅は現在阪急32番街の建物が建っているあたりに位置していた。
・・またこの高架線ができる前までは現在の中津駅東方にて阪神北大阪線(野田―天六)と平面交差していた 
1926.11.15
東海道線、歌島(信号所)―東灘(信号所) (方向別)複々線化
・・阪神間では郊外部から複々線化が行われた。この時点では4線とも蒸気機関車けん引による列車運行である
・・なお、歌島信号所とは塚本―尼崎間にあり、北方貨物線と大阪駅からの旅客線(東海道線)が合流する地点である。一方、東灘信号所は灘駅東方にあり神戸港方面へ向かう貨物線が分岐する地点である
・・こののち阪神間の複々線化は以下のようにすすめられた
 ●1934.5.25  塚本~歌島(信)
 ●1937.5.23  東灘(信)~兵庫
 ●1937.10.10 大阪~塚本
 ●1938.9.22  兵庫~鷹取(この区間は5線化)
 ●1965.3.28  鷹取~西明石
1926.12.3 
南海鉄道、天下茶屋-粉浜 (線路別)複々線化 
1926.12.5 
加悦(かや)鉄道、開業 (丹後山田-加悦、5.7Km)
・・1925.5.5 会社設立
・・1985.5.1 鉄道線廃止、同年中に会社名をカヤ興産㈱に改称
1926.12.25
(大正より昭和に改元) 

昭和2年
1927.1.1 
兵庫電気鉄道㈱、宇治川電気㈱に合併される
・・兵庫電気軌道は1920年前後より配電事業進出が計画されていた 
1927.2.26 
大阪市電気局、市営バス開業(阿倍野―平野 4.8Km)
・・市電と重複しない平野区方面からスタートしている
・・開業当初の車体の塗装は濃いマルーンで窓下に白の帯が入るものであった(のち1929年より銀色に変更された)
1927.4.1 
神戸姫路電気鉄道㈱ 、宇治川電気㈱に合併される
・・これにより宇治川電気は神戸―明石-姫路間の一体運営が可能となる
・・明石・姫路間に路線を持つ神戸姫路電気鉄道は業績がよくなかった
1927.7.1 
阪神国道電気軌道、野田―東神戸(25.9Km) 開業
・・大阪神戸間に4番目の鉄道として新設の阪神国道(R2)上に建設された
・・翌年4月1日に阪神電気鉄道に買収された
1927.10.1 
阪堺電鉄、芦原橋-三宝車庫前、開業
・・のち、1935年に湊ノ浜-浜寺間が開通し 全線開業
 (終点の浜寺駅は浜寺公園の北東隅付近である) 
・・1940年ごろから業績も改善してきたが、車両の酷使による故障が相次ぎ最終的には大阪市に買収されることになった(1944.3.27)
・・しかし大阪市電として営業が継続されたのは湊ノ浜以北である
1927.12.15
新京阪鉄道、100系 竣工
・・社内ではP-6とよばれていた
・・ドアエンジンなどの新機軸があった 
   
昭和3年
1928.1.16 
新京阪鉄道(京阪系)、淡路-高槻町(たかつきまち) 開業
・・電圧は1500Vとなった 
1928.5.1
鉄道省、神戸鉄道局を大阪鉄道局に改称
・・神戸鉄道局は兵庫駅北西にあった。当時東海道線の神戸市街地区間の高架化工事が行われることになり、神戸鉄道局庁舎が立ち退きを余儀なくされた。大阪駅北側(現在はヨドバシカメラのビルが建つ)に移転することになり同時に組織名称を変更 
1928.7.11
阪神電気鉄道、甲子園線 上甲子園‐甲子園 延伸開業
1928.8.1 
日本無軌条電車、花屋敷―新花屋敷(1.3Km) 開業
・・日本初のトロリーバスである
・・花屋敷には当時阪急宝塚線の駅もあった。現在は統合され雲雀丘花屋敷となり宝塚寄りに移転した
・・このトロリーバス線は1932.1に休止、同年4月に廃止となった
1928.8.26 
宇治川電気㈱、兵庫―姫路 直通運転開始 
1928.10.30
阪神電気鉄道、尼崎・大物間 複々線化
1928.11.1 
新京阪鉄道、高槻町(たかつきまち)‐西院(地上・仮駅) 開業 
1928.11.3 
奈良電気鉄道(京阪・大軌系)、桃山御陵前-西大寺(28Km) 開業 
1928.11.15
奈良電気鉄道、京都―桃山御陵前 開業
・・これにより奈良電気鉄道線(34.5Km)全通 
1928.11.28
神有電気鉄道、湊川―有馬温泉 開業
・・戦前の神有電気鉄道の車両は関西のメーカーではなく名古屋の日本車輌に発注されている。これは前年において同社が箱根登山鉄道向け急勾配用電車を製作しえた実績に基づくものと考えられる
・・湊川駅は湊川公園(人工地盤)の下につくられていたので実際のホームの高さはすぐそばの道路と同じである。駅の西側は開口部となっていたので夕方には西日が差し込むようになっていた
・・当初は日本電力より送電を受けたが間もなく宇治川電気に変更されている
・・また同社の当時の車両の発注先は関西のメーカーではなく、急こう配線の箱根登山鉄道にも納入実績のあった日本車輌(名古屋)となっている

昭和4年
1929.3 
大阪鉄道(2代目)、古市―久米寺(現・橿原神宮前)開業
・・同時に吉野鉄道(久米寺ー吉野(現・六田))と相互直通運転開始 
1929.4.12
愛宕山鉄道、嵐山‐清滝 開業 (軌間:1435ミリ)
1929.4.14 
阪神電気鉄道、尼崎海岸線、出屋敷-東浜 開業 
1929.4 
明神(みょうじん)鉄道(明延(現・兵庫県養父市)-神子畑(現・兵庫県朝来市、6Km)開業
1929.5 
大阪電気軌道、直営乗合バス(奈良・春日奥山周遊線)運行開始
1929.7.18 
阪和電気鉄道、阪和天王寺-和泉府中
       および鳳-阪和浜寺(現・東羽衣) 開業        
・・阪和浜寺への支線は海水浴場への旅客輸送を目的に建設された。阪和浜寺駅は鉄道建設の免許下付時点では南海鉄道浜寺公園駅付近とされていたが鳳駅の建設位置が変更され現在の位置となったため、南海羽衣駅東方に設置されることとなった。また天王寺―阪和浜寺間にノンストップの直通急行が運行されている
・・なお、浜寺海水浴場への鉄軌道は、(のち1935年に阪堺電鉄が浜寺まで延伸(1944年まで営業)されているので)既設の南海本線と南海鉄道阪堺線とあわせると1935~1944年は4本もの路線があったことになる
・・阪和電気鉄道の車体塗色は緑色一色塗りであった
1929.7.19 
大阪電気軌道㈱、吉野鉄道㈱を合併 
1929.7.21 
出石(いずし)鉄道、 江原―出石(11.2Km) 開業 (現・兵庫県豊岡市)
1929.7.27 
阪神電気鉄道、阪神本線、御影付近高架化
・・御影付近の併用軌道の専用軌道化の計画は1919年ごろから出始めた。しかし同じ改良するなら高架線を造ろうということになった。
・・御影駅は当時の阪神電車の車両規格にそって建設されたので、現在の大型化された車両には少なからず合わないところがある 
1929.8 
大阪電気軌道、吉野鉄道の株式を買い進めて、同社を合併
・・3月に吉野鉄道との相互直通運転を実現させた大阪鉄道(2代目)(現・近鉄南大阪線)としては大きな打撃を受けることになった
・・またこのころ大阪電気軌道は並行するライバル路線(現・南大阪線)である大阪鉄道(2代目)の株式をも買い進めていて筆頭株主になっている 
1929.11.1 
南海鉄道、高野線の全列車を難波発着にあらためる
・・以降汐見橋発着列車は、汐見橋―住吉東間の運転となる
1929.4.2 
六甲山乗合自動車(阪急系)、設立 
1929 
六甲山乗合自動車、阪神大石―阪急六甲―六甲山頂 運行開始 
 
昭和5年
1930.3.25
鉄道省、山陽本線の明石・大久保間に明石操車場開設
1930.4.1 
阪神急行電鉄、神戸線 特急運転開始
・・当初は、梅田‐上筒井間を西宮北口のみ停車し30分で結んだ(十三は通過)
1930.4.1
新京阪鉄道(現・阪急京都線)、天神橋‐京阪京都(現・大宮)間に’超特急’運転開始
・・所要時間は34分であり、表定速度は75.3Km/hであった
1930.5.30 
(甲子園ホテル、竣工) 
・・阪神電鉄は甲子園球場建設後、付近に本格的なホテル建設を計画した。また経営は直営とはせず帝国ホテルに経営をまかせるものとした。しかし帝国ホテル側は上甲子園の武庫川河畔の松林内を希望し、計画は中止になりかけたが大阪の実業家、井上 周の努力により開業した。阪神電鉄は融資面でのみ協力することになる
・・このホテルには、チャーリー・チャップリン、ベーブ・ルース、山本五十六、溥儀(ラストエンペラー)などの著名人の宿泊があった
・・戦時中に海軍に接収された。戦後は米軍施設となり、さらにのち国有財産となったが1965年に学校法人武庫川学院に払い下げられた
・・2018年に放送のNHK連続テレビ小説’まんぷく’では、’大阪・東洋ホテル’としてロケに使用される
1930.6.16 
阪和電気鉄道、天王寺―東和歌山(現・和歌山) 全通 
1930.7.9 
阪神電気鉄道、甲子園線、浜甲子園‐中津浜(なかつのはま)開業 
1930.8.15
京阪電気鉄道㈱、新京阪鉄道㈱を合併
1930.10.1
鉄道省、東京-神戸間に特急’燕’ 運転開始
・・大阪-京都間は新京阪線の超特急と同じく34分で走破
・・当時の新京阪は並走区間においてこの列車を追い抜くように走行し、自社列車のアピールをしたという
1930.12.15
信貴山電鉄(大軌系)鋼索線(ケーブルカー)、信貴山口―高安山(1.3Km) 開業
・・のち戦時中の1944.1.7に撤去されている
・・戦後の1957.3.21に近畿日本鉄道西信貴鋼索線として復活開業
1930.12.15
信貴山電鉄、高安山-信貴山門(約2Km)、開業(軌間:1067ミリ)
・・ケーブルカーの上側の駅からさらに奥へ普通構造の電気鉄道が併設された。これは朝護孫子寺が生駒山地の奈良県側に位置しているためケーブルカーの上側の駅(高安山駅)から多少の距離があったためである。こちらは戦時中に撤去されたのち戦後復活されず路線バスによることとなった 
1930.12.15
大阪電気軌道、信貴線、河内山本-信貴山口 開業
1930.12.20
参宮急行電鉄、桜井―山田(現・伊勢市駅)全通 
・・これにより、上本町―山田間直通運転開始
・・これにより大阪から伊勢神宮までの所要時間は国有鉄道(亀山経由・蒸気列車)利用の場合の約半分になり日帰りが可能となる
・・なお、この当時の山田駅の所在する市町村名は宇治山田市であった。周辺の町村と合併し伊勢市となるのは1955年1月1日である
1930 
六甲山乗合自動車、六甲山頂―有馬、運行開始 

昭和6年
1931.1.1
江若鉄道、浜大津‐近江今津(51.0Km) 全通 
1931.3.17 
参宮急行電鉄、山田(現・伊勢市)―宇治山田(0.6Km) 開通
・・このとき宇治山田駅はコンクリート製の立派なものが建設された 
1931.3.31
京阪電気鉄道、新京阪線 西院-四条大宮 延伸開業
・・この時点で西院駅も地下となる
1931.4.23
山東軽便鉄道㈱、和歌山鉄道㈱に改称
1931.7 
京阪電気鉄道(本線)、西三荘-大和田間 専用軌道化
・・これ以前はすぐ北側の道路上に線路がしかれていた 
1931.9.22
六甲山架空索道(阪急系)、六甲山登り口‐六甲山上 ロープウェイ開業
・・六甲山登り口駅は現在の’新六甲大橋下’交差点の北方にあった
・・六甲山上駅は記念碑台の近くにあり、六甲山ホテル(=阪急系)宿泊者の利便を図る
・・のち1945年に鉄材供出のため撤去された
(戦後は小林一三の意向もあり、同区間は阪急バスにゆだねられ復活せず)
1931.10.10
東海道線、神戸市内高架線(この時点では複線) 開通
・・この時点で完成した高架線は従来線(地平)の北側に建設された。現在は東行きの2線として使用されているものである
・・またこの時に三ノ宮駅が(現・元町駅の位置から)現在地へ移転している
 (これは当時の神戸市の都市計画による)
・・東灘(信)―兵庫間が複々線化されるのは6年後の1937.5.23である
1931.11.6
六甲山架空索道、六甲ロープウェイ(通称)を開業
・・同社は阪急系のロープウェイ運営のための会社で1929年に設立された
・・このロープウェイ(1511m)は現在の新六甲大橋(ループ橋)付近(増井谷)を起点とし記念碑台付近の山上駅を終点とし、主に六甲山ホテル宿泊者の輸送を目的とした
・・しかしのち、戦時中の1945年ごろに金属回収を目的に撤去され、戦後は阪急バスによる登山路線新設があったこともあり、復活開業されることはなかった
1931.12.19
南海鉄道、南海本線、粉浜-住吉公園(現・住吉大社) (線路別)複々線化 
1931 
鉄道省、姫路―(草津線)―鳥羽間に伊勢神宮参拝者向けの快速列車運転開始
・・日帰りで伊勢神宮の参拝ができるようダイヤが組まれていた
・・食堂車も連結されていた
・・前年末に大阪・伊勢を直結した大軌・参急線に対抗しての列車新設である
 
昭和7年
1932.3.10 
六甲越有馬鉄道(現・六甲ケーブル、阪神系)、開業
・・この時点では線路は清水駅を境に2区間にわけて建設されていて、同駅において乗り換えるものとなっていた 
1932.3.25 
省営バス、亀山-三雲 運行開始 (亀草線)
・・1932.5.5   三雲-石部間 延伸
・・1932.12.25 石部-草津間 延伸 
1932.7.11
鉄道省、姫津(ひめつ)線(現・姫新線)、東嘴崎‐播磨新宮(4.3km) 延伸開業
1932.7 
南海鉄道、難波駅に地上7階の南海ビルを完成させる
・・高島屋百貨店がテナントとして入店する
・・この当時の難波駅はまだ地平にあった。のち1938年に高架化された 
1932.8.10
鉄道省、宮津線 丹後木津(現・木津温泉)‐久美浜 開業 (宮津線全通)
1932.8.12 
(阪神急行電鉄、子会社として㈱東京宝塚劇場を設立) 
・・宝塚歌劇の東京公演時に使用するため1934年に東京有楽町に東京宝塚劇場を開業させている。低価格で多くの観客を収容する方法がヒットした。もとはライバルであった有楽町の日本劇場(日劇)や日比谷の帝国劇場ものちにこの会社の経営によることになった。1943年に東宝映画㈱と合併し東宝㈱となった
1932上半期 
阪和電気鉄道、この時以降毎期黒字を計上 
1932.10.30
京阪電気鉄道、蒲生(がもう)駅が城東線(現・大阪環状線)京橋駅東側に移転
・・これ以前は200mほど京都よりに位置していた。市道 上新庄生野線と交差する地点(現・城東区蒲生1丁目)にあった
・・この移転は鉄道省城東線の電車運行開始(翌年2月)にあわせたものである。 京阪のこの駅はしばらく蒲生という名であったが1949年に城東線にあわせ京橋駅に改称された
1932.12.1 
鉄道省、片町線、片町-四条畷間にて電車運転開始 
1932.12.9
宇治川電気(現・山陽電気鉄道)、塩屋駅東方・東垂水間の線路を山陽本線北側に移設
・・以前は山陽本線塩屋駅東方にて山陽本線の上を鉄橋で渡り海側にでて、塩屋から滝の茶屋の西方まで併用軌道となっていた。そこから勾配を上り再び山陽本線(現・緩行線)を乗り越え山側にでて、現在の東垂水駅西方の短い直線部分(当時同駅はそこにあった)にて現在のルートに合流し垂水駅に向かっていた 
1932.12.10
阪和電気鉄道、直営乗合バス事業(上野芝線、信太山線)開始 
1932.12.31
鉄道省、関西本線 河内堅上‐王寺 不通区間を単線にて復旧 
   
昭和8年
1933.2.16 
鉄道省、城東線、電車運転開始
・・城東線とは現在の大阪環状線の東半分の旧称である 
1933.5.20 
大阪市営地下鉄、1号線(現・御堂筋線) 梅田―心斎橋(3.1Km) 開業
・・現在では珍しくなくなったが当時から車体端部には転落防止柵が設置されていた
1933.6.6 
山陽電気鉄道㈱、創立
・・これまで宇治川電気という電力会社が電鉄部門を分離してできたものである
1933.6.17 
阪神電気鉄道、岩屋―三宮間地下新線開業
・・計画当初はこの区間には駅がつくられる予定はなかったが、神戸製鋼の要望により途中で計画が変更され、春日野道駅が設置されることになった。そのためこの駅のプラットホームが実に狭いものとなった(現在はこのプラットホームは使用されていない。南北にそれぞれ新しいホームが新設されている)
・・それまで岩屋・三宮間には脇浜、春日野道、新生田川の3駅があった
1933.6.17 
阪神電気鉄道、ダイヤ改正
●デイタイムにおいて特急、急行、普通を8分サイクルで運行 
1933.11.4 
鉄道省・阪和電気鉄道、天王寺-紀伊田辺間に週末温泉列車’黒潮’号 運転開始
・・阪和電鉄線内は2両の電車が3両ほどの鉄道省の客車を牽引した。また戦前においては国有鉄道の車両が私鉄に乗り入れるという事例はきわめて例外的なものであった 
1933.12.20
鉄道省、紀勢西線、紀伊田辺―(白浜口)―紀伊富田 開業 
1933.12.29
京阪電気鉄道、京阪本線、蒲生(信)-守口(現・守口市) 複々線化
・・この時点で同時に線路の移設も行われ、直線主体のルートとなった
・・蒲生信号所は京橋駅と野江駅のほぼ中間地点にあった

昭和9年
1934.3.19 
京阪電気鉄道、60型連接式電車、竣工 
・・日本初の連接車である
1934.4.2 
京阪電気鉄道、天満橋―三条―浜大津 ’びわこ号’ 運行開始
・・途中停車駅は三条のみであり、所要72分であった 
1934.5.15
福知山線、尼崎―塚口間 複線化
・・尼崎駅より東海道線から分岐して一旦南に大きく振ってから北へ向きを変え東海道線の複々線を高架でまたぐルートが新設された
1934.6.1 
東海道線、大阪駅 高架駅となる
・・同時に阪急梅田駅は地平駅(=3代目駅)となる
1934.6.20 
阪神電気鉄道、ダイヤ改正
 ●デイタイムにおいて(急行を廃止し)特急、普通を6分サイクルで運行
 (これは現在のようにATSが設置されていれば実現不可能なダイヤである) 
1934.7.20 
鉄道省、東海道・山陽線、吹田―須磨 電車運転開始
・・全車20mの新車が投入された(東京圏で使用した中古車ではない)
・・この時新たに新設されたのが塚本、立花、甲子園口、六甲道、元町の5駅であった(元町駅は地元の請願により旧・三ノ宮駅(~1931)があった地点に設置されている) 
・・このとき大阪-神戸間に急行電車(現・快速)運行開始
1934.8.16
川崎車輌兵庫工場、南満洲鉄道の特急’あじあ’号牽引用のパシナ型蒸気機関車を製造
・・パシナ型機関車は合計12両(最後の1両のみ1936年製造)であった。うち3両が満鉄の大連工場で製造されたほかは川崎車輌製であった。満鉄の工場のみによる製造では同年11月1日の同特急の運転開始に間に合わなかったからである
・・なお、パシナという形式名称は’パシフィック’とよばれる車軸配置(=前輪2軸、動輪3軸、従輪1軸)を持つ7形式目の機関車、というところからきている
・・また、パシナの車体色は市販されている鉄道模型ではスカイブルーなどで塗られていたりするが実際の色は’濃藍色’である
(大阪朝日新聞1935年3月26日刊(大阪府立中央図書館所蔵)による)
1934.9.20 
鉄道省、山陽線、須磨―明石 電化
・・このころの大阪―神戸間のダイヤは普通が早朝深夜以外、普通10分毎、急行(現・快速)30分毎で運行されていた
・・また、このころの電車は2両編成を基本とし、2両もしくは4両で運行されていた
1934.9.18 
山陽電気鉄道、ダイヤ改正
 ●兵庫・姫路間に特急運転開始
 ・・こののち10両の電車がボックスシートを中央からみて点対象状に配置
  して特急用に整備された
 (しかしボックスシートは1940年にはロングシートに戻された)
 ・・この時の特急は所要70分であった 
1934.11 
鉄道省、鷹取工場(神戸)にてC53 43号蒸気機関車を流線型に改造
・・鉄道省の設計技師、島 秀雄(1901~1998)のスケッチをもとに約20日間でつくり上げられたという。また島技師は当時の蒸気機関車の速度からいえば流線型に改造してもさしたる効果はないことはわかっていたが、上層部の指示によりこの改造工事にたずさわった。したがって手間のかかる三次曲面はさけて二次曲面だけで構成するようにすませたという
・・丹那トンネル開通に伴うダイヤ改正(1934.12.1)に合わせた改造工事であり同車は名古屋―神戸間にて特急’燕’を牽引することになった
・・なおC53型蒸機は3シリンダという新機軸を採用したが、構造が複雑なことが保守現場にきらわれ1950年には全機引退している
   
昭和10年
1935.10.6大阪市電気局、地下鉄 梅田(仮駅)-梅田(0.1Km)延伸
・・地下鉄が2年半前に開業した時点では梅田駅は仮駅として曽根崎署付近にあった。当時国有鉄道の大阪駅の工事の遅延などがあり、本設駅(現在の駅)の設置が遅くなってしまった
1935.10.30大阪市電気局、地下鉄 心斎橋‐難波(1.0Km) 開業
1935.12.26田中車輛工場(個人経営)、法人化して田中車輛合名会社となる
 
昭和11年
1936.3.18 
阪神電気鉄道、三宮―元町(地下線) 開業
・・当時同社では神有電車(現・神戸電鉄)湊川駅付近までの路線延長計画があったので元町駅は中間駅的なつくりとなった。逆にその一方で湊川公園西南にあった神戸タワーには’特急大阪行阪神電車’と大きく書かれた電飾ネオン広告が設置されていた(当時の金額で2万円かけられたという。現在の金額になおすと3700万円くらいになる)
・・三宮―元町間のみ先行開業させた理由は、当時鉄道省が東灘信号所―兵庫間の複々線化(現・西行きの2線として使用している部分)工事を急いでおり、その高架橋を支持する地下構造物の早期完成を阪神電鉄に求めたためである
(阪神電気鉄道100年史による)
・・なお鉄道省の東灘(信)―兵庫間の複々線化は1937.5.23に完了
1936.4.1 
阪神急行電鉄、西灘(現・王子公園)‐神戸(現・神戸三宮)、高架線でもって開通
・・特急列車は梅田‐神戸間25分運転を維持(表定速度:78Km/h)
(注、この時速78キロというのは新京阪線超特急(現・阪急京都線)より速い)
・・なお、西灘駅はこの時点で開業している
1936.5.13 
鉄道省、モハ52型流線型電車(1次車・狭窓) 営業運転開始
・・この形式はのちめまぐるしい塗装変更をうけた。最初の塗装はぶどう色一色の地に扉と窓枠のみがクリーム色というシックなものであった
1936.9月末
阪和電気鉄道、上半期決算にて累積赤字を改称 
1936.12.28 
三木電気鉄道、鈴蘭台―広野ゴルフ場前 開業
・・開業の期限日(1936年のうちに開業しないと補助金が下りない)までに電化工事が間に合わず、次善の策としてガソリンカーを導入し蒸気機関車を補機として使用するという波乱のスタートであった
・・のち4月15日に電車運転開始
1936 
梅鉢鉄工所、株式会社化し梅鉢車輌㈱に改称
・・現在の阪堺電気軌道阪堺線の高須神社電停の北西(現・堺市堺区七道東町)と北東(同・沙道町)の2か所にあった。(もともとはひとつの敷地であったが敷地の真ん中を阪堺線が横切るような線路の敷き方をしたので2つに分断された。)
・・また工場からの専用線があって南海高野線の浅香山駅へのびていた。
・・のち1940年に泉北郡鳳町(現・堺市西区)に移転する
1936 
田中車輛、京橋より徳庵に移転開始(1943に完了) 

昭和12年
1937.5.23 
鉄道省、東海道・山陽線、東灘(信)―兵庫 複々線化 
1937.6.15
および8.22 
鉄道省、モハ52型流線型電車(2次車・広窓、2編成あり) 営業運転開始
・・のち先頭車のうち1両(モハ52006)は1945年の空襲により焼失し戦後修復されることもなかった 
1937.9.17
および9.18
鉄道省、モハ43型 半流線形電車(広窓、2編成あり)営業運転開始
・・モハ43型半流車はモハ52系と元もとのモハ43型のデザインを折衷したものであることから’合の子’というニックネームがあたえられた
・・これによりモハ52系3編成とこのモハ43系2編成の計5編成により京都・神戸間の急行電車の運行がまかなわれた
1937.10.20
阪神急行電鉄、神戸線 武庫之荘駅 開業
・・当初の駅名は’武庫ノ荘’とカタカナを使用する予定であったが創業者 小林一三(1973~1957)により、駅名にカタカナは使用せぬようにと指示をうけ’武庫之荘’となった。なお、小林の死後においてもこの指示は遵守され続けられ阪急線にはカタカナ使用の駅名が存在しない
1937.12.1 
鉄道省・阪和電気鉄道・南海鉄道、’黒潮’号 廃止(行楽列車を廃止)
1937 
阪和電気鉄道、社長の木村 清(1978~1937)が株主総会の日の朝に自殺
・・阪和電鉄は1932年より黒字の決算をだせるようになっていた。木村は利益を内部留保すべきだと考えていたがそれを株主に上手に説明できず悩んでいたためといわれる
・・こののち専務であった平松憲夫が会社をとりまとめる 
 
昭和13年
1938.1.28 
三木電気鉄道、鈴蘭台―三木福有橋(現・三木) 全通 
1938.2.1
大阪電気軌道、長谷線(桜井‐初瀬) 廃止
・・初瀬駅は桜井市コミュニティバスの初瀬観光センターバス停付近にあった
1938.4.21 
大阪市電気局、地下鉄御堂筋線、難波―天王寺 開業 
1938.7.4~5
(阪神大水害) 
1938.9.10 
南海鉄道、難波-天下茶屋間 高架複々線化完成
・・現在高野線として使用されている部分には南海線の区間列車(難波―住吉大社)なども運転されていた
1938.9.22 
鉄道省、山陽本線、兵庫―鷹取間 5線化
・・現在も同区間は5線となっている
・・このうち1線は兵庫駅に和田岬支線用の地平の線路があり、これと鷹取駅とを結ぶための線路である。鷹取駅北側には鷹取工場があった
1938.9月末
阪和電気鉄道、9月末決算において株主に対して利益配当(3%)をだす

昭和14年
1939.3.21 
阪神電気鉄道、梅田付近を地下化し、梅田駅を300m東方にずらす
・・この地下線化建設工事にかかった費用は当時1000万円ほど要したという。現在の金額に直すと100億円ほどになる 
1939.10.15
鉄道省、城東貨物線(片町線)放出―(関西本線)八尾 開業
・・この約70年後の2008.3.14に’おおさか東線’として旅客線化 
1939.11.18
田中車輛㈱、設立 (株式会社化)
・・のち1945.11に近畿車輌㈱と改称している 

昭和15年
1940.3
田中車輛、尼崎工場(阪神車庫敷地内)にあった設備を徳庵工場に移転 
1940.10.15
山陽電気鉄道、網干線 飾磨―夢前川 開業
・・この頃付近に多くの軍需工場が建設され、それに伴う工員輸送のため開業
 
昭和16年
1941.7.6
山陽電気鉄道、網干線 天満‐電鉄網干 延伸開業
・・これにより網干線が全通となる
1941.8 
(配電統制令 施行)
・・関西地区においては関西配電㈱が設立され、電鉄会社や大都市の電気局の配電事業が移管されることになった 
1941
梅鉢車輌㈱、帝国車両工業㈱に改称
・・戦後も南海電鉄などに多くの電車を納入した 
  
昭和17年
1942.5.10 
大阪市営地下鉄、大国町―花園町(1.3Km) 単線にて開業
・・複線による営業は6年後の1948.4.3である
・・この区間の着工年月日は開業の9年前の1933.6.23である。これは関西本線を地下でくぐるため御堂筋線と同時に施工されたためである
1942.5.19 
神戸市電気局、神戸市交通局に改称
・・関西配電㈱に配電事業を譲渡したことに伴う改称である。このころ他都市においても電気局が交通局に改称された 
1942.10.1
鉄道省 駅名改称 (山陽本線)
 ●那波(なば) ⇒ 相生
 ・・相生市制発足による
 
昭和18年
1943.2.1 
関西急行鉄道㈱、大阪鉄道㈱を合併
・・大阪鉄道は現・近鉄南大阪線と その支線を経営していた会社である。すでに大軌系列の会社となっていた
1943.7.1 
鉄道省、有馬線(三田―有馬) 休止
・・線路などは篠山線建設などに転用された 
1943.8.31 
神戸有馬電気鉄道、バス事業(当時すでに運休)の営業権を神姫合同自動車に譲渡
・・1938.8に施行された陸上交通調整法において兵庫県の北摂地域は神戸有馬電気鉄道が主体となり戦時統合をすすめるべきとされていた。しかし同社が周辺のバス会社を統合していくことはなかった 
1943.10.1 
阪神急行電鉄と京阪電気鉄道が合併し、京阪神急行電鉄となる (戦時統合)
・・このとき京阪側では新会社名を’京阪神電気鉄道’とするよう希望したが受け入れられなかった 
1943.11.21
阪神電気鉄道、武庫川線、武庫川―洲先 開業
・・洲先駅の南方(海側)にあった軍需工場(川西航空機)への工員輸送のために建設された
・・1944.8.17に武庫川-武庫大橋 開業
・・1944.11.15に洲先―(東海道本線)西ノ宮間に1067ミリ軌間の貨物線が 開業(武庫大橋―洲先間は3線軌条)
1943 
田中車輛、徳庵工場全体が完成 
 
昭和19年
1944.2.11
六甲山架空索道(=阪急系)、六甲ロープウェイ 運転休止
・・のち、終戦間際に撤去され、戦後復活開業せず
1944.2.11
六甲越有馬鉄道(=阪神系)、六甲ケーブル 運転休止
・・のち、撤去直前に終戦となりスクラップとならずに済む 
1944.4.1 
運輸通信省(国有鉄道)、山陽本線、西明石駅 開業
・・駅南方には川崎航空機明石工場があり戦闘機を生産していた。工員輸送の駅としてスタートした。なおこの当時この駅から大久保・姫路方面に向かう列車には乗ることができなかった。なお駅南方の工場は戦後川崎重工業のオートバイの工場として再出発した 
1944.4.20 
山陽電気鉄道、ダイヤ改正
●特急列車の運転を廃止 
1944.5.1
南海山手線、国有化され(運輸通信省)阪和線となる 
1944.5 
出石鉄道(江原―出石) 線路等を供出し撤収
・・のち戦後に復活運動があったが実現せず1970.7.20に正式廃止
1944.6.1 
関西急行鉄道と南海鉄道が合併し、近畿日本鉄道となる (戦時統合) 
1944.8.1
運輸通信省、阪和線羽衣支線 単線化
1944.8.17
阪神電気鉄道、武庫川線 武庫川‐武庫大橋 延伸開業
・・狭軌・標準軌の3線軌道である
1944.11.1
運輸通信省、関西本線、王寺―奈良間 単線化 
1944.12.1 
東海道線、京都~膳所間、3線化
・・東行きが2線、西行きが1線であった。東行きに上りの勾配があり蒸機貨物列車の低速が線路容量に影響したため増設された
・・のち1956.11.19の電化時に2線にもどる
・・1970.3.9に複々線化
1944.12.10
愛宕山鉄道、嵐山‐清滝 全線廃止
 
昭和20年
1945.2.1 
山陽電気鉄道、須磨ー塩屋間の併用軌道(上り線)が専用軌道化
・・それまで須磨駅の西には道路上に一の谷と敦盛塚の2つの電停があった 
1945.7.7
国有鉄道、明石電車区が空襲の被害を受ける
・・流電のモハ52006が焼失する。(この車両は修復されず流電は5両となる)
・・明石市街が計6回の空襲の被害を受けたがこの時のものが最も大きく126機もの爆撃機が襲来した
1945.7.10
(堺市街、大空襲をうける)
・・これにより、南海本線の堺駅は旅客営業を中止し貨物駅となる
 (旅客営業は隣駅の龍神駅で行う)
1945.8.15
(終戦)
1945.8.25
六甲ケーブル、営業再開
・・戦時中に鉄材供出のため撤去指示がでていたが人手不足のため撤去されずに済んでいた
・・一方摩耶ケーブルと六甲ロープウェイは撤去された
1945.12.21
奈良電気鉄道、伏見‐桃山御陵前間の線路を京阪丹波橋経由に改める 
・・従来の堀内(=現・近鉄丹波橋駅)経由の線路は貨物用として残す堀内―桃山御陵前間の1線を除き撤去された
・・また同時に、奈良電気鉄道の列車が京阪線の三条駅に乗り入れ開始

昭和21年
1946.2.6 
山陽電気鉄道、須磨-塩屋間の併用軌道(下り線)も専用軌道化 
1946.2.18
運輸省、ダイヤ改正 
 ●阪和線、蒸機(C58,8620)牽引の客車・客車代用貨車混結列車 運転
  開始(4往復ほど)
 ●阪和線、急行電車 運休
・・蒸機列車の運転は補修資材の供給不足に伴う稼働車両の減少による。またこの蒸機運転の背景には当時の阪和線車両の電気部品の規格が国有鉄道と異なっていた事実があげられる
1946.5 
近畿日本鉄道難波営業局(現・南海電気鉄道)高野線、汐見橋―河内長野にてC10001型蒸気機関車による急行列車運転
・・このC10001型機関車はもともと石原産業㈱が中国・海南島の燐鉱山の鉄道向けに製作されたものである。戦局悪化に船積不能となり三重県四日市の同社工場専用線にて使用された。のち終戦後用途がなくなり放置されていたが近畿日本鉄道が目をつけ、当時近鉄の一部であった南海高野線に導入した。これには南海鉄道におけるC58や8620型蒸機の運転実績が反映している
・・のち車両需給事情がよくなり1949.8に終了 
   
昭和22年
1947.1.9 
神有電気鉄道㈱、三木電気鉄道㈱を合併し神有三木電気鉄道㈱に改称 
1947.2 
淡路交通、鉄道線電化 
1947.3.7
京阪神急行電鉄㈱、百貨店部門を阪急百貨店㈱として分社化
・・独占禁止法施行に従い実施したわけではないが、当時の時代の流れにしたがったものだといわれる
1947.3.15 
高野山電気鉄道㈱、南海電気鉄道㈱に改称
・・南海の近鉄からの独立は、形式的には高野山電気鉄道㈱(高野下駅以南を運営)が旧・南海鉄道の路線を近鉄から譲受するという方法を採った。事務手続きの簡略化を図ったためといわれる
1947.5 
ナニワ工機、設立 (兵庫県尼崎市)
・・戦時中は軍需工場(住友金属工場の一部、飛行機のプロペラを製造)であったが、戦後阪急系の鉄道車両メーカーとなった
・・ナニワというのは当時の住所名が尼崎市東難波であったところからきている(しかし1955年3月に住所表示が変更され尼崎市扶桑町となっている)
・・のち1970.10にアルナ工機に改称された 
1947.6.1 
近畿日本鉄道㈱、旧・南海鉄道㈱の路線を南海電気鉄道㈱に譲渡
・・南海が近鉄より再独立した 
1947.7.1 
神戸市交通局(市バス)、箕谷―衝原(つくはら) 運行開始
・・このころ神戸市は大幅な市域拡張をおこなった。それに伴う路線開設である 
1947.7.25
運輸省(国有鉄道)、信楽線 運行復活
1947.10.1 
山陽電気鉄道、須磨浦公園駅 臨時駅として開業
・・当時のホームは上りのりばが現在のY線の車止め付近にあり、下りのりばがポイント付近にあった
・・1948.9.30 正式駅に昇格
・・1957.9.18 須磨浦ロープウェイ開業に伴い東方(現在地)に移転
1947.10.8
近畿日本鉄道、上本町-名古屋間に座席定員制特急(所要4時間3分・2往復)運転開始
(この特急に関して’座席指定制’と表現した文献は実に多いがそれは正しくない。この時点では座席指定制ではなく座席定員制である)
・・座席定員数のみの特急券のみを発売するという方法が採られた。名阪間の座席料金は30円であった(現在の物価に直すと500円程度である) 
・・当時は名古屋線は狭軌であったので伊勢中川でのりかえを要した
・・列車の愛称は上本町発が’すずか’、名古屋発が’かつらぎ’と命名された
・・車体の塗色は下半分がブルー、上半分がクリーム色であった
・・所要時間は4時間3分であったので現在の甲特急のちょうど2倍かかったことになる
・・座席指定制が採用されるのは2年後の6月25日のことである
1947.5 
ナニワ工機㈱、設立
・・阪急系の車両製造会社である。戦時中は住友金属㈱の工場の一部であり飛行機のプロペラなどを生産していた
・・のち1970.10にアルナ工機㈱に改称 

昭和23年
1948.3.8
尼崎市、市営バス 運行開始 (高洲‐鶴町、1.6Km)
・・電気バス3台を使用して運行
1948.6.25
近畿日本鉄道 、今里―上六(上本町6丁目) バス営業開始
・・阪急バス、南海、近鉄の3社が大阪市との協定により’第一次乗入れ’を
実現
・・これまでは免許の関係で民営のバスは市内中心部へ乗り入れることがほとんどできなかった
1948.10.21 
山陽電気鉄道、架線電圧を1500Vに昇圧 
 
昭和24年
1949.1.1 
東海道線、神崎駅が尼崎駅に改称 
1949.1.5
伊丹市、市営バス 営業開始
・・電気バス4台を使用して運行
1949.1
南海電気鉄道、軌道線の集電装置をポールからビューゲルに変更
・・ただし一般的な泰平式でなくポールの先端を二又にしてシューをつけたものを採用
1949.3.25 
国鉄、ダイヤ改正
●阪和線、急行電車運転再開 (ただし臨時列車扱い)
1949.4.10 
国鉄、京都―大阪間に急行電車(急行料金不要、現・快速)復活運転開始
・・同年6月1日には京都―神戸間に拡大 
1949.4.15 
山陽電気鉄道、ダイヤ改正
・・兵庫・姫路間に特急列車運転開始
 ●新鋭820型クロスシート車を使用し1時間ヘッドで運行された
 ●停車駅は長田、明石、飾磨の3駅に絞り所要75分とした
 ●当初は山陽本線が不便なため大変好評で客の長い行列ができたという
1949.4.30 
神有三木電気鉄道㈱、神戸電気鉄道㈱に改称 
1949.6.25 
近畿日本鉄道、特急列車の座席定員制を座席指定制に改める
・・座席指定券の販売は近鉄上本町、名古屋駅のほか、名古屋丸栄、大阪・神戸の日本交通公社でおこなわれた 
1949.8 
京阪自動車、大阪市との協定により天六までバスを乗入れる(第一次乗入れ)
1948.8
近畿日本鉄道、特急列車を1往復増発
・・同時にスピードアップを施し上本町・名古屋間3時間25分とする 
1949.9.27 
京阪神急行電鉄、株主総会において社長 太田垣 士郎(1894~1964)が営業エリアを東部ブロック(現・阪急京都・宝塚・神戸線等)と西部ブロック(現・京阪本線等)に分離するのが最良の結論であるとの説明をおこなう
・・この時点ではすでに南海が近鉄から再独立し、関東では京急・小田急・京王帝都が東急から分離を達成していたので同様な希望が旧京阪側にはあったものと考えられる。しかし阪急側には新京阪線(現・京都線)を旧京阪側経営陣に返す意思はなかったことになる。
・・またこの時期、阪急の創業者 小林一三は公職追放中(1946.3~1951.8)であったので各種の文献上において同氏の具体的な言動などは見い出すことはできないが同氏の意見などを加味したものでないとは考えがたい
1949.10.1 
神戸電気鉄道、有馬―三田 バス営業開始
・・旧・(国有鉄道)有馬線を補完する路線といえる 
1949.12.1 
京阪電気鉄道㈱、京阪神急行電鉄㈱より分離独立
・・このとき、もと京阪電気鉄道の路線であった新京阪線(現・阪急京都線)と千里山線、嵐山線は京阪神急行に残したまま独立した。1943年の統合時において業績のちがいがあり旧・京阪側経営陣の力が弱かった。取締役の数も旧・阪神急行14名に対して旧・京阪は9名であったという
1949.12.3 
京阪神急行電鉄、京阪神京都(現・阪急大宮)―神戸(現・神戸三宮) 間に直通特急運転開始
1949前後 
この頃、戦時中に強制的に買収され国有化された私鉄の払い下げ運動が高まっていた
・・関西においては南海電気鉄道が阪和線の払い下げを強く希望したという。
また旧・播丹鉄道線(加古川線及び支線)も払い下げがのぞまれていた。しかし反対意見も多く実現に至らなかった 

昭和25年
1950.7.31 
京阪自動車㈱・阪急バス㈱、京阪自動車の淀川北岸のバス路線を阪急バスに譲渡する契約が成立
・・前年12月に京阪電気鉄道㈱が淀川南岸の鉄道路線(京阪本線など)をもって京阪神急行電鉄㈱から独立したのであるが、これに付随して系列のバス会社も営業エリアの変更をおこなうことになった。これにより阪急バスは阪急京都線沿線にも事業を拡大することになる
・・なお、淀川をまたぐ路線については京阪自動車がひきつづき担当することとなった。実際阪急高槻市駅、茨木市駅前において京阪バスのすがたをよく見かける一方で京阪枚方市駅前においては阪急バスをほとんど見かけないのはこの時の契約によっている
・・実際の営業路線のひき渡しは翌年1951.6.1である 
1950.8 
国鉄、京阪神間急行電車をモハ52系・43系よりモハ80系4連におきかえ開始
・・塗装は関西急電色といわれるマルーンとクリームの2色塗りであった。しかし6年後の東海道本線の全線電化時において湘南色に塗りかえられてしまっている
1950.9.1 
京阪電気鉄道、特急列車運転開始 (1日2往復)(京橋・七条間ノンストップ)
・・1000系電車を使用、所要時間は53分であった 
1950.10.1 
国鉄、ダイヤ改正
 ●阪和線に52系’流電’、および43系’合の子’が転入、’特急’に充当 
1950.10.11
おとぎ電車(天ヶ瀬駅-堰堤駅、3.6Km)、開通 (京都府宇治市)
・・元もとは志津川発電所と上流にある大峰堰(ダム)間の資材運搬鉄道として1920年に建設された。軌間は610ミリであり直流600Vで電化されていた。
・・1950年に事務手続きの煩雑化をさけるため、地方鉄道法などの適用はせず遊園地の遊戯施設と同じ扱いで旅客営業した。1953.9.26に台風の被害を受け一時運休するが1954.4.1に営業再開している
 (運営は京阪電気鉄道がおこなっていた)
・・天ヶ瀬ダムの建設により1960.5.31に営業運行終了
・・なお’おとぎ電車’とよばれた鉄道は、同じころから関東地方にも存在していた。こちらのほうは西武鉄道により1984年まで営業運行がつづけられた(現在の西武山口線は新交通システム化されている)
1950.12.20
京阪神急行電鉄、810系電車 新造
・・車長が19m、車体幅が2.7m であり、この寸法が神戸線・宝塚線車両の基本規格として引き継がれていくことになった
・・810系のうち最初の8両は扉間に計10のボックスシートが設置されていて、複電圧装置を備え京都線(1500V)と神戸線(当時600V)の両線運転可能であったため京都―神戸間直通特急に使用された
1950.12.25
国鉄、片町線、四条畷―長尾間 電化 
1950
神戸市交通局、市電の集電装置をポールからビューゲルに置きかえる
1950
近畿日本鉄道、奈良線 小阪車庫を八戸ノ里に移転

昭和26年
1951.2.6
明石市交通部、市営バス営業開始
1951.5.3
(大阪府寝屋川町、市制を実施 寝屋川市となる)
1951.6.1 
阪急バス㈱、京阪自動車㈱より阪急京都線沿線のバス路線を譲受し営業開始
・・ただし淀川をまたぐ路線についてはひきつづき京阪自動車が運行するものとした
1951.7.7 
南海電気鉄道、高野線、特急’こうや’号(難波―極楽橋) 運転開始
・・車両は1251系を使用 
1951.8.20
京阪電気鉄道、寝屋川駅を寝屋川市駅に改称
1951.11.30
国鉄、東海道線、米軍専用車(白帯車)(京都向きのクハ) 廃止
1951.12.12
国鉄、赤穂線、相生―播州赤穂(当時は非電化) 開業
・・播州赤穂駅が単に赤穂駅とならず直前に’播州’がつけられたのは当時国鉄飯田線の駒ヶ根駅が赤穂駅(ただし’あかほ’とよむ)と称していて混同を避けるためであった
1951.12.12
赤穂鉄道(有年―播州赤穂、軌間:762ミリ)、全線廃止
・・国鉄赤穂線の開業に伴い使命を終えることになった
・・廃止時点では経営面ではなんら問題はなかったといわれる 
1951.12.20
大阪市交通局、地下鉄1号線 天王寺‐昭和町(1.7Km) 延伸開業
・・コンクリートなどの資材が統制により充分でなかったため、現在の谷町線との交差地点以南は開溝式となっていた
1951.12.28
神戸電気鉄道、三木‐小野 開通 
1951 
国鉄、東海道線、80系急行電車(現・快速)を5両編成化 
 
昭和27年
1952.4.10 
神戸電気鉄道、小野‐粟生 開通 (粟生線全通)
・・これにより国鉄加古川線、北条線と接続
1952.5.27 
国鉄、京都駅(3代目駅)落成式挙行 
1952.6.8
能勢電気軌道、多田駅付近が専用軌道化される
・・この専用軌道化は国道のほうが西へ移転し軌道の方は従来のままである
1952.7.26
神姫合同自動車、神戸‐篠山線 運行開始
1952.9.1 
国鉄、阪和貨物線(関西線竜華操車場(八尾市)-阪和線杉本町)開通
・・天王寺駅を経由せずに関西線と阪和線を結ぶ貨物線として建設された
・・この貨物線に定期旅客列車が短期間設定されたことがある。1965年10月1日のダイヤ改正で名古屋―(関西線・阪和貨物線経由)-和歌山間にキハ
80系DC特急’あすか’号が運転された(1967.9.30まで)
・・のち、この貨物線は2004年休止、さらに2009年廃止となる
1952.12.19
山陽電気鉄道、ダイヤ改正
●特急、高砂駅に停車開始 

昭和28年
1953.4.1 
京阪神急行電鉄、ダイヤ改正
●神戸線、特急を10分ヘッド運転化
・・この形態で70年以上続いたことになる
1953.5.1
国鉄、片町線 忍ケ丘駅 開業 (四条畷・星田間)
・・1面1線の構造である
1953.5
京阪電気鉄道、ダイヤ改正
●特急が20分ヘッド運転となる
1953.9.1 
大阪市交通局、トロリーバス(大阪駅前-神崎橋) 運転開始 
1953.10.1 
山陽電気鉄道、ダイヤ改正
●特急、東二見駅に停車開始
●特急、30分ヘッド運転となる
1953
京都バス、(嵐山方面より)京都駅前に乗り入れ開始
 
昭和29年
1954.4.20
山陽電気鉄道、姫路駅高架化
・・山陽百貨店は先行して1953.7.1に営業開始 
1954.7.28
京阪電気鉄道、特急電車にてテレビ受像開始
1954.8.13 
阪神電気鉄道、3011型2扉クロスシート 車、営業運転開始(当初3両編成)
・・正面が2枚窓の当時流行していたスタイルであった。室内のクロスシートの採用は1950年登場の阪急810系の影響を受けたものと思われる
・・一方同社社史によると阪神間の1日当たりの直通旅客数は1952年が平均4257人であったのが、この新型特急運行により1955年には8821人になり倍増したという。まぎれもない集客面における’功労車’であった
1954.9.15
阪神電気鉄道、ダイヤ改正
 ●9時~16時台に梅田・三宮間ノンストップとなる特急運転開始(20分毎) 
1954.9 
京阪電気鉄道、1800系特急車の一部でテレビ放送開始
1954.10.23
奈良電気鉄道、ダイヤ改正
●特急列車 新設(京都‐奈良)
1954.11.30
京阪電気鉄道、天満橋―片町間の併用軌道が専用軌道にかわる 
1954.12.15
大阪市交通局、地下鉄1号線 全列車4両編成となる
   
昭和30年
1955.1.25 
国鉄、片町線、片町―鴫野間 複線化
1955.3 
近畿日本鉄道、800系竣工
・・車体はスイス・車両エレベーター製造社と技術提携し準張殻構造とよばれる軽量車体が採用され、窓もフレームレスのものが採用され同社の設計手法が踏襲された
(スイスの’車両エレベーター製造社’は所在地がシュリーレンというところである。日本では’シュリーレン’が会社の名称のようにとらえられていたりするがいわゆる’通称’にすぎない)
・・また、塗装においても(近鉄)マルーンによる一色塗りとなった。これは一説によるとスイスの登山鉄道からヒントを得たともいわれている。この塗装はほかの車両にも波及し1980年代までの標準塗装となった
(それまでの近鉄電車の標準色は濃緑色一色塗であった)
1955.4.21 
南海電気鉄道、龍神(りゅうじん)駅と旧・堺駅統合し堺駅を新設
・・旧・龍神駅は現在のフェニックス通りと交差する地点付近にあった
・・なお、このときに線路のルートも西に移動し直線状に変更されている
 (以前は龍神駅の前後にカーブがあり、ややS字状の線形であった)
・・龍神駅が廃止された理由としては、この時のルート変更の時点で新たに2面4線用の土地の確保ができなかったことによると考えられる
1955.8.1
国鉄、桜井線 巻向駅 開業
1955.8 
南海電気鉄道、南海本線 羽倉崎に車庫開設
1955.10.1
尼崎市交通局、運賃を区間制から均一制に変更
1955.11.29
国鉄、阪和線、70系電車(セミクロスシート車) 運転開始
・・当時の車体色は緑1号とクリーム3号であり横須賀色とは異なる 
 
昭和31年
1956.5.6
南海電気鉄道、和歌山港線(和歌山市‐和歌山港) 開業
・・このうち久保町‐和歌山港間は和歌山県からの借り入れ線路である 
1956.5.6 
南海観光汽船、和歌山・小松島(徳島県)間に航路開設
・・当時南海電鉄では和歌山経由による四国方面へのルートづくりに熱心であった
・・そのころ同社では創立70周年記念事業として3つのプロジェクト(みさき公園開園、南海会館ビル建設、四国航路)が計画されそのうちのひとつである
・・のち同年11月に南海観光汽船㈱は南海汽船㈱に改称 
1956.6.1 
大阪市交通局、現・四つ橋線 花園町-岸里(きしのさと) 開業
・・このころは地下鉄建設も1駅ごとに延伸されている。
1956.7.15 
国鉄、関西本線の準急を気動車化 
1956.8.11
阪急バス、阪急六甲‐六甲山ホテル 運行開始
・・のち、2023年3月に運行終了
1956.8.11
神戸市交通局、阪急六甲‐ケーブル山上駅 運行開始
1956.12.8 
近畿日本鉄道、上本町―布施 複々線化
・・この時点では線路別複々線である 
1956.12.21
近畿日本鉄道、奈良線(上本町-奈良)、特急(座席指定ではない)運転開始
・・停車駅は鶴橋、大和西大寺のみであり30分で走破した
・・車両は2扉の18m車3連(800系)であった。
 また車体幅(2450ミリ)も旧生駒トンネルにあわせた狭いものであった
 (新生駒トンネルの使用開始は1964年7月23日である)
1956~1963
山陽電気鉄道、2000系 竣工
・・このシリーズは合計24両(3連、8編成)ながら同一型式とは思えないさまざまなバリエーションがあった。試作的な要素があるが以下にあげてみる
●運転室貫通扉の有無によるつくり分け
●車体素材(普通鋼、ステンレス鋼、アルミ)別によるつくり分け
●扉数(2扉か3扉か)による作り分け
●室内のシート(ロングかクロスか)によるつくり分け
・・結局、神戸高速鉄道乗り入れに伴い3扉ロングシート車増備(3000系)で結実をみることになった
 
昭和32年
1957.4.3 
近畿日本鉄道、東野田4丁目―天満橋 バス営業開始
・・大阪市との協定による 
1957.9.18
山陽電気鉄道、須磨浦ロープウェイ(須磨浦公園‐鉢伏山上) 開業
1957.9.25 
国鉄、高槻駅、大阪、芦屋駅に退避設備を設置、使用開始
・・このうち、上記退避設備の設置は長距離列車の増加に対応する措置として国鉄本社の指示によりおこなわれたものである。これより以前は外側線を’緩行線’と称して各停電車と貨物列車が走行し、内側線(急行線)をそれ以外の列車が走行していた。
・・この時点から外側線を本社設定列車、内側線を大阪鉄道管理局設定列車を走行させることとなった。内側線には各停電車と快速が’同居’することになり、緩急退避設備を要することになったためである
・・なお、芦屋駅のこれ以前の配線は現在の西宮駅・茨木駅と似たスタイルであった
・・またこれ以前の急行(現・快速)電車は京都―大阪、大阪―三ノ宮間は無停車であった
1957.10.1 
国鉄、ダイヤ改正
●大阪―名古屋間の準急を80系電車(300番台)化し3往復に増強
 (この列車は翌月’比叡’と命名)
● 料金不要の急行(電車)を快速に改称
1957.10.1
山陽電気鉄道、ダイヤ改正
●特急列車を須磨駅に停車とする
●特急列車の運転を20分ヘッド化
1957.10 
近畿日本鉄道、南大阪線用6800系 竣工
1957.11.1 
和歌山鉄道㈱、和歌山電気軌道㈱に合併される
・・この鉄道線は、のちの南海貴志川線である
1957 
大阪市交通局、守口車庫前―今里 トロリーバス運行開始 
1957 
京都・鞍馬寺、参拝客用ケーブルカー運転開始(仁王門―多宝塔) 

昭和33年
1958.1.26 
南海汽船、紀伊水道航行中に沈没
・・この少し前に国鉄の連絡船の沈没事故(青函連絡船洞爺丸(1954年)、宇高連絡船紫雲丸(1955年))があり、経験の浅い私鉄が海上輸送に手をひろげたことに対して当時のマスコミによる批判の対象となった
・・南海丸はのちに海中より引きあげられ、なると丸として再起された
1958.3.1
大阪市交通局、トロリーバス4号線(新深江‐阿部野橋、7.4km) 開業
1958.4.10 
国鉄、山陽本線、西明石-姫路 電化 
1958.5.31 
大阪市営地下鉄、四つ橋線、岸里―玉出 開業
1958.6 
近畿日本鉄道、10000系特急車(ビスタカーⅠ世) 竣工
・・中間車の一部は2階展望車となった
・・1958.7.11に営業運転開始
1958.7.7
阪急バス、宝塚‐有馬線(塩瀬経由)名塩東口‐東久保間 経路変更
・・R176の道路改修による
1958.10.13
近畿日本鉄道、名古屋線の軌間拡幅(1067ミリ→1435ミリ)を決定
・・これより2年前の1956年11月19日に国鉄東海道線の米原―京都間が電化されていて、さらに新型特急列車の導入が発表されると、大阪ー名古屋間が競合する近鉄においては大きな危機感を抱いていた
・・のち1959年に伊勢湾台風が襲来し、近鉄名古屋線は大きな被害を受けた。この時当時の社長佐伯 勇(1903~1989)の指示により、改軌工事が復旧に合わせ前倒ししておこなわれた。
1958.11.1
国鉄、名古屋‐湊町間の準急(関西本線経由)につき、’かすが’と命名
1958.12.1
国鉄、阪和線につき、列車種別呼称を変更
●特急       ⇒ 快速
●急行および準急 ⇒ 直行
 
昭和34年
1959.2.18 
京阪神急行電鉄、梅田―十三間に京都線用の新線開通(同区間三複線化)
・・神戸線用橋梁の完成時(1936)以降に淀川の堤防の補修工事(1939~1952)があったため京都線の橋梁はすこし高くなっている 
1959.3.1 
近畿日本鉄道(バス)、本町4丁目-天満橋―生駒山上 直通急行便運行開始 
1959.9.26 
近畿日本鉄道、伊勢湾台風により名古屋線に不通区間多数発生 
1959.11.27
近畿日本鉄道、名古屋線全線と一部支線、復旧・標準軌化完了
1959.12.12
近畿日本鉄道、名阪特急 直通運転開始  
1959.年末
近畿日本鉄道、大阪線 1471系電車 竣工
・・大阪線初の4扉車が登場する。塗色はベージュに窓下青帯
  
昭和35年   
1960.4.1 
有馬温泉・兵衛旅館向陽閣、兵衛旅館鋼索鉄道(地方鉄道法準拠の宿泊客用ケーブルカー)(萬年駅(駐車場奥)-蓬莱駅-向陽駅、0.1Km) 開業 
・・1980.3.21 廃止
・・なお、開業年に関していえば、同旅館HPには1957年とあるがそれは正しくはない  
1960.4.22
能勢電気軌道、妙見ケーブル線(黒川‐ケーブル山上) 再開業
・・戦前にすでに開業していたが戦時中に撤去されていた
・・のち2023年6月、1年以内に廃止することが発表された(廃止届提出)
1960.8.22
国鉄、東海道・山陽線、快速電車に1等車(グリーン車)連結開始
1960.8.27
神戸電気鉄道、300系クロスシート車(2両編成、2本)竣工
・・クロスシートは11年後の1971年には撤去されロングシート化された
1960.9.15
阪神電気鉄道、ダイヤ改正
●デイタイムの特急を20分おきから10分おきにあらためる
●特急停車駅に西宮、芦屋、御影を追加する
●デイタイムの各停はすべてジェットカー(5000系など)による運行とする
●デイタイムの急行は西宮以東の運行とする 
1960.9.15
近畿日本鉄道(バス)、2階建バス’ビスタコーチ’を上六-石切神社間にて運行開始 
1960.10.1
国鉄、城東線 101系電車 営業運転開始
・・東京地区より約3年遅れての運転開始となる
1960.10.6
 大阪市都心部にて一日中にわたり交通マヒが発生

昭和36年
1961.3.30 
国鉄、赤穂線、相生―播州赤穂 電化
1961.4.25
国鉄、城東線を新設区間との環状運転に改め、大阪環状線と改称
1961.4.27 
神姫自動車・神戸市交通局・神戸電気鉄道(バス)、三宮―有馬 運行認可
1961.5.25 
神戸電気鉄道㈱、京阪神急行電鉄㈱と事業提携
・・この時点より阪急の不動産開発のノウハウを取り入れ阪急式の経営を採用する。しかし無配の状態はこれ以降も続き配当を出すに至ったのは1971年上半期である
・・この10年間は乗客も増加していったが設備投資が増大し経営状態はよくなかった。
1961.5 
近畿日本鉄道(バス)、梅田(東梅田)まで乗入れ開始
1961.6.15 
国鉄、西明石駅を現在地へ移転
・・それ以前は現在の花園小学校の真北あたり(現在地より少し東)にあった 
1961.7.1
(日本ドリーム観光㈱、奈良ドリームランドを開業) 
・・のち、2006年に閉園
1961.7.5 
南海電気鉄道、20000系’こうや’号 営業運転開始 
1961.8.1
京都市交通局、市電北野線(狭軌) 廃止
1961.11.1
南海電気鉄道㈱、和歌山電気軌道㈱を吸収合併
・・これにより、和歌山軌道線と貴志川線が南海の直営路線となる
1961.12.11
大阪市交通局、地下鉄4号線(現・中央線) 大阪港‐弁天町(3.1Km)開業
・・このころは1両編成である

昭和37年
1962.2 
近畿日本鉄道、20100系修学旅行専用電車(あおぞら) 竣工
・・3両編成5本がつくられた 
1962.4.4
近畿日本鉄道、20100系電車 運転開始
・・団体専用車であり、’あおぞら号’という愛称がつく
1962.4.7
南海汽船、水中翼船つばさ号就航 (神戸―大阪-和歌山-白浜) 
・・所要は3時間45分であった
1962.5
山陽電気鉄道、2000系アルミ車(2012+2506+2013) 竣工
・・日本初のアルミ製の電車である 
1962.7.1 
神戸市交通局・神姫自動車・神戸電気鉄道、三宮‐有馬温泉(平野経由) 運行開始 (認可日:1961.4.27)
・・のち、2024年春に廃止
1962.7.25阪急バス、豊中西宮線 運行開始
・・のち、2023.11に廃止
1962.9.21
国鉄、天王寺駅、民衆駅(地上5階)として生まれ変わる 
1962.12.1 
阪神電気鉄道、尼崎海岸線、出屋敷―高洲(1.0Km) 廃止
・・同線を横切るR43(第二阪神国道)建設に伴い廃止となる 
・・なお、これに伴う補償金により阪神本線にセンタープール前駅が建設されている
1962.12
奈良電気鉄道、小倉駅 新幹線中間駅タイプの退避駅となる
・・ただしこの退避設備は向島駅に待避線開設にともない1984年12月に廃止となる 
1962 
大阪市営地下鉄堺筋線建設において相互乗り入れを行う私鉄事業者に関して(阪急にするか南海にするか)協議がおこなわれる
・・軌間が阪急と南海では異なり協議は難航した。一時は阪急千里線狭軌化や4線軌条化も検討されたが結局阪急側の規格に合わせられることになる
  
昭和38年
1963.1.1
阪神電気鉄道(バス)、第二阪神国道線(梅田新道‐阪神西宮) 開業
1963.2.1
神戸電気鉄道(バス)、(神鉄)小野駅前―(旧・国鉄鍛冶屋線)西脇駅前 運行開始
・・この区間はこれまで神姫バスの単独運行区間であった。神戸電気鉄道は1951年に鉄道線を小野まで、1952年に粟生まで延伸し、今回バス路線にて西脇まで進出している。この当時は現在とは逆に神鉄のほうが神姫バスの営業エリアに進出していく傾向がみられた
1963.3.31
芦有バス、阪神芦屋‐有馬温泉間に路線バス事業を開始
・・のち1977.9.21に阪急バスに営業譲渡
・・のち、2024.4.1 奥池・有馬温泉間 廃止
1963.4.1
国鉄、関西本線 加美駅 300m西へ移転
1963.4.2
阪急バス、宝塚‐有馬線 舟坂・十八丁橋付近 運行経路変更
・・道路改修に伴うルート変更
1963.4.16
京阪電気鉄道、天満橋-淀屋橋 開業
・・関西における剛体電車線使用の第一号となる
1963.4.25
(大阪駅前に歩道橋新設)
1963.4.25
安治川大橋、開通
・・開通当初は有料であった
1963.5.25
国鉄、桜井線 丹波市(たんばいち)駅を天理市駅に改称
1963.6.17京阪神急行電鉄、京都線 (現)大宮‐河原町 開業
●この時点より昼間時は特急、急行、普通がそれぞれ15分毎の運転となる
●同時に京阪神京都駅を大宮駅に改称
1963.8.29
京阪神急行電鉄、千里線 千里山‐新千里山(現・南千里) 開業
・・このころは新千里山以北は箕面線桜井方面に向け延伸する構想であった。
しかしのちに北大阪急行線が江坂から千里中央まで建設されることになり、千里線の延伸は現在の北千里方面に変更された
1963.9.1
奈良電気鉄道、京都駅 高架化
1963.10.1 
近畿日本鉄道㈱、奈良電気鉄道㈱を合併
・・これにより、近鉄京都線(京都―大和西大寺)となる
・・奈良電気鉄道は当初は京阪の出資もあったが戦後は近鉄の出資比率が高くなっていった
1963.10.18
神戸電気鉄道(バス)・神戸市交通局、国鉄神戸駅(南口)‐鈴蘭台 運行開始 
1963 頃
神戸市交通局、市電を高架化しスピードアップを図ると発表
・・アメリカの高架鉄道がヒントになったようだが実現に至らず

昭和39年
1964.3.22 
国鉄、大阪環状線、新今宮駅 開業 
・・相対式2面2線の構造であり、線路は関西線と共用していた。ただし当時は関西線列車は通過していた
・・なお南海線駅のほうは1966.12.1の開業である
1964.3.22 
国鉄、ダイヤ改正
●大阪環状線、環状運転開始 
1964.3.29阪神電気鉄道、甲子園駅前バスターミナル 使用開始
1964.5.1 
大阪空港交通、大阪空港―京都
       大阪空港―大阪
       大阪空港-神戸(三宮) 運行開始
1964.5.21 
阪神電気鉄道、千鳥橋―西九条 開業
・・これにあわせて伝法線を西大阪線に改称 
1964.5.25 
京阪神急行電鉄、京都線、2800系特急車 竣工
・・1964.6.1 営業運転開始 
1964.6.1
大阪国際空港、ジェット機が発着開始
1964.6.28
国鉄、山陽本線 明石駅が高架化される
1964.7.23 
近畿日本鉄道、奈良線、新生駒トンネル 使用開始 (開業式は前日)
1964.9.11 
国鉄、東海道・山陽線の一部の快速が(80系から)113系に置換えられる
・・なお113系快速においては一部の列車にグリーン車が連結されていた。同車の連結位置は姫路寄り先頭車から数えて4両目であった
(なお京阪神地区快速のグリーン車連結は1970年代の終わり頃までである)
・・全ての快速が113系化されたのは1968.10.1の改正時である 
1964.10.1 
国鉄、東海道新幹線、開業 
1964.10.1 
国鉄、ダイヤ改正
●甲子園口駅につくられた折り返し線を利用した各停列車が運転開始
1964.10.1 
近畿日本鉄道、奈良線 新向谷トンネル(生駒‐富雄間) 開通
・・旧線の南側に新設
・・これにより、奈良線全区間にて大型車(車体幅:2800mm)運転開始 
1964.10.1
近畿日本鉄道、京橿特急(京都‐橿原(かしはら)神宮前) 運転開始 
1964.10.31
大阪市交通局、4号線(現・中央線) 弁天町‐本町(仮駅)(3.7Km) 開業
1964.12.25
南海汽船、和歌山・小松島間にフェリーボート使用開始
・・自動車航送を開始
1964.12 
山陽電気鉄道、3000系アルミ製電車 竣工
・・高運転台を採用したので国鉄153系似の顔立ちとなったが、単にマネをしたのではなく当時同社が踏切事故の多発に腐心していたという背景がある
 
昭和40年
1965.3.1
国鉄、駅名改称 (阪和線)
●金岡 ⇒ 堺市
1965.3.1 
国鉄、ダイヤ改正
●特急くろしお(天王寺‐東和歌山(当時)‐新宮‐名古屋、80系気動車使用)
●特急あすか(名古屋‐奈良‐杉本町‐東和歌山) 
1965.3.18 
近畿日本鉄道、南大阪・吉野線、阿倍野橋-吉野間に座席指定特急運転開始 
1965.3.28 
国鉄、山陽本線、鷹取―西明石 複々線化 
1965.7.1
京阪神急行電鉄、宝塚線 能勢口駅を川西能勢口駅に改称
1965.9.1
国鉄、桜井線 天理市駅付近高架化
・・同時に天理市駅が天理駅に改称
1965.9.15 
阪神電気鉄道、ダイヤ改正
●西大阪特急(西九条―元町)運転開始
・・1968年3月20日に三宮どまり(3番線使用)に変更
・・2~3両編成の短い編成でデイタイムに運行
・・停車駅は、尼崎、西宮、三宮である
1965.10.1 
大阪観光㈱、箕面鋼索鉄道線 開業 (軌間:1076ミリ)
・・当時同社が経営していた箕面温泉スパーガーデンへの足として開業
・・のち1993.4.3限りで休止、同年7.30に正式廃止
・・なおスパーガーデンを経営していた大阪観光は2012年に倒産(民事再生法申請)している。このあと大江戸温泉物語㈱が経営をひきついだ
1965.10.1
大阪市交通局、四ツ橋線(西梅田-大国町) 開業
・・なお、四ツ橋という地名は現在では四ツ橋筋(南北)と長堀通(東西)が交わる交差点の界隈を指す。戦後しばらくまでは四ツ橋筋のすぐ東に西横堀川(現・阪神高速)、さらに現・長堀通の南半分には西長堀川という二つの運河があり直角に交わっていた。そこに交差点の横断歩道のごとくに4つの橋(吉野屋橋、炭屋橋、上繋橋、下繋橋)が架けられていてそれが地名の由来となる 
1965.10.1
国鉄、ダイヤ改正
●急行銀河が神戸始発から姫路始発に変更
1965.12.1 
神戸電気鉄道、有馬線、花山駅 開業 

昭和41年
1966.1.25
能勢電気軌道、車庫を絹延橋から平野に移転
1966.3.1 
神戸電気鉄道、有馬線、谷上・有馬口間 複線化  
1966.3.1 
神戸電気鉄道、有馬線、湊川・有馬温泉間に急行運転開始(所要33分)
・・停車駅は鈴蘭台、大池、有馬口の3駅にしぼられていた
1966.3.1
京阪神急行電鉄、伊丹線 3両編成列車運転開始
1966.3.19
宝塚ファミリーランド、園内にてモノレール(1.3km)運行開始
1966.3
山陽電気鉄道、須磨浦鉢伏山にカーレーター設置
・・カーレーターはゴンドラがエスカレーターのように斜面軌道をを上下する乗り物である
1966.4.1
大阪府営浜寺公園、園内施設として遊覧鉄道運行開始
・・延長1477m(当時)、軌間:762mm
1966.4.17
金剛山ロープウェイ、開業
・・千早赤阪村による運営である
1966.5.1 
神戸市電 、税関線、阪神三宮―税関前 廃止
・・路線廃止の第1号である
1966.5.17 
姫路市企業局、姫路モノレールを開業
・・名目上は姫路大博覧会開催(4月6日~6月5日)にあわせて開業を予定したが姫路駅付近の用地買収に手間取ったため開業が少し遅れた
1966.7.1
神戸電気鉄道、有馬線 唐櫃台駅(六甲登山口・有馬口間) 開業 
1966.10.1
淡路交通、鉄道線(洲本―福良) 廃止 
1966.12.1 
南海電気鉄道、新今宮駅 開業
・・これにより南海電気鉄道の天王寺支線の存在価値が大いに下がる 

昭和42年
1967.5 
国道29号線、全面改修完了
・・以前は兵庫・鳥取県境の区間に未舗装の区間があった 
1967.7.15 
波賀森林鉄道(現・兵庫県宍粟市) 廃業 (トラック便におきかえ)
・・同鉄道は、現在の宍粟市波賀町有賀のスポーツセンターの位置にターミナル駅(上野貯木場)があり、引原川やR29に沿って上流方面にむかって線路が伸びていた。現在は一部がサイクリングロードになっている
1967.8.11
山陽電気鉄道、垂水駅 高架化
・・従来は2面4線の構造であった。国鉄山陽本線の複々線化に伴い用地を捻出させるため相対式2面2線に改められた
1967.8.27 
阪急梅田駅、神戸線のりばが高架化され、新たに7,8,9号線のりばとなる
(第1期工事完成) 
・・ただし、当時の7,8,9号線のりばは、現在はそれぞれ3号線(京都線)、4・5号線(宝塚線)のりばとして使用されているものであり、現在使用中の7,8,9号線のりばとは異なる。現在の7,8,9号線のりばが使用開始となるのはこの2年後の1969年6月22日である
1967.9.1
近畿日本鉄道、駅名改称 (奈良線)
●ラグビー場前 ⇒ 東花園 
1967.9.29
近畿日本鉄道、東花園車庫 完成 (八戸ノ里車庫が移転)
1967.10.1
国鉄、特急’あすか’(名古屋‐東和歌山、阪和貨物線経由) 廃止
1967.12.20
近畿日本鉄道、八木短絡線(新ノ口‐大和八木) 建設工事完成
1967
近畿日本鉄道、南大阪線 6800系(ラビットカー) 近鉄マルーンに塗色変更はじまる
   
昭和43年
1968.2.1 
国鉄、和歌山駅を紀和駅に改称
1968.3.1 
国鉄、東和歌山駅を和歌山駅に改称
・・同時に2つの駅の名称を変更するのは混乱を伴うため2段階に分けられた
1968.3.1 
帝国車両工業㈱、東急車輌製造㈱に吸収合併される
・・のち、東急車輛は鉄道車両の製造拠点を横浜製作所(横浜市金沢区)に集約させた。そのため南海電鉄の新車は落成のたびに東海道をはるばる西下してくることになる
1968.3.19 
国鉄、阪和線、旧・阪和電鉄社形電車の運転をこの日をもって終了
・・旧・阪和型電車のうち2両は大出力を買われ岩手県の松尾鉱業㈱の鉄道線に移籍した。ほどなくして松尾鉱山の閉山に伴い青森県の弘南鉄道に再移籍することになったが昭和の最後まで活躍した
1968.3.20
近畿日本鉄道、奈良線 東生駒駅 開業
1968.3.22
国鉄、関西本線 天王寺‐今宮 4線化
・・新今宮駅付近がこの時点で複々線となる
1968.4.7 
神戸高速鉄道、開業
・・路線と駅施設のみを保有し、現在でいう’第3種鉄道事業者’のはしりといえる存在である
・・これにより、山陽電気鉄道は特急列車の4両編成化を実現している
(それまでは道路併用区間があったため特認による3両編成が限度であった)
1968.4.7
山陽電気鉄道、西代‐兵庫(道路併用区間) 廃止
1968.7.7
能勢電気軌道、隧道東口(信号所)‐妙見口間にときわ台駅 新設
1968.7.15
波賀森林鉄道、運行終了(廃止)
1968.10.1
国鉄、ダイヤ改正 (ヨン・サン・トウ)
●東海道・山陽線の快速が20分ヘッドから15分ヘッドに変更
●東海道・山陽線の快速が全列車113系化
●快速列車(下り)は西明石ゆきと姫路行きの交互運転とする
・・以上は山陽電気鉄道を意識した内容でもある
●阪和線、データイム快速用に103系6連4本が新製投入
●阪和線、列車種別’直行’を ’区間快速’に改称
1968.10.1 
南海電気鉄道、ダイヤ改正
●四国連絡特急の愛称を’四国号’に統一
 (従来は、あわ号、とさ号、きい号などがあった)  
1968.11.1 
神姫自動車・神戸電気鉄道・阪急バス・神戸市交通局(バス)、三宮‐有馬線につき、平野経由から六甲山トンネル経由に経路変更 
1968.11.9 
京阪神急行電鉄、伊丹駅 高架化
・・この駅は伊丹以北への延伸を考慮した構造でホームは2本設置されていた。しかし1995年の阪神大震災で壊滅的な被害を受け解体された
1968.12.5
能勢電気軌道、多田‐平野間を新線に切り替え
・・多田付近は併用軌道であった
1968.12.17
大阪市交通局、2号線(現・谷町線) 谷町4丁目-天王寺 開業
・・これにより2号線は東梅田‐天王寺間の運転となる。所要時間は14分であり御堂筋線より1分速い

昭和44年
1969.4.1
大阪市交通局、市電全廃 
1969.6.22 
阪急梅田駅、神戸線用7,8,9号線のりばが現在地にうつる
1969.7
山陽電気鉄道、須磨浦鉢伏山に行楽施設’ドレミファ噴水パレス’を竣工させる
1963.9.13 
近畿日本鉄道、京都線、京都-東寺間 高架化
1969.9.21 
近畿日本鉄道、奈良線、1500Vに昇圧 
1969.11.1
 (正午) 
江若鉄道、全線(浜大津―近江今津)営業終了
・・のち、路盤の一部が国鉄湖西線となる
1969.10.5
能勢電気軌道、鶯の森‐平野 複線化
・・最高速度が時速40kmから60kmに向上
・・同時に急行列車運行開始
1969.10.16
大阪市交通局、地下鉄各線に愛称を付与
・・たとえば御堂筋線の場合、これまで1号線とよばれていた
1969.11.30
阪急神戸線、第2期工事完了
・・宝塚線用4,5,6号線のりばが高架化される(地平ホームより現在地に移る) 
・・この時点で現・3号線が一時使用停止となる
1969.11.30
京阪電気鉄道、京橋駅 移転高架化
・・それまでは大阪環状線の東側にあり、相対式2面2線であった 
1969.12.9 
近畿日本鉄道、奈良線、油坂(この時点で廃止)-奈良間地下化
・・同駅は4面4線の構造となった
・・それまでは駅部分をのぞき併用軌道であった
・・のち、旧駅の敷地部分には奈良近鉄ビルが建つ  
1969.12.9
近畿日本鉄道、奈良線 新大宮駅 開業
 
昭和45年
1970.2.24
大阪市交通局、地下鉄御堂筋線 新大阪‐江坂(2.9Km) 延伸開業
1970.3.9 
国鉄、東海道線、草津-京都間 複々線化 
1970.3.15
~9.13
(大阪にて日本万国博覧会開催) 
1975.3.15 
近畿日本鉄道、難波線、上本町―難波 開業
・・奈良線列車と一部の特急列車が乗り入れ開始
1970.3.15 
国鉄バス・日本急行バス・日本高速自動車、3バス停 廃止 (名神豊中、名神西ノ宮、名神芦屋)
・・阪神高速3号線(神戸線)にのせかえに伴うもの
1970.3.31
神戸電気鉄道、鈴蘭台車庫 鈴蘭台駅より約800m南方へ移転
1970.6.15 
大阪市交通局、トロリーバス 廃止 
1970.7
六甲有馬ロープウェー、裏六甲線(有馬‐カンツリー、2.8Km) 開業
・・のち、1972年4月に六甲有馬ロープウェー㈱より神戸市都市整備公社に移管
1970.8
六甲有馬ロープウェー、表六甲線(カンツリー-天狗岩‐山上、2.3Km)開業
1970.10.1 
国鉄、ダイヤ改正
●新快速電車が運転開始(京都‐西明石デイタイムに1時間ごとに運転)
 (113系を使用、停車駅は大阪、神戸、明石のみ) 
1970.11.1 
京阪電気鉄道、天満橋―野江 高架複々線化
・・これ以前の京橋駅は大阪環状線を地平でくぐりその東側にあり、2面2線の相対式ホームがあった 
1970.11.23
南海電気鉄道,南海本線 岸ノ里‐住吉公園(現・住吉大社)間の複々線を線路別より方向別にあらためる
・・同時にこれまで’緩行線列車’として機能していた難波(高野線のりば)―住吉公園間の各停列車を廃止。
1970.12.14
山陽電気鉄道、ダイヤ改正
 ●昼間時間帯の特急を(従来30分ヘッドから)20分ヘッドに増発
1970.12.22
京阪電気鉄道、5000系電車 竣工
・・日本初の5扉車である。また京阪初のアルミ車である
・・同形式は2021年秋まで運行 
1970.10
ナニワ工機、アルナ工機に改称
・・阪急系の鉄道車両メーカーであるが、アルミニウムを使用した建材部門にも力をいれていた。アルミのナニワということで1960年に建材関係の商品名を’アルナ’と命名している。のちにこの’アルナ’という名称が浸透してきたので会社名を変更した
・・2002年に鉄道車両製造事業を終了した。のち工場跡地は東海道線の線路付近を除き、トラックの駐車場などとなっている。なお現在の阪急電車の新車製造は山口県下松市にある日立製作所笠戸事業所にておこなわれている

昭和46年
1971.3.2 
北丹鉄道、全線(福知山-河守、12.4Km)廃止
・・線路の保守が悪く25Km/h程度の速度しか出せなかったという
・・由良川の河川敷に建設されたため水害の被害を多くうけていた。犬釘の腐食が甚だしい状態であったといわれる
1971.3.6
南海電気鉄道、和歌山港線 和歌山港―水軒(すいけん) 開業
・・同線の久保町-水軒間は和歌山県より借用している区間である
・・和歌山港-水軒間には1日2往復の列車が運行された。しかし乗客は少なく2002.5.25限りで廃止された 
1971.3.14 
神戸市交通局、市電を全廃 
1971.4.1 
南海電気鉄道、和歌山軌道線 廃止 
1971.4.1
大阪府都市開発㈱、泉北高速鉄道線(中百舌鳥‐泉ヶ丘) 開業
・・泉北高速鉄道というのは社名ではない
1971.6.20 
京阪電気鉄道、樟葉(くずは)駅を大阪寄りに約300m移転
・・同時に京阪初の自動改札機を設置、急行停車駅となる
1971.6.25 
神戸電気鉄道(バス)、(神鉄)小野駅前‐(旧・国鉄鍛冶屋線)西脇駅前 休止
・・正式な廃止は1977.5.13である 
1971.6
近畿日本鉄道、2680系 竣工 (3連2本)
・・旧ビスタカー10000系の廃車に伴い、廃車発生品を再利用
1971.7.1 
京阪電気鉄道、3000系特急用電車 営業運転開始 
1971.8.15 
京阪電気鉄道、ダイヤ改正
●特急列車の運転を20分ヘッドより15分ヘッドにあらためる 
1971.9~10
神戸電気鉄道、デ300形(301~304)のクロスシートをロングシート化
・・この時点以降、同社保有の電車でクロスシート車は全く存在していない
 (=この鉄道会社には車両に対して’遊び心’といった考え方が希薄である)
1971.11.28
阪急梅田駅、第3期工事完成
・・1967年の第1期工事(神戸線移設)、1969年の第2期工事(宝塚線移設)により浮いた用地を利用して京都線用2号線のりばがつくられた
(現・3号線は1969年から休止していたがこの時点から再び使用開始) 
  
昭和47年
1972.2.2 
京阪電気鉄道、寝屋川工場 竣工
・・これにより同日、守口工場と守口車庫を廃止
1972.3.1 
国鉄、篠山線(篠山口-福住、17.6Km) 廃止
・・この路線は戦時中に鉱物資源輸送のために建設されたものであり、有馬線(三田‐有馬)の線路を転用して敷設された
1972.3.15 
国鉄、山陽新幹線、新大阪―岡山 開業 
1972.3.15 
国鉄、ダイヤ改正
●東海道・山陽線の新快速電車のデータイム15分おきの運転を開始
 (新幹線岡山開業により余剰となった153系急行型車を転用)
・・この時点では1時間に1本が西は姫路まで運転された
●阪和線に新快速運転開始(1時間に1本運転、鳳のみ停車、113系使用)
1972.3.15
南海電気鉄道、南海本線 南紀直通客車の運行廃止
・・国鉄紀勢線列車の気動車化の進展による 
1972.3.20
能勢電気軌道、ときわ台‐妙見口間 曲線改良 吉川トンネル使用開始
1972.4.9 
阪急バス、裏六甲線廃止 (有馬―六甲山頂間)
・・1970年夏に同区間に六甲有馬ロープウェイが開通して存在意義を失う
1972.6.1
南海電気鉄道、新社章 制定
・・直線基調のシンプルなものとなる
1972.6.27
阪急バス、能勢地区において電話呼び出し式のデマンドバスを運行開始
・・デマンドバスはこの方式のほか、3年後にスタートするコールポスト方式にしても阪急バスが初めて実現させている
・・のち、1997年に廃止
1972.9.30
神戸電気鉄道、141F3連(141+205+204) 廃車
・・141号電車は1929年に展望車として製造された車両(戦時中に改造)
1972.10.2 
国鉄、ダイヤ改正
●東海道・山陽線、新快速の姫路までの運行を1時間2本に増発
●東海道・山陽線、快速が六甲道駅に停車となる 
1972.11.7 
近畿日本鉄道、奈良線の特急(特別料金不要)を’快速急行’に改称
・・これに伴い、生駒および学園前にも停車となる 
1972.11.9
大阪市交通局、地下鉄四ツ橋線 玉出‐住之江公園(2.8Km) 開業 
1972.11
近畿日本鉄道、2610系電車 竣工
・・20m4扉車である
・・オールクロスシートである。1ボックスの長手寸法は1400ミリで少々狭い
1972
磐梯電鉄不動産㈱(本社:東京都)、御坊臨海鉄道㈱(本社:和歌山県)を1億円で買収
 
昭和48年
1973.1 
御坊臨港鉄道㈱、紀州鉄道㈱に改称 
1973.2.1
摩耶鋼索鉄道(摩耶-ブル)、高尾駅を摩耶ケーブル下駅に改称
1973.2.1
六甲越有馬鉄道(六甲ケーブル)、土橋駅を六甲ケーブル下駅に改称
1973.3.1 
近畿日本鉄道、 京都‐難波 直通特急運転開始
・・奈良線に座席指定特急が運転されるにはこの時点からである
・・のち1992.3に廃止
1973.6.1
阪急バス、宝塚‐有馬線 赤坂峠‐鎌倉峡間 経路変更
・・R176道路改修に伴う
1973.7
神戸電気鉄道、鈴蘭台駅 新駅舎(=2代) 竣工
1973.8.6
神戸市交通局、電気バス 導入
1973.9 
近畿日本鉄道、難波‐奈良 特急運転開始
・・これによりデイタイムの難波・大和西大寺間は60分間隔で特急が運転された
1973.10.1 
国鉄、関西本線、湊町-奈良 電化
・・電化前はキハ35系が主力として運転されていた 
1973.11.23
阪急梅田駅、第4期工事完成(全工事完成) 
・・1971年の第3期工事によって浮いた用地(もと京都線の線路敷)を利用して1号線のりばがつくられた

昭和49年
1974.4 
姫路市企業局、姫路モノレール 休止
・・ロッキード式といわれ、鉄レールの上を鉄製車輪で走行する方式であった。当線以外の同方式の採用例は、小田急電鉄の向ヶ丘モノレール線(2000年まで運行)しかなかった。(乗り心地はゴトゴトとしていてあまりよくなかったそうである。)
1974.7.20 
国鉄、湖西線(山科―近江塩津、74.1Km) 開業
1974.10.1 
国鉄、和歌山線、紀和-紀伊中ノ島―田井ノ瀬 廃止
・・和歌山線の経路が変更された(全列車が和歌山駅始発となる) 
1974.10.2
神戸駅北口に円形の市営バスのターミナルができる
1974.11.30
阪神電気鉄道、西大阪特急(西九条―三宮) この日をもって廃止

昭和50年
1975.5.6 
阪神電気鉄道、路面電車線全廃
●国道線(野田―上甲子園)
●甲子園線(上甲子園―浜甲子園)
●北大阪線 (野田―天神橋筋六丁目) 
・・最終日の5月5日(子供の日)は全線無料で運行された
1975.5.10
阪急バス、箕面市間谷(まだに)地区においてコールポスト式のデマンドバスを運行開始
・・利用者が自宅から電話するのではなく、呼び出し地点は停留所に併設する方式である
・・のち、1985年に一般路線化されて発展的解消となる
1975.5 
阪急電鉄、京都線用新型特急電車6300系、6450F(アルナから)正雀工場へ入場
・・新造費は8両で4億9800万円である
・・これ以前の京都線特急用車両は1964年を製造初年とする2800系であったので、わずか11年で新旧交代を実施したことになる
1975.7神戸電気鉄道、兵庫区新開地に神鉄ビルを竣工させる
・・同ビル8・9・10階に本社を移転させる
1975.8.20 
南海フェリー㈱、設立
・・同年12月に和歌山・小松島間航路の譲渡を(南海汽船㈱より)受ける 
1975.9.14 
近畿日本鉄道、上本町・布施間につき、複々線を線路別より方向別に改める 
1975.11.22
近畿日本鉄道、大阪線、新青山トンネル 開通
・・これにより大阪線全線が複線となる 

昭和51年
1976.3 
近畿日本鉄道、ダイヤ改正
・・6年ぶりに大規模なダイヤ改正となった
●阪伊(乙)特急を上本町発着を基本とする
●京伊特急と阪伊(乙)特急の八木以東における併結を廃止、単独運行化
1976.4.11
能勢電気軌道、山下駅付近 高架化
・・曲線が緩和され0.1km路線が短縮される
1976.9.23
阪急電鉄、十三駅 7号線 廃止
・・この線路は京都線の十三始発の普通列車が発着していた
1976.9 
京阪電気鉄道、守口市―門真市 複々線化 
      
昭和52年
1977.3.13 
神戸市交通局、地下鉄西神線、新長田―名谷 開業
・・神戸市交通局は市電を1971年に全廃していたので6年間ほど鉄軌道のない時代があった 
1977.3.15 
国鉄、ダイヤ改正
●阪和線の車両を全車新性能電車化(70系・73系の使用取りやめ) 
1977.5.13 
神戸電気鉄道(バス)、小野‐西脇、(正式)廃止
1977.6.26 
近畿日本鉄道、布施駅高架化工事 完了 
1977.8
神戸市交通局(バス)、三宮‐有馬線より撤退
・・阪急バス・神戸電気鉄道・神姫バスによる3社運行となる
1977.9.21 
阪急バス、阪神芦屋-有馬温泉、運行開始
・・前日まで芦有バス(株) が9台の車両をもって運行していたものを移管
1977.10.16
能勢電気軌道、笹部‐ときわ台間 新線に切り替え
・・現・光風台駅付近には隧道東口という信号所があったが廃止となる
・・この1年後に光風台駅が新設される

昭和53年
1978.3.18
近畿日本鉄道、奈良線、デイタイムに急行(快急停車駅に布施、新大宮を追加)を新設
・・快急・急行あわせて10分ヘッド化 (これ以前は快急のみ毎時5本)
1978.5.31
近畿日本鉄道、布施駅付近 高架化完了
1978.6
山陽電気鉄道、西代検車区 車庫機能を東須磨に移転
1978.9.30 
京都市交通局、市電 運行終了 
1978.10.1
能勢電気軌道㈱、能勢電鉄㈱に改称
1978.10.2 
国鉄、紀勢本線、和歌山操車場(和歌山駅と宮前駅の間)‐新宮間電化
・・和歌山‐和歌山操車場間は1968年9月1日に電化している
1978.10.2 
国鉄、ダイヤ改正 (ゴウ・サン・トウ)
●特急くろしお号(天王寺―新宮)、381系振り子式電車化(阪和間45分)
 (急行きのくに号はDCのままのこる)
● 阪和線、新快速 廃止
1978.10.10
国鉄、日根野電車区 発足
・・紀勢線電化に伴い、鳳電車区日根野支区が昇格
1978.10.16
能勢電鉄、光風台駅(笹部・ときわ台間) 開業
1978.12.12
能勢電鉄、日生線 山下‐日生中央 開業
1978.12.17
近畿日本鉄道 大阪線 八尾駅、高架化
・・同時に駅は300m伊勢中川寄りに移された
1978.12.30
近畿日本鉄道、新型特急車30000系(ビスタカーⅢ世) 営業運転開始
・・ 4両固定編成であり中間の2両が2階建ての付随車となる。この付随車は車体中央に扉があり、そこから2階へ左右双方へ階段をのぼるスタイルが採用された

昭和54年
1979.9.12 
国鉄、117系近郊型電車 竣工
1979.3.30
近畿日本鉄道、京都線 向島駅(桃山御陵前・小倉間) 開業
・・ただし待避線の設置は1984年のことである
1979.10.1国鉄、片町線 四条畷‐長尾間 複線化
・・同時に、忍ケ丘駅付近 高架化
  
昭和55年
1980.1.22 
国鉄、117系近郊型電車 営業運転開始
・・1980.7.10に153系の全列車置きかえ完了 
1980.2.20 
京阪電気鉄道、京阪本線、枚方市・御殿山間にて中学生5人による線路置き石により電車が脱線転覆
・・負傷者は108人に上った。被害額が1億円にのぼった京阪は中学生の親に一人800万円ほどの支払ってもらい示談とした 
1980.3.3
国鉄、関西本線 三郷駅 開業
1980.3.16 
京阪電気鉄道、京阪本線、門真市―寝屋川信号所 複々線化
・・これにより、複々線区間は天満橋―寝屋川信号所間12.0Kmとなった
1980.3.16
京阪電気鉄道、淀車庫 開設
1980.3.17
近畿日本鉄道、奈良線 難波‐大和西大寺間にて関西私鉄初の10連運転開始
1980.3.21
有馬温泉・兵衛旅館鋼索鉄道、廃止
1980.6.15 
南海電気鉄道、南海本線、玉出‐住ノ江 高架複々線化 
1980.7.9
国鉄、153系電車による新快速運用が終了
・・翌日より117系(6両21編成)に統一される
1980.10.1 
国鉄、阪和線上野芝駅、通過線式の2面4線化
1980.11.27
南海電気鉄道 平野線 全線(今池―平野)廃止 
1980.12.1 
阪堺電気軌道㈱、南海より分離独立して発足
1980 
国鉄、京阪神間快速電車においてグリーン車の連結廃止
・・これは利用率が低かったことのほか、関東地区の横須賀‐総武線相互直通乗り入れに伴いグリーン車が大量に必要になったことによる(従来は総武線にはグリーン車連結列車は少なかった)
1980.秋 
阪急電鉄、京都線正雀駅 橋上駅舎化
・・従来は地下に駅舎があった
 
昭和56年
1981.2.5 
神戸新交通㈱、ポートライナー線(三宮-南公園―中公園(―三宮))開業 
1981.3.16
大阪市交通局、ニュートラム線(住ノ江公園―中ふ頭) 開業 
1981.3.20 
~9.15
(神戸ポートアイランド博覧会(ポートピア‘81)開催) 
1981.3.31 
国鉄、塚口―尼崎港 旅客営業廃止 
・・それまでDD13型DLが客車1、2両をひいて運行する列車が1日2往復あった
1981.4.1 
国鉄、福知山線、塚口―宝塚 電化 
・・黄色の103系6連が大阪―宝塚間に運転開始された
1981.5.29
京都市交通局、地下鉄烏丸線 京都‐北大路 開業
1981.7
阪急電鉄、1010系電車が伊丹線にて運用開始
1981.11.22
南海電気鉄道 高野線 林間田園都市駅 開業
・・現在の3番線を使用して単線駅としてスタートする

昭和57年
1982.3.29
阪急電鉄、宝塚線 10連運転開始
1982.4.2
琵琶湖汽船、外輪船’ミシガン’ 進水
・・建造は杢兵衛造船所
・・外輪船構造の採用は水位低下時に対応するためである
1982.10.5
近畿日本鉄道、五位堂検修車庫 竣工

昭和58年
1983.3.19中国鉄道博、湊川駅(神戸駅南方、貨物駅)にて開催 (5.22まで)
・・2両の実物の蒸気機関車が展示されていた。これらはのちに相生市の相生中央公園にて静態保存されることとなるが2006年に解体される
1983.6.26 
南海電気鉄道、高野線、特急’こうや’号に30000系使用開始 
1983.7.18 
南海フェリー㈱、和歌山・小松島航路に高速船導入
・・のち1985.11.1に四国側を小松島港より徳島港に変更 
1983.8.11
大阪水上バス㈱、設立
・・1983.10.1 営業開始
1983.9.1 
近畿日本鉄道、東信貴鋼索線(信貴山下-信貴山) 廃止
・・路線の周辺が住宅地化していったがそれに伴う道路整備の支障になってしまったため廃止となった
1983.9.24 
国鉄、14系改造客車’サロンカーなにわ’ 営業運転開始
・・改造工事は同年3~9月において国鉄高砂工場にておこなわれた
1983.10.1
国鉄、阪和線 一部の快速列車を8連化
1983.12.4 
京阪電気鉄道、京阪本線・宇治線・交野線、電車線電圧を1500Vに昇圧
・・600系、1300系、1700系については昇圧改造せず廃車とした

昭和59年
1984.1.31 
別府鉄道、全線(土山-別府港 および野口-別府港)廃止
・・国鉄が土山駅における貨物の取扱をとりやめにしたことが直接の理由である
・・土山線は小型ディーゼル機関車が数量の貨車と1両の木造客車を牽引する列車が運行されていた。客車はデッキのついた木造車であった
1984.3.11
南海電気鉄道、ダイヤ改正
●高野線、20.7m車が林間田園都市まで運転される
1984.3.25 
山陽電気鉄道、ダイヤ改正
●日中の特急列車の運転間隔を20分毎より15分毎にあらためる
●特急列車の最高速度を90Km/hから100Km/h にあらためる
1984.5.10
阪急バス、杉生線 杉生新田‐篠山町後川 延伸
1984.9.1
国鉄、阪和線 天王寺‐日根野間に’ホームライナーいずみ’運転開始
1984.9.1南海電気鉄道、高野線 美加の台駅 開業
1984.9.15
(及び9.16)
南海電気鉄道、20000系(初代・こうや号用車両)、さよなら運転
・・のち先頭車2両は、みさき岬公園にて静態保存されたが1994年に解体
1984.10.1
国鉄、紀勢本線 和歌山‐和歌山市 電化
1984.10.1
国鉄、関西本線 木津‐奈良 電化
1984.10.1
国鉄、播但線 京口駅 高架化
1984.11.28
近畿日本鉄道、京都線 向島駅 待避線設置
1984.12.1
国鉄、高砂線(加古川‐高砂) 廃止
1984.12.1
国鉄、高砂工場 閉鎖
・・同工場は戦時中に陸軍の工場(大砲の製造)として建設された。戦後は国鉄に払い下げられ客車、貨車の修繕を行った
1984
日本住宅公団、花山東団地(神戸市北区)に日本初の斜行エレベーターを設置
 
昭和60年
1985.3.14
国鉄、ダイヤ改正
●阪和線・紀勢本線、急行’きのくに’を特急に格上げし、廃止
・・同時に南海電鉄のディーゼル車の乗り入れ(併結)もなくなる 
●阪和線・紀勢本線、特急’くろしお’に485系使用開始(~1986.10)
●福知山線客車列車、旧型客車から12系客車におきかえ
●北陸線特急’雷鳥’、うち7往復に和風電車’だんらん’連結(食堂車改造車)
●新快速、新大阪駅に停車開始
1985.4.1 
三木鉄道、国鉄三木線(厄神‐三木、6.6Km)を引き継ぎ開業 
・・当初は富士重工製の2軸車(前面側面とも5E型のバス車体をベースにしたタイプ)を使用
・・しかし23年後の2008.4.1に廃止
1985.4.1 
北条鉄道、国鉄北条線(粟生―北条町、13.6Km)を引き継ぎ開業
・・こちらの車両も富士重工製の5E型バスベースの2軸車が採用されたが車体側面は観光バスタイプののものとなった。なお車内は三木鉄道、北条鉄道ともオールロングシートである 
1985.4.5 
大阪市営地下鉄、中央線、深江橋―長田(3.2Km) 開業
1985.5.1 
加悦(かや)鉄道、鉄道線(丹後山田-加悦) 全線廃止
1985.7.3
阪急バス、箕面市間谷(まだに)地区のコールポスト式のデマンドバス 廃止
・・一般路線化され発展的解消となる
1985.8.29
国鉄、関西本線 高井田駅 開業
1985.11.1
南海電気鉄道、南海本線、特急’サザン’運転開始
・・同時に特急’四国’号は廃止 
1985.11 
明神(みょうじん)鉄道(明延-神子畑)、人員輸送廃止
・・運賃は1円であり’1円電車’として有名であった 
1985.12.1
国鉄、関西本線 平城山駅 開業
   
昭和61年
1986.4.1
近江鉄道、レールバス・LE10形(6両)使用開始
・・1996年に全車運用からはずれ、2004年に廃車となる(バスと同じ薄い外板が車体全体の老朽化を早めた)
1986.7.1
尼崎市交通局、市営バス路線を再編
・・幹線、循環線、地域線の3種類とする
1986.8.1 
国鉄、福知山線、生瀬‐道場間、新線に切り替え 
・・2016年 旧線の路盤(生瀬‐武田尾間の一部、4.7Km)がハイキングコースとして一般開放される
1986.10.1
近畿日本鉄道、東大阪線(長田-生駒) 開業 
1986.11.1 
国鉄、福知山線、宝塚―新三田間、電化
1986.11.1 
国鉄、ダイヤ改正(国鉄としては最後となる) 
●紀勢本線の客車列車が165系電車化
 (これにより、阪和線より電気機関車が姿を消す)
●福知山線、特急北近畿 新設 (特急まつかぜ、急行丹波は廃止)
●福知山線、客車列車、気動車列車(普通列車)を電車化
 (12系客車は山陰線・京都―福知山間に転用) 
●阪和線、’ホームライナーいずみ’を’はんわライナー’に改称(和歌山延伸)
●山陰線、旧型客車の使用をとりやめる(12系客車におきかえ)
●東海道・山陽線、新快速を内側線より外側線に移す(大阪・三宮間22分)
1986.12.14
阪急電鉄、宝塚線 ダイヤ改正
●昼間時間帯のダイヤを15分サイクルより10分サイクルに変更
  
昭和62年
1987.3.1
南海電気鉄道(バス)、堺シャトル(堺・大小路線、堺駅‐堺東駅) 運行開始
1987.4.1 
国鉄、分割民営化、北陸・関西・中国地区はJR西日本の経営となる 
1987.4.18 
大阪市営地下鉄、御堂筋線、我孫子―中百舌鳥(5.0Km) 延伸開業
・・こののち全編成につき同年7月27年から8月25日までの間、9連化工事が実施された
1987.5.24 
京阪電気鉄道、京阪本線、東福寺―三条 地下化 
1987.12.6
近畿日本鉄道、南大阪線 河堀口‐今川付近 高架化
1987.12 
阪神電気鉄道、ダイヤ改正
●快速急行を平日にも設定
・・当初上りも西宮・三宮間が無停車となった(以前は上りは青木に停車) 
  
昭和63年
1988.3.13
JR西日本、ダイヤ改正
●新快速電車の運転を夕通勤時間帯にも拡大
●片町線に’学研都市線’という愛称がつく
●東海道線・山陽線に’JR京都線’、’JR神戸線’という愛称がつく
1988.3.18 
近畿日本鉄道、名阪特急において21000系’アーバンライナー’運転開始
1988.4.1 
神戸電気鉄道㈱、神戸電鉄㈱に改称 
1988.4.2 
北神急行電鉄、新神戸―谷上 開業 
1988.6.11 
京都市営地下鉄、烏丸線、京都―竹田(3.3Km) 開業
1988.7.2
能勢電鉄、ダイヤ改正
●昼間時の川西能勢口・山下間の運行を10分ヘッドに増発
1988.7.16 
宮福鉄道、宮福線(福知山―宮津) 開業
・・この鉄道は電化されているが所有している車両は気動車のみである
1988.8.28 
近畿日本鉄道(京都線)・ 京都市営地下鉄(烏丸線)、相互直通運転開始
1988.10.1 
和歌山バス、和歌山シャトル(南海和歌山市駅-JR和歌山駅、現・本町線)運行開始
・・当初は専用車を使用し6分間隔で運行されていた 

昭和64年・平成元年
1989.3.11 
片町線、長尾―木津間 電化
・・同時に松井山手駅が開業し、長尾―松井山手間が複線化される 
1989.3.11
JR西日本、ダイヤ改正
●スーパー雷鳥の一部が神戸駅始発となる
・・久々の同駅始発特急列車の出現となる(1997.3まで)
1989.4.10
JR西日本、大和路線(関西線)にて221系電車 運転開始
1989.7.22 
JR西日本、天王寺駅構内(東方)に阪和線から関西線への渡り線開通
1989.7.22
JR西日本、ダイヤ改正
●特急’くろしお’ 新大阪まで延長運行
●特急’スーパーくろしお’(京都‐新宮ほか) 新設
1989.8.1 
宮福鉄道㈱、北近畿タンゴ鉄道㈱に改称 
1989.8.1
神戸電気鉄道(バス)、鈴蘭台東線(鈴蘭台駅‐谷上駅) 運行開始
1989.8.5 
京阪電気鉄道、8000系(8001F) 竣工
・・8001Fは1989.10.5より営業運転開始 
1989.9.1
全但バス、城崎‐大阪線および浜坂‐神戸線につき、舞鶴道に経路変更
1989.10.5
京阪電気鉄道、鴨東線(三条―出町柳、2.3Km)、開業 
1989.11.11
JR西日本、関西線 東部市場前駅 開業
1989.12 
阪急電鉄、神戸線に8000系セミクロスシート車(神戸寄り2両のみクロスシート)運転開始 
・・追って宝塚線にも配属された
・・クロスシート車付きの8000系は当初神戸線3編成、宝塚線3編成の配属であったが、1996年11月の日生エクスプレス運転開始時に神戸線用1編成(8006F)が宝塚線に転属した
 
平成2年
1990.3.10 
JR西日本、ダイヤ改正
●大和路線(関西線)快速に221系 投入
●東海道・山陽線、新快速の最高速度を115Km/hに向上
・・大阪・三宮間を20分で結ぶようになった
1990.3.15 
近畿日本鉄道、南大阪・吉野線 特急車’さくらライナー’運転開始 
1990.3.20 
大阪市営地下鉄、鶴見緑地線(京橋―鶴見緑地、5.2Km) 開業
・・日本初のリニアモーター方式の地下鉄である
・・小断面円形トンネルの上部空間の有効利用のため架空電車線方式が採用された
・・なお、東京におけるリニア地下鉄(都営・練馬―光が丘)の開業はこのすぐのちの1991.12.10である 
1990.4.1 
JR西日本、鍛冶屋線(野村-鍛冶屋) 廃止
・・これに伴い野村駅が西脇市駅に改称 
1990.4.1 
北近畿タンゴ鉄道、JR西日本より宮津線の移管を受け営業開始
・・同時に特急’タンゴエクスプローラー’運転開始
1990.4.1
北近畿タンゴ鉄道、宮津線 丹後山田駅を野田川駅に改称
・・のち、1995年に与謝野駅に再改称される
1990.4.1
JR西日本、加古川線 野村駅を新西脇駅に改称
1990.4.7
神戸市交通局、観光用路線バス’シティーループ’ 運行開始
1990.6.1 
大阪高速鉄道(大阪モノレール)、千里中央―南茨木、開業
・・のち以下のような路線延長があった
 ●1994.9.30 柴原―千里中央
 ●1997.4.1  大阪国際空港―柴原
 ●1997.8.22 南茨木―門真市
  ●1998.10.1 万博記念公園―阪大病院前
 ●2007.3.19 阪大病院前―彩都西
1990.6.1 
大阪市営地下鉄、四つ橋線、23系電車 使用開始
・・1996年に30系の置換えを完了 
1990.10.1 
JR西日本、和田岬線、客車列車をキハ35系に置きかえ
1990.12.23
伊丹市交通局、ファンタスティックバス’シティーゴーランド’ 運行開始
   
平成3年
1991.3.16
JR西日本、ダイヤ改正
●京都―奈良間に快速列車新設(停車駅:宇治、木津のみ、所要:44分) 
●京阪神間の新快速は朝の1往復を除き221系化(大阪三宮間19分運転)
1991.4.3
山陽電気鉄道、明石駅付近 高架化
1991.4.7
山陽電気鉄道、ダイヤ改正
●網干線の列車を線内のみの折り返し運転に変更
●6両編成列車を営業運転開始
1991.4.27 
嵯峨野観光鉄道、トロッコ嵯峨-トロッコ馬堀 開業
・・山陰本線の旧線が観光鉄道として再生
1991.4.30 
JR西日本、片町線にて207系電車運転開始 
1991.5.14
信楽高原鉄道、列車衝突事故
1991.6
神戸電鉄、2000系電車 竣工
・・公園都市線開業に合わせて製造された 
・・シンプルながら優美な車両である
1991.9.14
JR西日本、ダイヤ改正 
 ●長浜まで直流化され、京阪神方面からの列車が直通運行を開始
1991.10.23
新神戸ロープウェイ(北野1丁目‐布引ハーブ園)、開業
・・自動循環式、スイス製の密閉式ゴンドラを使用
1991.10.28
神戸電鉄、公園都市線(横山―フラワータウン) 開業
1991.11.21
JR西日本、ほとんどの新快速が8両編成化される
・・221系が増備される 

平成4年
1992.2.24
南海電気鉄道、1000系(2代)、竣工
・・車端のみにボックスシートを備える。通勤車としての理想が追求されている
・・2001年まで総勢76両が製造された
・・特記すべき点としてはステンレス車でありながら塗装が施されている。またこの系列から伝統的なグリーンが一切排除されるようになる
1992.3.19
南海電気鉄道、通勤車の新塗色(ライトグレーの地にブルーとオレンジ色のライン)塗装車 工場出場
・・キーワードとして’さわやかさ’、’やさしさ’、’力強さ’を表現するものとした
・・一方特急車のほうは同月の24日出場であり、シルバーメタリックをベースとして通勤車と同色のラインとした
1992.3 
近畿日本鉄道、阪京(はんけい)特急(難波―京都) 廃止
1992.4.18 
南海電気鉄道、岸ノ里駅と玉出駅を統合し岸里玉出駅を新設 
1992.7.1
南海電気鉄道、1000系電車 南海本線にて営業運転開始
・・一方、高野線においては11月4日より運転開始
1992.11.10
南海電気鉄道、ダイヤ改正
●高野線、20.7m車が橋本まで乗り入れる
●高野線特急’こうや’のうち難波‐橋本間運転の通称’H特急’をあらたに
 ’りんかん’と命名 
 
平成5年
1993.4.1 
大阪府都市開発㈱、泉北高速鉄道の駅業務、技術部門を直営化
・・南海電鉄への委託を解消
1993.4.18
南海電鉄、岸ノ里駅と玉出駅を統合し岸里玉出駅とする
1993.7.9
神戸市交通局、地下鉄山手・西神線 快速列車運転開始
・・停車駅は三宮、新長田、名谷のみで30分間隔で運行
・・1年半後の阪神淡路大震災以降は運行されていない
1993.8.1
JR西日本、関西本線、奈良―亀山間にてキハ120型気動車 運転開始
・・キハ58系が置きかえられた 
1993.9.5
阪神電気鉄道、福島駅 地下化
・・従来の位置よりやや南に移転し国道2号線の直下となる
1993.9.25
阪急電鉄、宝塚線 宝塚駅ホーム高架化
 
平成6年
1994.3.15 
近畿日本鉄道、伊勢方面の特急に23000系’伊勢志摩ライナー’運転開始 
1994.4.1 
野上電気鉄道、(日方(和歌山県海南市)-登山口)廃止
・・代替交通機関としては大十㈱により路線バス(大十オレンジバス)が運行開始 
1994.4.22 
(近畿日本鉄道、志摩スペイン村を開園) 
1994.6.9
明石駅前BT、使用開始
・・山陽電鉄線の高架・移設により用地が捻出された
1994.6.15 
JR西日本、関西空港線、日根野―関西空港 開業
・・関西空港開港にさきがけての開業となる
1994.6.15 
JR西日本、ダイヤ改正
 ●天王寺―関西空港間に日中毎時1本の快速を設定(223系6連) 
1994.7.6 
南海電気鉄道、岸和田駅付近(和泉大宮-岸和田-蛸地蔵) 高架化工事完成
・・岸和田駅は立派になったが西口の駅周辺が狭くアンバランスな印象を受ける
1994.9.4 
関西国際空港、開港 
1994.9.4 
JR西日本、ダイヤ改正
●特急はるか(京都-関西空港) 新設
1994.9.4 
JR西日本、駅名改称
●湊町→JR難波
●叡山→比叡山坂本
●嵯峨→嵯峨嵐山 
1994.10.31
阪急電鉄、宝塚駅 駅舎も含め高架化工事竣工
1994.12.3 
智頭急行、智頭線(上郡-智頭) 開業
・・これにより大阪-鳥取間を結ぶ日本交通の高速バスの乗客が減少
1994.12.18
神戸電鉄、有馬線、菊水山―鈴蘭台間の上り線を新線に切りかえ
・・かつて’神有耶馬溪’とよばれた渓谷沿いのルートから菊水山トンネル(1184m)を通るルートにかわった 
 
平成7年
1995.1.17 
(午前5時46分、阪神淡路大震災 震度7)
・・被害は阪神地区の高架橋区間などで大きなものが発生した
●阪急・・・三宮駅ビル、伊丹駅などが倒壊
●JR西日本・・・ 六甲道駅倒壊、新幹線高架橋倒壊 ほか多数
・・意外であったのは東海道・山陽線のうち昭和初期に完成した神戸市内の高架線や阪神電鉄の地下線などはそれほどの損壊はなかったことである
1995.1.23 
JR西日本、大阪―姫路間に福知山線、播但線を使用した迂回ルート設定 
●新大阪-姫路間に直通快速列車1往復設定(キハ181系を使用)
●播但線にノンストップ快速4往復設定(特急’北近畿’に接続する)
1995.2.6
南海電気鉄道、貴志川線 2270系電車 運行開始 
1995.2 
京阪電気鉄道、7200系電車 竣工
・・1995.5.1に営業運転開始 
1995.3.24
山陽電気鉄道、板宿駅 地下駅として(東須磨駅方面のみ)復旧、再開業
・・震災前から地下化工事が進行していた
1995.3.26
能勢電鉄、架線電圧を600Ⅴより1500Ⅴに昇圧
1995.4.1 
泉北高速鉄道、光明池―和泉中央 開業 
1995.4.1
北近畿タンゴ鉄道、宮津線 野田川駅を与謝野駅に改称
1995.6.12 
阪急電鉄、神戸線、ダイヤ改正
●8200系(座席収納可能車)、朝ラッシュ時に使用開始 
1995.7.21
神戸市交通局、地下鉄山手線 快速列車(震災により休止中)正式廃止
1995.8.12 
JR西日本、223系1000番台 営業運転開始
1995.9.1 
南海電気鉄道、御幸辻―橋本 複線化完成
・・これにより、河内長野―橋本間の複線化が完了
・・なお特記すべき点として、この線形改良が他と異なるのは工事後カーブは緩やかになったものの最急勾配がきつくなったことである(26パーミルから33パーミルになった。最高地点の紀見峠トンネル自体の標高がかわっていないからである)
・・また、橋本駅には8両編成列車の乗り入れが開始される
1995.9.1 
JR西日本、ダイヤ改正
●あらたに223系1000番台を京阪神間新快速に投入 
1995.12.25
京阪電気鉄道、3000系(1編成)に2階建て車両 連結開始 
・・もと3608号車が種車である

平成8年
1996.2.27
阪急電鉄、梅田駅 3路線別々の発車メロディ 使用開始
1996.3.16 
JR西日本、山陰本線 園部-綾部間 電化 
1996.3.16
JR西日本、山陰本線 二条駅 高架化
1996.3.22 
JR西日本、JR難波駅 地下に移転 
1996.3.24
能勢電鉄、川西能勢口駅付近 高架線に切り替え
1996.3.28
神戸電鉄、公園都市線 フラワータウン-ウッディタウン 延伸開業
1996.7.31
JR西日本、阪和・紀勢線、283系特急電車を投入し’スーパーくろしお(オーシャンアロー)’運転開始 (3往復)
1996.9
JR西日本、片町線(学研都市線) 103系運転終了
1996.10.1 
JR西日本、JR神戸線 甲南山手駅 開業
1996.11
㈱スマイル、設立
・・阪急バス㈱がマイクロバス使用の送迎バス事業を一部移管。本社事業所は阪急バス本社車庫内に同居
1996.11.15
南海電気鉄道、高野線 小原田(おはらた)車庫 開設
1996.11.16
能勢電鉄、朝ラッシュ時を除きワンマン運転実施
1996.11.30
JR西日本、山陰線、521レ(豊岡―米子)12系客車列車 運転終了
・・翌日より気動車におきかえられた
 
平成9年
1997.3.2 
阪急電鉄、ダイヤ改正
●京都線、すべての特急を高槻市に停車とする 
1997.3.8 
JR西日本、JR東西線 開業
・・これに先立ち尼崎駅はプラットホームを3面から4面に増設されている。従来より使用され続けているものは5・6番線(現・近距離東行き)ホームのみであり、その南と北にあった古いホームは順次一旦取り壊され、北側に1ホーム、南側に2ホーム新設された
1997.3.22 
JR西日本、ダイヤ改正
●500系’のぞみ’、山陽新幹線区間にて運転開始
・・最高速度は300Km/hであり当時日本の営業列車の最高速度である 
1997.3.22
京阪電気鉄道、9000系電車 営業運転開始
・・車端部がロングシート、中央部が集団離反式非転換クロスシートとなる
1997.3.25
山陽電気鉄道、5030系電車 竣工
・・車内には通路をはさんで1人掛け座席と2人掛け座席が配置される
1997.7.19
阪神尼崎駅前BT、使用開始
1997.9.11 
JR西日本、4代目京都駅ビル グランドオープン 
1997.10.10
阪急バス(能勢(営))、能勢地区のデマンドバス(=1972~)を廃止
・・採算に合わないため廃止となる
1997.10.12
京都市営地下鉄、東西線(醍醐―二条) 開業 
1997.10.12京阪電気鉄道、京津線 800系 営業運転開始
・・車体幅は2380ミリであるが、編成両端の車両はセミクロスシートを設置
1997.11.8
阪急電鉄、宝塚線 曽根‐豊中駅付近 下り線も高架化
・・曽根駅はこの時点では1面2線の島式ホーム駅となる
1997.11.17
阪急電鉄・能勢電鉄、梅田-日生中央間に直通特急’日生エクスプレス’運行開始
・・車両は当初、主に8000系が使用された
・・これまで8000系クロスシート車連結編成は神戸線宝塚線それぞれ3編成配属されていたがこの際に神戸線の1編成(8006F)が宝塚線に移る
1997.12.18
大阪港トランスポートシステム(OTS)、地下鉄線と新交通システム線開業
●地下鉄線     :大阪港―コスモスクエア
●新交通システム :コスモスクエア―中ふ頭
1997.12
伊丹市交通局、ノンステップバス(三菱製) 運行開始
1997
阪急バス、能勢町内デマンドバス(=1972~) 廃止
   
平成10年
1998.1.14
尼崎市交通局、循環線 廃止
1998.2.15 
阪神電気鉄道・山陽電気鉄道、梅田―姫路 直通特急運行開始
・・この時点で阪急神戸線の列車は神戸高速鉄道の新開地までの運転となる
同時に山陽電鉄の列車も阪急三宮‐阪急六甲間が運転取りやめとなる
1998.3.14 
JR西日本、ダイヤ改正
●山陽線、舞子駅に快速停車開始
●播但線、姫路‐寺前間 電化
1998.4.5 
明石海峡大橋、開通 
1998.4.7
JR大久保駅前(山陽本線)にバスターミナル完成
・・明石市営バス、神戸市営バスが乗入れ
1998.4.28 
京阪電気鉄道、特急列車全編成を8両化 
1998.9.1 
甲子園高速フェリー、西宮港-津名港 廃止
・・輸送量は明石海峡大橋開通により以前の30%ほどに落ちていた
1998~ 
阪急電鉄、6000系など電車の車体上部にアイボリー帯の塗装を追加 

平成11年
1999.2.26
JR西日本、ストアードフェアシステム運用開始(Jスルーカード発売) 
1999.4.1 
日本交通、空港連絡バス’OCATシャトル880’(OCAT―関西空港)運行開始
・・中型バスを使用し、空港連絡橋の通行料金など経費の圧縮を図る
1999.4.11
阪神電気鉄道、ダイヤ改正
●福島駅が急行停車駅となる
1999.4 
南海フェリー、和歌山港から小松島港への航路を和歌山・徳島港間に変更 
1999.5.10 
JR西日本、ダイヤ改正
●関空特快ウィング、関空快速へ格下げ統合 
●阪和線快速用の223系の組成方法を変更(6両+2両 ⇒5両+3両)
1999.8.2
神戸電鉄、粟生線木津駅 橋上駅舎化
1999.12.4
JR西日本・JR東海、急行たかやま号(大阪‐飛騨古川)を特急ひだに格上げ
 
平成12年
2000.1.4 
北条鉄道、フラワ2000型 営業運転開始
・・2000型は’レールバス’ではなく、18m級の’軽快ディーゼルカー’である
2000.1.19
阪急電鉄、宝塚線曽根駅 下り線ホームを増設
・・これにより、2面4線となる
2000.3.11 
JR西日本、ダイヤ改正
●阪和線の天王寺-和歌山間の快速電車に221系運用開始 
●福知山線に221系が転属
 (日中の大阪駅発着の快速を’丹波路快速’と命名)
●新快速を223系に統一、全列車130Km/h化
●日中の快速を芦屋‐東灘(信)間のみ外側線運行とする(~2002.10.5)
●大阪発備前片上行きの外側線快速 廃止
●山陽新幹線、’ひかりレールスター’ 運転開始
2000.3.20
阪急電鉄、宝塚線三国駅 上下線とも高架となる
2000.4.1
JR西日本、網干総合車両所の開設に伴い、網干駅の副本線が2番線より3番線に変更となる
2000.5.20 
大阪市交通局、赤バス(小型車使用のコミュニティバス) 試験的に運行開始
・・車両はスウェーデン製の車両を使用したが国産車に比べ故障率高かった
・・2013年3月31日に廃止されている(利用者が少なく赤字であったため)
2000.6.4 
能勢電鉄、ダイヤ改正
●日生エクスプレスをのぞき線内列車を4連または2連のみとする
●上記に伴い1000系(=6両固定編成)の運用を廃止 
2000.7.12 
京阪電気鉄道、ダイヤ改正
●特急が終日中書島、丹波橋に停車となる
2000.9.23
JR西日本、山陰本線 円町駅 開業
2000.10.2
神姫バス、篠山口駅‐住吉台線 運行開始
2000.11.22
伊丹市交通局、ダイヤ改正
●シティーゴーランド(ファンタスティックバス、=1990~) 廃止
・・バスは近江鉄道に売却された
2000.11
阪急伊丹駅北側の路線バスのりば(ロータリー) 供用開始
2000.12.1
JR西日本、赤穂線 播州赤穂駅 橋上駅舎化
2000.12.23
南海電気鉄道、高野線の狭山遊園駅を大阪狭山市駅に改称 
2000.12.23
南海電気鉄道、高野線 ダイヤ改正
●日中のダイヤにつき、10分サイクルを12分サイクルに変更
・・極楽橋行き急行が36分おきとなる
・・難波発泉北高速線直通列車が毎時(4本より)5本となる

平成13年
2001.3.1
(USJ、プレオープン)
2001.3.1
JR西日本、桜島線 ユニバーサルシティ駅 開業
・・同時に桜島線の愛称として’JRゆめ咲き線’と呼称
2001.3.3 
JR西日本、ダイヤ改正
●関西線、大和路快速が久宝寺駅に停車となる
●奈良線、みやこ路快速(京都-奈良) 運転開始 
2001.3.3 
阪神電気鉄道、阪神本線の西宮駅付近(久寿川駅西方~打出駅東方)の上り線が高架化
・・西宮駅を含む3駅が上下線とも高架化される
・・同時に西宮東口駅が廃止された
・・また香枦園駅は地元の請願により香櫨園駅に表記が変更された
(香櫨園の地名は香野と櫨山という2人の実業家が設置した遊園地に由来) 
2001.3.10
阪神電気鉄道・山陽電気鉄道、ダイヤ改正
●昼間時の直通特急を毎時2本から4本に増発
●直通特急の停車駅に尼崎と魚崎を追加
●山陽電鉄車の阪神大石どまりの列車がなくなる(三宮どまりに短縮)
2001.3.10 
JR西日本、桜島線 ユニバーサルシティ駅 開業 
2001.3.24 
阪急電鉄、ダイヤ改正
●京都線、特急停車駅を変更
 (茨木市、長岡天神、桂を新規に加える一方、大宮を通過とする)
 ・・ただし日中の上り特急については1分短縮されスピードアップされた
2001.3.31 
(USJ、グランドオープン)
2001.4.29
能勢電鉄、1000系電車(=6連×1本) さよなら運転
2001.5
能勢電鉄、シグナス森林鉄道(妙見の森にある遊覧トロッコ列車、路線延長:340m)暫定開業
・・同年7月に本格開業
・・’シグナス’(白鳥座)は能勢妙見山に伝わる北極星信仰にちなんで命名
・・20年後の2021年秋に運行終了(翌年2月に廃止決定)
2001.6.23 
神戸電鉄、ダイヤ改正
●谷上駅、4番線を廃止のうえ日中の上下列車とも3番線に入線させる
・・これにより階段を上下することなく北神急行線に乗り換え可能となった。
 バリアフリーという観点からいえば画期的なサービスといえる
●有馬線、有馬口・有馬温泉間、ワンマン運転化
●粟生線、新開地・粟生間直通運転開始
・・従来は志染以西には4両編成は入線不可で、志染にて乗りかえであった
2001.6
神戸ベイクルーズ㈱、設立
・・同年8月に営業開始(神戸港における観光船事業)
2001.7.1
JR西日本、和田岬線、電化
・・キハ35系に代わり103系6連が運用されるようになった 
2001.7.7 
神戸市交通局、(地下鉄)海岸線、三宮・花時計前―新長田(7.9Km)開業
・・開業後の乗客数見込みについてはJR和田岬線廃止を前提に算出されるなど相当なサバを読んだものであったので、実際の乗客数は見込み数よりずっと少ないものとなった 
2001.12.1 
神鉄バス、有馬温泉ループバス 運行開始
・・三菱ローザボンネットバスを使用
・・約10年後の2011.11.1に休止 
2001.9.1 
神姫バス、三ノ宮BT-(神鉄)緑が丘駅-自由が丘-(神鉄)恵比寿駅 運行開始 (恵比寿快速線)
・・神戸の中心である三宮まで乗り換えなしで直行できる点が評価された。一方神戸電鉄の粟生線は乗客が減少し、のちに存廃が議論されるようになる
2001.11.30
南海電気鉄道、1000系6次車 竣工
・・1000系列としては最後の1編成(4連)となる
・・ステンレス無塗装となる。なお、4連の組成はこの6次車1本のみである
 
平成14年
2002.3.31 
京阪電気鉄道、寝屋川市駅付近高架化完成 
2002.10.1神鉄バス、三田‐有馬線、三宮‐有馬線を阪急バスに移管
2002.10
近畿日本鉄道、21020系特急用電車(アーバンライナーnext) 竣工
・・2002.12.23に暫定運行開始
2002.10.26
阪急電鉄、神戸線、武庫川橋梁(上り線)を新橋梁に架け替え 
・・続いて下り線が11月2日に架け替えられた
2002.12.3 
国際興業(バス)、梅田駅-千里中央駅-JR茨木駅‐JR高槻駅南 深夜急行バス運行開始 
 
平成15年
2003.1.1 
有田鉄道(藤並-金屋口、5.6Km)、全線廃止 
・・2001年度の1日の平均利用者数は29人であった
2003.2.22
南海電気鉄道、ダイヤ改正
●特急ラピート、全列車が新今宮、天下茶屋、泉佐野、りんくうタウンに停車
2003.3.6
近畿日本鉄道、ダイヤ改正
●アーバンライナーネクスト(21020系)、正式営業運転開始(名阪特急)
●大阪線、河内国分駅に急行が停車となる
●大阪線、美旗駅が快速急行停車駅となる
2003.3.12
阪神高速道路公団、大阪泉北線の路線計画を廃止
・・1983年に工事開始された当初は阪和線の高架化と一体化させた高速道路構造物(2階に阪和線、3階に高速道路)を建設する計画であった
2003.3.16
阪急電鉄 京都線 洛西口駅開業 (桂‐東向日 間)
・・かつてこの地点には物集女(もずめ)駅(1946~1948年)があったため55年ぶりに駅が再建されたことになる
・・洛西駅は設置時点ですでに高架化が計画されていたため地平駅時代の期間は短く、2016年3月には上下線とも高架化が完了している
2003.7.1
京都交通(バス)、吉川線・野間線・森上線を廃止
・・これにより、京都交通のバスが能勢電鉄妙見口駅前には来なくなる
・・大阪府能勢町内の路線は阪急バスが承継
2003.8.3 
近畿日本鉄道、21000系更新車’アーバンライナープラス’営業運転開始
2003.8.14 
JR西日本、JR京都・宝塚線において103系運行終了 
2003.10
東急車輛製造、大阪製作所(堺市鳳、もと帝国車両工業) 閉鎖
・・東急車輛製造に合併後はコンテナの製造を担当していた
・・現在は商業施設(アリオ鳳)が建つ
2003.10
阪急バス、唐櫃(営)を神鉄バス㈱に運行管理委託
2003.11.1 
JR西日本、ICOCA 運用開始
2003.12.1 
JR西日本、ダイヤ改正
●JR神戸線の新快速が全列車芦屋駅に停車開始 
●JR神戸線の快速が全列車西ノ宮駅に停車開始
●福知山線、快速が中山寺駅に停車するようになる
・・なお特記事項として、快速の同駅停車に伴い本来1分ほど増えるはずであるがダイヤ上の所要時間は据え置かれる(=乗務員に無理を強要)
2003.12.1 
JR貨物、神戸貨物ターミナル駅 開業
・・鷹取駅に隣接して設置された
・・同時に東海道線東灘から神戸港駅への貨物線が廃止された  
2003
能勢電鉄、車両塗色を阪急と同じマルーンに戻す
・・合理化に伴い車両塗装を阪急正雀工場に外注することになったため

平成16年
2004.3.13
JR西日本、和歌山線 五位堂駅 開業
2004.3.13
JR西日本、和歌山線 下田駅が香芝駅に改称
2004.8.21
山陽電気鉄道、西二見駅 開業
2004.9.25
阪神電気鉄道 阪神本線、春日野道駅の新ホーム使用開始
・・2面2線の相対式ホーム駅となる
・・旧ホームは使用されなくなる 
2004.10.16
JR西日本、ダイヤ改正
●急行’だいせん’(大阪‐出雲市) 廃止
2004.11.9 
JR貨物、大阪環状線貨物支線(大阪臨港線)境川(信)―浪速駅 休止
・・のち2006.4.1に正式に廃止 
2004.11.26
京都市交通局、地下鉄東西線、醍醐‐六地蔵 延伸開業 
2004.12.1
近畿日本鉄道、けいはんな線 7020系電車 営業運転開始
・・生駒‐登美が丘間延伸に伴う車両増備
・・7000系とほぼ同じ外観であるが側窓の形状が変更された
 (窓の上半分が内側に折れる構造となる)
2004.12.19
六甲有馬ロープウェイ 、表六甲線休止
・・表六甲駅(旧称:山上駅)‐天狗岩駅、天狗岩駅‐六甲山頂駅(旧称:六甲山頂カンツリー駅)の区間が休止
・・またこの時点で駅名改称がある
●六甲山頂カンツリー ⇒ 六甲山頂
●有馬        ⇒  有馬温泉   
2004.12.19
JR西日本、加古川線、電化
・・103系3550番台16両が投入された 
2004
静岡鉄道、非接触ICカード’PiTaPa’導入 

平成17年
2005.3.1
JR西日本、城崎駅を城崎温泉駅に改称
2005.3.1
JR西日本、山陽本線 ひめじ別所駅 開業 (曽根駅・御着駅間)
2005.3.1 
JR西日本、ダイヤ改正
●デイタイムの新快速を播州赤穂まで延長(1時間に1本)
●ひめじ別所駅が開業 
2005.3.26 
神戸電鉄 有馬線、菊水山駅 営業休止
・・これまでは新開地‐鈴蘭台、西鈴蘭台間の普通列車のみが停車していた
2005.4.1
京都交通㈱、事業を新しい2社(京阪系と日本交通系)に譲渡
2005.4.1
(京都府)綾部市、コミュニティバス(あやべ市民バス)運行開始
・・綾部市は日本交通とは意見の不一致により独自の展開を選択
2005.4.1
神戸電鉄㈱、準大手私鉄より中小私鉄に降格
2005.4.25 
JR西日本、福知山線脱線転覆事故
・・当該の快速列車は事故の直前の停車駅である伊丹駅では本来の停止位置を数十m超えてしまい、一旦バックして停車していた。このあと次の停車駅である尼崎駅には(伊丹駅で生じた)遅れを持ち込ませないようにすべく120Km/hぐらいで運転していたという。
2005.4.30 
水間鉄道、大阪地裁に会社更生法の適用を申請
・・バブル期に不動産投資が裏目にでる 
2005.6.1 
神戸電鉄、全線にてワンマン運転開始 
2005.6.19
JR西日本、ダイヤ’修正’
・・福知山線脱線事故後は不通であった尼崎-宝塚間の復旧にともない若干の時刻修正を行う (余裕をもたせたものにあらためた)
2005.6.27 
和歌山電鐡㈱、設立 (本社:和歌山市)
・・岡山電気軌道㈱ の100%子会社として設立
・・2006.4.1 営業開始
2005.10.16
南海電気鉄道、高野線ダイヤ改正
●急行列車の運行を原則的に橋本にて分割
2005.11.26
JR西日本、福知山駅付近 高架化
2005.11.27
南海電気鉄道、南海本線 泉佐野駅付近上下線とも高架化完成
2005.11.27
南海電気鉄道、和歌山港線の3駅(久保町、築地橋、築港町) 廃止
   
平成18年
2006.2.2 
神戸新交通 ポートライナー線、市民広場-神戸空港 延伸開業 
2006.2.16
神戸空港、開港 
2006.2
三木市、コミュニティーバス’みっきいバス’運行開始
・・のち2015年に廃止(一般路線バス化)
2006.3.18 
JRグループ、ダイヤ改正
●急行かすが(奈良‐名古屋) 廃止
・・このあと2007.4.27に名鉄バス・奈良交通により名古屋-奈良間に4往復の高速バス便が設定され旅行者の足が確保されている
2006.3.26
JR西日本、姫路駅の山陽本線のりばを高架化 
2006.3.26
山陽電気鉄道、姫路駅‐手柄駅間において線路付け替えのため終日運休
・・JR線の高架化に伴う運休である
・・これ以降は山陽電鉄のほうが下方に移り立体交差する
2006.3.27 
近畿日本鉄道、けいはんな線、生駒―学研奈良登美ヶ丘 開業
・・同時に長田‐生駒間も’けいはんな線’に改称
2006.4.1 
和歌山電鐡、南海電鉄から貴志川線を承継し営業開始 
2006.4.6 
水間鉄道㈱、㈱グルメ杵屋の完全子会社となる
2006.5
(村上ファンド、阪神電気鉄道の株式の46.8%を買い占める)
・・村上ファンドとしては阪神電鉄が保有している阪神百貨店や甲子園球場の土地を売却し(借地としての利用に改める)、一時的に超高収益を上げさせて同社株式が高くなったところで他社に売却し利益をかせぐ算段であった 
2006.10 
阪神電気鉄道、阪急ホールディングスの傘下に入る
・・同時に阪急ホールディングスは阪急阪神ホールディングスに改称
2006.10.21
JR西日本、北陸本線の長浜・敦賀間、および湖西線の永原・近江塩津間直流化
2006.12.1 
JR西日本、321系電車 営業運転開始
・・4扉の通勤型である。車体の強度が高められた
2006.12.24
大阪市交通局、地下鉄・今里筋線(井高野‐今里) 開業
・・リニアモーター方式の小型地下鉄である

平成19年
2007.3.18
JR西日本、和歌山線、北宇智駅のスイッチバック廃止
・・のち1面1線の棒線駅となる
2007.3.18 
JR西日本、ダイヤ改正
●神戸線の西ノ宮駅を西宮駅に表記を変更 
●神戸線の西宮―芦屋間にさくら夙川駅開業
 (この駅の設置は地元の請願ではなくJR西日本の主導によっている)
●201系電車、京阪神緩行線より、営業運転離脱
 (321系が所定両数に達したため)
2007.10.1
阪急バス、千里中央‐箕面森町線 暫定開業
 
平成20年
2008.2.18
JR西日本、JR嵯峨野線(山陰本線) 221系電車運用開始
2008.3.15 
JR西日本、おおさか東線(放出-久宝寺) 開業
2008.3.15
JR西日本、ダイヤ改正
●阪和線・関西空港線、223系の組成方法を3両+5両であったのを4+
 4両にあらためる
●直通快速(奈良‐久宝寺‐放出‐尼崎)が223系6000番台を使用して
 運行される(ただし2011.3.11に207系におきかえられる)
●夜行急行’銀河’(東京‐大阪) 廃止
2008.3.15 
JR西日本、新駅開設、駅名改称
●はりま勝原駅       新設  
●須磨海浜公園駅          新設
●西大津駅 ⇒大津京駅    改称
●雄琴駅  ⇒おごと温泉駅   改称   
2008.4.1 
三木鉄道(厄神‐三木) 廃止
・・今後20年間で20億円の(三木市による)支援額が発生すると試算された。廃止推進派の市長が社長を兼務し、市の財政再建を目的に廃止させた
2008.4.15
京阪電気鉄道、鉄道車両の塗装デザインの変更を公表
2008.6.4
神戸電鉄、6000系電車(=4両編成) 営業運転開始
・・内装は阪急9000系と酷似
・・のちに3両編成版の6500系(=2016~)が登場するが、そちらのほうが多く増備される
2008.10.19
京阪電気鉄道、中之島線、天満橋‐中之島 開業 
2008.10.19
京阪電気鉄道、3000系(2代) 営業運転開始 
2008.11.30
JR西日本、山陽新幹線 0系電車定期運行終了
2008.12.5 
京阪電気鉄道、9000系(9005F)全車ロングシート化
・・2010年1月にはほかの4編成もロングシート化された
・・クロスシートは転換式ではなく固定式であったため、居住性においては京都大阪直通客には不評であったといわれる
・・タイミング的には上記3000系(2代)にクロスシート車としての地位を譲ったような感じである
    
平成21年
2009.3.1 
JR西日本、Jスルーカード取扱終了 
2009.3.14
JR西日本、姫新線にてキハ127系気動車 営業運転開始
・・座席は転換クロスシートが設置される
・・兵庫県、たつの市、佐用町が負担する姫新線輸送改善工事に伴い実施
2009.3.14
阪急電鉄、京都線、ダイヤ改正
●最高速度が115km/hに引き上げられる
2009.3.15 
加悦(かや)フェローライン、(バス)宮津‐加悦の里線(宮津駅-野田川駅-加悦の里) 廃止
・・同社は路線バス事業より撤退 
2009.3.20
近畿日本鉄道・阪神電気鉄道、近鉄奈良―大阪難波―阪神三宮間にて直通運転開始 
2009.3.20
阪神電気鉄道、ダイヤ改正
●近鉄奈良線との相互乗り入れ実施
●福島駅の急行停車をとりやめ
2009.3.20
山陽電気鉄道、ダイヤ改正
●月見山駅に、全列車が停車となる
●一部の直通特急が東須磨、須磨寺にも停車となる
・・JRの須磨海浜公園駅設置に対する対抗策は当初列車の増発が考えられていた。しかし結局直通特急の停車駅を増やすことで対応した
2009.3.20
神戸電鉄、ダイヤ改正
●5両編成列車を廃止
2009.4.1
阪急バス、’さくらやまなみバス’(西宮北口駅-西宮市山口地区) 運行開始
・・有馬温泉を経由する系統と金仙寺口経由のものとがある
2009.4.1 
阪神バス、阪神国道線(阪神尼崎-神戸税関前)を系統分割
・・阪神尼崎‐阪神芦屋系統と阪神西宮-神戸税関前系統に分割された 
2009.4.1 
神姫バス・淡路交通・本四海峡バス・神戸山陽バス、海峡シャトルバス(高速舞子‐岩屋・淡路夢舞台) 運行休止
2009.4.2
阪急電鉄、嵐山線にて6300系(リニュ-アル、4連化) 営業運転開始
・・4連の普通列車として運行される
2009.7.3 
南海電気鉄道、高野線、観光列車’天空’運転開始(橋本-極楽橋)
・・この列車への乗車は500円ほどの座席指定券を購入する必要がある 
2009.11.1 
京阪バス、京都松井山手線、京都駅八条口―松井山手駅(第二京阪道経由)
 運行開始 (ダイレクトエクスプレス直Q京都)
2009.12.15
阪急バス・神姫バス、三宮‐有馬線につき、終点有馬町をより有馬温泉に変更
2009 
帝産湖南交通(バス)、10系統(石山駅-信楽)朝夕の2往復に減便
・・従来は1時間ヘッドで運転されていた路線である
・・これ以降日中は、石山・信楽間は四角形の3辺(JR東海道線、草津線、信楽高原鐵道)をたどらなければならなくなった
・・減便はさらに続き、2015.5.1には朝の石山行き1本のみに減る
2009
神戸電鉄、粟生線活性化協議会を発足させる
・・粟生線の乗客減少は少子高齢化のほか、三宮へ直行可能な競合路線(地下鉄、都市高速バス)の存在があげられる

平成22年
2010.2.20
JR西日本、福知山線 宝塚駅新駅舎 使用開始
2010.2.28
阪急電鉄、6300系電車による特急、通勤特急の運行を終了
2010.3.13
JR西日本、桜井線に‘万葉まほろば線‘という愛称を付与
2010.3.14
阪急電鉄、京都線 摂津市駅 開業
2010.4.1
神戸ベイクルーズ㈱、両備HDの100%出資の子会社となる
2010.3.27
姫路市企業局、 市営バスの全路線を神姫バス㈱に移管完了
2010.8.12 
JR西日本、余部鉄橋につき、コンクリート製新橋梁使用開始 
2010.11.1
京阪バス、京都駅八条口―小野駅-京都橘大学および大宅 運行開始 (山科急行)
・・阪神高速道路京都線(8号線)を通行 
2010.11.7 
JR西日本、播但線特急’はまかぜ’につき、新型車キハ189系使用開始
・・比較的、キハ181系と似たデザインとなっている点が好ましい
2010.11.16
明石淡路フェリー㈱、たこフェリー(明石港―岩屋港) 運航休止
・・最終運行は前日の18時であった
・・明石海峡大橋は1998年開通であるので同橋開通後12年も運航がつづいていたことになる
2010.12.12
日本交通(高速バス)、弁天町バスターミナル 営業終了
・・土地の所有権は変わらず、大規模小売店’ライフ’に貸与される 
 
平成23年
2011.2.18 
阪急電鉄、京都線用観光列車6300系(6354F)’京とれいん’ 工場出場
2011.3.12 
JR西日本、ダイヤ改正
●287系直流電車、運転開始
●関空・紀州路快速が日中15分ヘッドの運転となる
●紀州路快速のうちほとんどが日根野‐和歌山間各駅停車となる
●大和路快速が日中15分ヘッドの運転となる
●JR宝塚線の日中の快速がすべて大阪が起終点となる
 (JR東西線方面への快速は尼崎、塚口始発となる)
●東海道線南草津駅、新快速列車が停車となる
●大阪環状線、大正駅に快速列車が停車となる
●’はんわライナー’ 廃止
●’やまとじライナー’廃止
●JR東西線、223系6000番台(=3扉車)の乗り入れを廃止
2011.3.19阪急電鉄、京都線 ダイヤ改正
●快速特急’京とれいん’ 運転開始 (6300系6連1本を充当)
2011.3.27JR西日本、東西線北新地駅ホームドア使用開始
2011.4.1新神戸ロープウェイ、神戸布引ロープウェイに改称の上、運行再開
2011.4.1JR西日本、加古川線、線路保守作業による運休を廃止
・・そのかわり、一部区間で線路保守労力軽減に伴う減速運転を開始
2011.11.1 
神鉄バス、有馬ループバス 運行休止
・・車両は三菱ローザのボンネット車が使用されていた
(この車両の購入費はだいたい2000万円ほどである)
2011.12
伊丹市交通局(市バス)、ツーステップバスの運行を終了
2011
JR西日本、加古川線 一部区間にて減速運転開始
・・線路保守労力軽減のため

平成24年
2012.3.16
明石市交通部、市営バス事業を終了
2012.3.17
JR西日本、ダイヤ改正
●大阪環状線福島駅に関空快速、紀州路快速、大和路快速が終日停車となる
2012.3.21
国土交通省近畿運輸局による検討会、なにわ筋線のルートにつき合意
・・難波経由案を採用(=汐見橋経由とはしない)
2012.4.1 
大阪市交通局(市バス)、赤バスに国産車(日野ポンチョ(ロング)1扉車)導入 
2012.4.1
南海電気鉄道、南海本線 和歌山大学前(ふじと台)駅 開業
2012.4
大阪府泉南郡岬町、コミュニティバス’ミニループバスみさき’につき、運行事業者を中日臨海バス㈱から大新東㈱に変更
2012.4.14 
京阪電気鉄道、13000系電車 営業運転開始
・・2600系置き換えを目的としたロングシート車である 
2012.5.10
近畿車輌、JR西日本が(近鉄より)株式の5%を取得し第2位の株主となる
2012.6.1
JR西日本、特急’くろしお’において381系(アコモ編成)の運転を廃止
2012.7.23
(神戸電鉄粟生線活性化協議会、粟生線サポーターズくらぶ 会員募集開始)
・・このあと会員数は減少しているという
2012.10.28
関西空港、第2ターミナル(LCC専用)開業

平成25年
2013.1.1
(財団法人)神戸市都市整備公社、一般財団法人に改組、神戸すまいまちづくり公社に改称
・・六甲有馬ロープウェーの運営主体である
2013.2.24
山陽電気鉄道・阪神電気鉄道・近畿日本鉄道、姫路→奈良間に直通臨時列車運行
・・車両は阪神車を使用
2013.3.16
JR東海、新大阪駅27番線ホーム(東京方面行き片面ホーム) 使用開始
2013.3.16
北近畿タンゴ鉄道、KTR001型気動車、すべての運用を離脱
・・ハイデッカー構造になっているためバリアフリー化に対応できない
2013.3.21 
近畿日本鉄道、50000系新型特急’しまかぜ’ 運転開始
2013.4.1 
神姫バス、兵庫県三田市にて連接バス’オレンジアロー連SANDA’運行開始
2013.5.1
神戸市交通局(バス)、神戸駅‐鈴蘭台線につき、阪急バスに移管
・・これにより、同線は阪急バスによる単独運行となる
2013.6.14
近江鉄道、900型電車(2両1編成) 営業運転開始
・・もと西武鉄道新101系を導入
・・車端にクロスシートを設置
・・のち2019年に2代目’あかね号’となる 
2013.7.20
泉北高速鉄道、10両編成列車がなくなる
2013.10.1
阪神総合レジャー㈱(2代)および六甲摩耶鉄道㈱、両社が合併し六甲山観光㈱となる
2013.12.21
阪急電鉄、京都線 大山崎-長岡天神間に西山天王山駅を設置
・・京都縦貫道と交差している地点にあり、同時に高速道路のほうにも長岡京BSが設置された
2013.12.21
阪急電鉄、駅名改称
●服部駅 ⇒ 服部天神駅
●中山駅 ⇒ 中山観音駅
●三宮駅 ⇒ 神戸三宮駅
●松尾駅 ⇒ 松尾大社駅
    
平成26年
2014.3.7 
(’あべのハルカス’展望台 開業) 
2014.3.22 
近畿日本鉄道・阪神電気鉄道、賢島―大阪難波―阪神三宮間に団体臨時特急運行開始
・・近鉄としては特急列車網を神戸までひろげたかったのであるが阪神側は難色を示し実現しなかった。団体臨時列車の設定ということで決着した
2014.3
日本交通(東京)、タクシー事業を大阪にて開始
・・資本系列の全く異なる2つの日本交通㈱が大阪にて競合する
2014.4.1
阪神電気鉄道、駅名改称
●三宮 ⇒ 神戸三宮
2014.4.28 
北大阪急行、9000系’POLESTARⅡ’ 営業運転開始 
2014.6.28 
神戸電鉄、ダイヤ改正
●粟生線、志染-粟生間の列車運行を10時~14時は1時間ヘッドに変更 
2014.7.1 
大阪府都市開発㈱、泉北高速鉄道㈱に改称
・・南海電鉄が大阪府などより同社の株式を買い取り、子会社化
2014.7.14 
WILLER TRAINS㈱、設立 
・・北近畿タンゴ鉄道より第2種鉄道事業を承継する目的で設立
2014.10.10
近畿日本鉄道、50000系特急電車’しまかぜ’、京都線に乗り入れ運転開始
2014.11.1
大阪シティバス、IKEA鶴浜⇔大正Expressバス 運行開始

平成27年
2015.2.21
阪神電気鉄道、甲子園駅 1・2番線ホーム 拡幅
2015.3.3 
阪神電気鉄道、梅田駅改良工事 着工
・・計画では以下の通りとしている
●1番線を現在の1番線北側に新設(ホームは片面のみ)
●現在の1番線が2番線となる
●現在の2番線が3番線となる
●現在の3番線は撤去され広いホームの一部となる
●全ホームが6両対応となる
2015.3.12 
JR西日本、臨時寝台特急’トワイライトエクスプレス’(大阪‐札幌)運行終了 
2015.3.14
阪神電気鉄道、甲子園駅 3・4番線ホーム 拡幅
2015.4
京都丹後鉄道、第二種鉄道事業者として運行開始
・・インフラについては従来のまま北近畿タンゴ鉄道㈱が第3種事業者として事業継続する 
2015.7.13
神戸電鉄粟生線活性化協議会、第25回会合を実施
●薮本吉秀・三木市長が会長となる。同氏は新開地駅において東西線との相互乗り入れを提案したという(但し軌間が異なる)
2015.9.30
三木市、コミュニティーバス’みっきいバス’を実質廃止(一般路線バス化)
2015.10.1
奈良交通、熊野線(大淀BC‐下北山村下桑原) 廃止
2015.10.8 
南海電気鉄道、8300系 営業運転開始
・・この系列は(横浜の総合車両製作所(東急車輌の後身、JR東系、2012.4~)ではなく)近畿車輌の製造による
・・南海と近車のつながりは新しいものではない。1975年ごろまでの南海電鉄は高野線通勤車については東急製、南海線は近車製(一部東急製)といったメーカーの使い分けがおこなわれていた
2015.10.30
JR西日本、この日をもって特急こうのとり、はしだて、きのさき、くろしおから381系電車が引退 
2015.11.12
近畿日本鉄道、特急列車の車体塗装デザインの変更を発表
2015.12.5 
南海電気鉄道・泉北高速鉄道、難波‐和泉中央間に座席指定特急’泉北ライナー’ 運行開始
  
平成28年
2016.1.27 
南海電気鉄道、南海本線高架化工事のため、浜寺公園駅駅舎営業終了
・・1907年に建てられたものであり、国の登録有形文化財に選定されている 
2016.2.17
京阪電気鉄道、10000系電車(10001F) 7連化して試運転
・・7200系および9000系の中間車が改番され連結された
2016.3.19
山陽電気鉄道、ダイヤ改正
●デイタイム直通特急のうち半数(毎時2本)東須磨、須磨寺を通過とする  (従来は三宮・須磨間全駅停車であった)
2016.3.26
JR西日本、ダイヤ改正
●大阪しなの(長野‐大阪)、名古屋‐大阪間 運転取りやめ
●高槻駅、従来の外側通過線に1番ホームと6番ホームを新設
 (新快速と特急’はるか’用のりばとなる)
●三ノ宮駅において新快速と普通の相互接続を廃止 
2016.3.26
JR西日本、JR神戸線(山陽本線) 東姫路駅 開業 (御着・姫路間)
2016.3.26
JR西日本、JR神戸線(東海道本線)、JR摩耶駅開業 (灘・六甲道間)
2016.4.27 
山陽電気鉄道、6000系電車 営業運転開始
・・3連を基本とするオールロングシート車である 
2016.4.29 
JR西日本、京都鉄道博物館 開館 
2016.4.29
南海電気鉄道、加太線に’めでたいでんしゃ’(7100系2連、ピンク)運行開始
2016.5.21
神戸電鉄、6500系電車 営業運転開始
・・急こう配線区であるが2M1Tの3両編成となる
・・6000系との内装における相違点は座席両端の袖仕切りが高くなった点があげられる。(袖仕切りが高くなると眠るのに都合がよい)
2016.6 
JR西日本、大阪環状線用新型車323系 竣工
・・将来の大阪環状線各駅のホームドア設置をふまえ3扉車となった
・・10月まで湖西線にて試運転がおこなわれた
・・1両あたり電動台車を片側のみとした(つまり0.5M車となる)うえで8両全車電動車としている 
2016.7.12
阪急電鉄、7000系電車(7034F+7035Fの4連) 伊丹線にて運用開始
2016.7.29 
大阪バス、近鉄布施駅(北口)‐大蓮‐近鉄八尾駅
  および JR久宝寺駅-地下鉄出戸駅 運行開始
・・大阪バスにとっては初の一般路線バスとなる 
2016.9.10 
近畿日本鉄道、南大阪・吉野線、観光特急’青の交響曲’ 営業運転開始
・・通勤車6200系の改造による 
2016.11.10
北港観光バス、大阪駅-ネスタリゾート神戸 高速乗合バス運行開始
・・所要時間:60分
2016.11.15
西宮市、福知山線の旧線区間のうち立ち入り禁止となっていた部分(生瀬-武田尾間のうち4.7Km)をハイキングコースとして一般開放
2016.12.3 
阪堺電気軌道、上町線、阿倍野筋の拡幅に伴い線路を道路中央に移設
・・関西の路面電車でははじめて芝生軌道を導入
 
平成29年
2017.3.18
能勢電鉄、ダイヤ改正
●日生急行、妙見急行(ともに朝に運行) 廃止
2017.3.18
阪神電気鉄道、甲子園駅 上りホームの形状変更
・・主本線が2番線より1番線に変更
2017.3.25
近鉄バス、 稲田車庫-梅田 廃止
・・これにより近鉄バス(一般路線バス)の梅田乗り入れがなくなる
・・末期は1週間に1本の運行であった
2017.3 
神戸電鉄、粟生線、西鈴蘭台-志染間の昼間時間帯の列車運行を15分ヘッドから30分ヘッドにあらためる 
2017.5.2
阪神電気鉄道、5500系リニューアル車(社内ではリノベーション車と呼称) 運転開始
・・塗装はブルーの面積が拡大し、グレーは車体裾に残るのみとなる
2017.6.1
大阪市高速電気軌道㈱、設立 (本社:大阪市西区)
・・2018.4.1 営業開始 (愛称:大阪メトロ)
2017.6.22
全但バス、客貨混載バス 運行開始  (ヤマト運輸と提携)
・・江原駅-神鍋高原線の一部区間にて宅急便貨物の輸送をひきうける
2017.8.20
京阪電気鉄道、8000系に’プレミアムカー’を組み込み営業運転開始
・・同車への乗車には特別料金を徴収
2017.9.10
大阪水上バス、観光船クルーズ’大阪漫遊紀行’(天満橋‐枚方) 運航開始
2017.9.27
岸和田観光バス、羽衣BT-高石BT-高石市高砂→堺市築港浜寺西町 運行開始 (高石堺臨海ライン) 
2017.10.3
JR西日本、大阪環状線・桜島線において103系運転終了 
2017.11.28
南海電気鉄道、浜寺公園駅舎 南へ30m曳家方式にて移動
・・新駅舎建設のため
2017
甲賀市、南草津駅-(新名神)-田村神社前 運行開始 (甲賀市コミュニティバス南草津土山線)
・・高速道路を通行するコミュニティバス路線が新設された 
2017
JR西日本、駅ホームの時刻表撤去開始
・・スマホの普及等を理由とする
 
平成30年
2018.3.4 
神戸電鉄、三木駅舎全焼
・・近隣家屋の火災に伴う類焼による 
2018.3.17
JR西日本、阪和線羽衣支線 3扉車(223系・225系)が投入される
2018.3.17
京阪電気鉄道、石山坂本線、坂本駅を坂本比叡山口駅に改称
2018.3.19
能勢電鉄、7200系電車 営業運転開始
・・種車は阪急の6000系と7000系である
2018.3.30 
奈良交通、祝園駅-けいはんな都市 連接バス’YELLOW LINER 華連’運行開始  
2018.4.1
大阪市高速電気軌道㈱、営業開始 
2018.4.1 
神戸空港の運営が民営化
2018.5.15 
近畿日本鉄道、フリーゲージトレイン(軌間可変電車)の開発推進を発表
・・これが実現すれば京都-吉野間に乗り換えを要しない列車が登場することになる 
2018.7.23
JR西日本、新大阪駅の在来線のりばが4面8線より5面10線にかわる
2018.8.24 
神戸電鉄、未明の台風20号により、花山-大池間の下り線の線路路盤が西側のがけ下に流出
・・26日に応急工事完了し運転再開
2018.9.4
南海電気鉄道・JR西日本、関西空港連絡橋が(台風21号によりタンカーが橋に衝突したため)列車運行不能となる(18日運転再開)
2018.10.30
山陽電気鉄道、5000系リニューアル車(5702F) 営業運転開始
・・クロスシートは中央部の2両のみとなる
(通勤車両のクロスシートというのは’ひかえめに設置’というのが望ましいようだ) 
2018.12.8
近江鉄道、近江鉄道ミュージアム(彦根) 閉館
2018.12.12
阪急神戸線用7000系2連、阪神本線尼崎駅付近を走行
・・阪神尼崎車庫(武庫川車両がある)入場のためと思われる 
                                        平成31年・令和元年
2019.1.19
阪急電鉄、京都線 ダイヤ改正
●新種別’快速特急A’ 新設 (途中停車駅:淡路、桂、烏丸)
・・十三駅(下り)ホームドア設置により6300系が停車不可能となったため十三通過の列車種別を新設  
2019.2.16
神戸市交通局、6000系電車 営業運転開始
2019.3.1 
南海電気鉄道、高野山鋼索線にて新型車(4代目車両)による運行開始
・・今回のものは鉄道車両の塗装にあわせたものではなく黒赤が基調となる 
2019.3 
阪急電鉄、観光列車’京とれいん’にあらたに1編成増備(京とれいん雅洛)
・・2編成目は、もと神戸専用7000系(7006F)を種車としている。3扉のうち中扉を埋め丸窓を配置した 
2019.3.15
金剛ロ-プウェイ、運行休止
・・耐震診断の結果による
・・これにより、大阪府下の営業中のロープウェイは(一旦)なくなる
2019.3.16 
JR西日本、山陰線(嵯峨野線)京都-丹波口間に梅小路京都西駅が開業 
2019.3.16
JR西日本、ダイヤ改正
●新快速の一部列車にAシート(=リクライニング)連結 (東方より4両目)
●平日の大阪‐姫路間に(通勤)特急’らくラクはりま’ 運転開始(18日~)
(ちなみに上りの三ノ宮→大阪間の所要時間は17分であり史上最速である)
2019.4.1
大阪市高速電気軌道(バス)、BRTバス路線’いまざとライナー’ 開業
・・地下鉄今里筋線の今里以南の延伸開業が困難(採算面)であるためBRT方式を採用
・・開業区間は今里‐あべの橋間と今里‐長居間の2系統である
・・運行自体は大阪シティバス㈱に委託される
2019.4.13 
奈良公園バスターミナル、開業
・・奈良県庁のすぐ東側に設置される
・・ただし、駐車機能はなく観光バス事業者には不評である
2019.5.6
近江鉄道、700系(あかね号) 運転終了
・・翌日より900系が’あかね号’と名乗る
・・900系は貫通路寄りにクロスシート(4席)があるのみであり、ほとんどロングシートである。塗装デザインのみが従来のあかね号から継承されている
2019.5.18
京都丹後鉄道、KTR300型気動車、運行開始
・・車長は18.5mである(従来車に比べ若干小型化)
・・車内は一部に転換クロスシートを設置
・・車体は赤の地に数本の金色のラインが入るデザイン 
2019.6.7
JR西日本、201系電車が大阪環状線・桜島線において運行終了となる
・・これにより、翌日より323系に置換えが完了し、同線は3扉車に統一される 
2019.7.13
阪急バス、余野‐妙見山上 路線廃止
・・日祝限定運行(1日2往復)であったため実際の運行最終日は7月7日であった
2019.9.23 
南海バス、鳳駅ロータリーに乗り入れ開始 
2019.9.30
阪急電鉄、ラガールカード(磁気券)の改札機での使用を終了
・・阪神電気鉄道、能勢電鉄、北大阪急行においても同様の扱いを実施
2019.9.30
JR西日本、桜井線 全列車が227系(1000番台)電車におきかわる
2019.10.1 
淡路交通(バス)、縦貫線のうち岩屋-津名港間を淡路市コミバスに移管
・・縦貫線はかつては明石からの連絡船が岩屋港につくたびに満員となるドル箱路線であったが沿線の過疎化と明石大橋開通により客が激減
2019.10.1
阪急電鉄、駅名改称
●梅田  ⇒ 大阪梅田
●石橋  ⇒ 石橋阪大前
●河原町 ⇒ 京都河原町
2019.10.1
阪神電気鉄道、駅名改称
●梅田  ⇒ 大阪梅田 
●鳴尾  ⇒ 鳴尾・武庫川女子大前
2019.10.1
京阪電気鉄道、駅名改称
●深草  ⇒ 龍谷大前深草
●八幡市 ⇒ 石清水八幡宮
2019.10.5 
(神戸阪急(=デパート)オープン)
・・従来そごう百貨店がテナントとして入っていた建物に阪急百貨店が入店することになった 
2019.11.1
近鉄バス、瓢箪山駅前発着の路線バスを東花園駅前発着に変更 
2019.11.2
近江鉄道、八日市駅構内に近江鉄道ミュージアムを開設
2019.12.1
須磨浦遊園㈱、須磨浦ロープウェイを山陽電気鉄道㈱に移管
2019.12.1 
日本交通、サブローバス(三宮-六甲アイランド)において減便
・・乗務員不足にともない日中は1時間ヘッド運行となる
 
令和2年
2020.2.1阪堺電気軌道、恵美須町駅 100m南方に移設
●副駅名として’通天閣前’が追加される
●駅構造は1面1線となる
●旧駅跡地は(のちに)駐車場となる
2020.2阪急電鉄、伊丹線 3000系電車 運行終了
・・これ以降は7000系が使用される
2020.3.8近畿日本鉄道、土休日の名阪特急において車内販売を終了
2020.3.13近畿日本鉄道、鮮魚列車(2680系3連使用) 運行終了
・・翌日より上り快速急行に鮮魚専用車1両(ラッピングあり)が連結される
・・これにより、2680系は運行終了となり、のち5月には廃車となる
2020.3.14JR西日本、ダイヤ改正
●特急はるかに新型車(271系)導入、また9両編成に統一
●昼間時間帯のJR難波‐高田間直通する快速の運転取りやめ
●福知山線、昼間時間帯に区間快速を設定
・・宝塚‐新三田間を各駅停車化
●大和路快速、全編成を8両化
●特急くろしお、全列車が日根野に停車 
2020.3.14阪神電気鉄道、ダイヤ改正
●土休日の快速急行を8両編成とする
●上記に伴い快速急行が芦屋駅通過となる
2020.3.14神戸電鉄、ダイヤ改正
●有馬線、昼間時間帯の新開地‐鈴蘭台間の列車数を8本から6本に変更
●有馬線、花山駅に急行が停車
●粟生線、昼間帯の、志染どまりの一部を三木まで延長 (実証実験)
・・三木までは30分ヘッドとなる
2020.3.14近畿日本鉄道、名阪特急に80000系特急車’ひのとり’ 営業運転開始
2020.3.20京福電気鉄道、等持院駅を’等持院・立命館大学衣笠キャンパス前’駅に改称
2020.3.23伊丹市交通局、JR伊丹駅‐阪急伊丹駅―大阪空港 運行開始
 (伊丹エアポートライナー)
・・従来の空港直行便(26系統)をリニューアル、新たに阪急伊丹駅を経由
2020.3.29大阪バス、大阪市内路線バス’御堂筋線’ 運行開始
●大阪駅‐心斎橋大丸
●大阪駅‐黒門市場
●大阪駅‐Hニューオータニ
2020.3.31加悦SL広場、閉園
2020.4.1
南海電気鉄道、みさき公園 閉園
・・来園者減少に伴う赤字経営のため
・・敷地は岬町に無償譲渡される
2020.4.2
阪急電鉄、5000系 編成単位での廃車がでる(5000F)
・・5000系は1968年デビューなのでこの編成は52年間働いたことになる
2020.4.13
阪急バス、芦屋‐有馬線につき大幅減便
・・冬期(12~3月)運休となり、土休日のみの運行となる。また有馬‐山口(営)間が運行取りやめとなる
2020.4.13
熊野観光開発、ウオータージェット船の運行を当面運休
2020.4.24キーノ和歌山(南海和歌山市駅の新・駅ビル)、この日の開業が延期となる
・・新型コロナウィルス蔓延のため
2020.6.1
北神急行電鉄、鉄道事業(新神戸‐谷上)を神戸市に譲渡
・・運賃は550円から280円になる
・・神戸市が北区の人口増加促進を図り実施
2021.6.1神戸市交通局(バス)、62系統(谷上駅‐神戸北町ほか) 復活運行開始
・・この路線は、かつて1988年(北神急行開業時)から7年間ほど運行されていた
2020.6.2
阪神電気鉄道、武庫川線、赤胴車(車体色:赤と肌色) 運行終了
2020.6.3
阪神電気鉄道、武庫川線、5500系リニューアル車 運転開始
・・5511Fおよび5513F(いずれも4連であった)を2連x4に組み替え
2020.6.28北条鉄道、法華口駅において列車行き違い設備完成
・・営業運転における本格使用は9月1日である
2020.7.20阪急バス、加島線(梅田‐加島駅前‐西川) 路線廃止
2020.9.1北条鉄道、朝の列車を3往復増便、30分ヘッドで運行
・・その結果として利用客も増加
2020.9.14京阪電気鉄道、石山坂本線 603F列車をびわこ号塗装化して運行開始
2020.9.25阪急バス、阪急園田‐JR猪名寺‐伊丹(営) 路線廃止
2020.12.1熊野観光開発、ウオータジェット線の運航を翌年1月1日より事業休止すると発表
2020.12.8近鉄バス、OSAKA SKY VISTA(市内定期観光バス)コロナに伴い運行休止

令和3年
2021.1.14JR西日本、山陽本線の姫路・英賀保間の新駅につき、計画変更認可を申請したと発表
・・新駅は西延末(手柄山公園北側)での立地を計画
2021.1.31京阪電気鉄道、3000系電車にもプレミアムカーを連結
2021.2.1神戸電鉄、大池駅 下り線駅舎使用開始
・・これに伴い構内踏切を廃止
2021.2.13近畿日本鉄道、名阪特急を80000系’ひのとり’、および21000系’アーバンライナー’に統一
2021.3.13JR西日本・阪急・阪神、ダイヤ改正において終電の繰り上げ実施
2021.3.13JR西日本、ダイヤ改正
●通勤特急’らくラクはりま’、新大阪まで延伸、大久保にも停車
●福知山線特急’こうのとり’、一部列車が西宮名塩に停車
●播但線特急’はまかぜ’、全車指定席とする
●紀勢線特急’くろしお’、一部列車が箕島、藤並、湯浅、南部に停車
●紀勢線(紀伊田辺以南)普通列車を227系(ロングシート2連)におきかえ
2021.3.25山陽電気鉄道、須磨浦ロープウェイ リニューアル完了に伴い営業再開
2021.4.1神姫バス、’ポートルーフ’(三宮‐ハーバーランド周辺臨海地区) 運行開始
・・車両は新型車である日野・ブルーリボンハイブリッド連節バスを使用
2021.4.10阪急電鉄、京都線’京とれいん(及び雅洛)’ コロナ4波に伴い運休開始
2021.5.22南海電気鉄道、高師浜線 高架化工事に伴い運休(3年間を予定)
2021.5.22南海電気鉄道、羽衣駅 上り線も高架化
2021.6.24エイチ・ツー・オーリテイリング、アズナス(阪急・阪神のコンビニ・駅の売店)事業を7月26日よりロ-ソンにブランド移譲することを表明
2021.7.1近畿日本鉄道、福山通運と提携し名阪特急(アーバンライナー)にて貨客混載事業を開始
2021.7.31阪神バス、ダイヤ改正
●北大阪線(野田‐天六)を土休日夕方に1往復のみの運行とする
●杭瀬甲子園線をJR尼崎始発に変更し、路線名を尼崎甲子園とする
●尼崎市内線の一部路線につき、尼崎ドライビングスクール前まで延伸
●土曜ダイヤと休日ダイヤを統合
2021.8.17京都市交通局、地下鉄烏丸線用20系電車の第1編成を報道陣に公開
・・関東私鉄で流行している流線形が採用される
2021.8(コロナ第5波、蔓延)
2021.9.1北条鉄道、JR東日本(五能線で使用)より購入したキハ40(1両)に対して整備費用としてクラウドファンディング(=ネットを介した募金活動)を実施
・・賛同者は意外と多く初期の目標金額には早く到達した
2021.9.8阪急バス、さくらやまなみバス(=西宮市南北間連絡)につき、ノンステップ車導入
・・車両更新に伴うものであり、2024年までに現在のワンステップ車を置きかえるとしている
2021.9.25京阪電気鉄道、ダイヤ改正(平日は15%、休日は20%の列車削減)
●昼間時間帯の特急、準急、普通を毎時6本から4本に変更
●昼間時間帯に毎時2本の快速急行を設定
・・快速急行の停車駅=特急停車駅+守口市+寝屋川市+香里園
●石山坂本線は昼間時間帯につき、近江神宮前以北を20分ヘッド運転とする
2021.9.26(神戸ポートタワー、リニューアルに伴い一旦営業終了)
・・リニューアル後は屋上も開放される
2021.9京阪電気鉄道、5000系電車(=5扉車) 営業運転終了
2021.10.1阪急バス・神姫バス、三宮有馬線につき停留所名変更
●新神戸駅 ⇒ 新神戸駅前
2021.10.2阪急電鉄、京都線 京とれいん(及び雅洛) 運行再開
2021.10.2JR西日本、ダイヤ改正
●大和路線、木津・加茂間につき、昼間時運転本数を1時間に1本に削減
●琵琶湖線、米原・長浜間につき、昼間時運転本数を1時間に1本に削減
●山陽線、網干・上郡間につき、昼間時運転本数1時間に1本に削減
●赤穂線、相生・播州赤穂間につき、昼間時運転本数を1時間に1本に削減
●JR神戸線、須磨・西明石間の普通列車につき、1時間に4本に削減
●JR京都線、高槻・京都間の普通列車につき、1時間に4本に削減
・・上記末端区間について言えることは30年以上前の国鉄時代に近くなっている。(ただ異なる点は国鉄時代は本数が少なかったが列車はもっと長かった)
2021.10.30阪神電気鉄道、大阪梅田駅 旧1番線の北側に新1番線新設 使用開始
2021.11.27能勢電鉄、シグナス森林鉄道(妙見の森の公園内トロッコ列車)(=2001~)年内運行終了
・・のち、施設の老朽化などを理由として翌年2月に春季再開を待たずに廃止
2021.12.1阪急バス・神姫バス、神戸市兵庫区北部の一部区間(平野‐高座金清橋)において、旧道の改修工事に伴い新道(R428)を通行
・・約1年間の予定
2021.12.4和歌山電鐵、たま電車ミュージアム号 営業開始
・・従来の’おもちゃ電車’を改装
2021.12.9大阪メトロ、中央線に導入予定の400系のデザインを発表
・・宇宙船をイメージした奇抜なデザインとなる
・・また6両中1両はクロスシート(バス風一人掛け)を設置
・・なお同時に発表された30000A系のほうは奇抜さはなく堅実なデザインである
2021.12.11山陽電気鉄道、大塩駅 橋上駅舎化
・・これに伴いホームの改良を開始する。来春には上り特急列車の最後部車両のドアカットが廃止される目途がつく
2021.12.12北条鉄道、未明にキハ40型気動車(=JR東日本・五能線にて運行されていた)が北条町駅構内に搬入される
・・2022年3月の運行を予定
・・カラーリングについては変更されないとのこと
2021.12.22京阪バス、’ステーションループバス’(京都市内の循環線)、全車両(4台)を中国・BYD社製の電気バスに置きかえる
2021.12.25京阪バス、以下の2路線を京都京阪バスに移管
●90号経路(京阪淀駅‐JR長岡京駅)
●13号経路(京阪淀駅‐JR山崎駅)
 
令和4年
2022.2.19山陽電気鉄道、大塩駅のホーム延長に伴い特急列車のドアカット廃止
2022.2.27JR西日本、奈良線、新田‐城陽間 複線化
2022.3.11JR西日本、奈良線、103系電車 運行終了
2022.3.12JR西日本、ダイヤ改正
●おおさか東線、201系より221系に車両をおきかえる
●桜井線・和歌山線、奈良‐和歌山直通を改め、王寺‐和歌山の運行に戻す
●学研都市線、同志社前・木津間の昼間時間帯につき、1時間ヘッド化
●新快速、Aシートが全席指定席となる
●加古川線、加古川‐厄神間の区間列車を廃止
●福知山線、新三田‐篠山口間 昼間時間帯の一部を1時間ヘッド化
●特急こうのとり・ほか、全車指定席となる
2022.3.13北条鉄道、キハ40形 営業運転開始
2022.3.26南海電気鉄道、新今宮駅 リニューアル完成
2022.3.28神戸電鉄、粟生線 三木駅 新駅舎使用開始
2022.4.1阪急バス・神姫バス、三宮‐有馬線につき、運行本数を減便(7往復となる)
2022.4.1神戸交通振興㈱、(神戸市交通局より受託していた)神戸市営地下鉄(一部の駅)の駅業務を近畿日本鉄道㈱に移管
・・同時に神戸交通振興㈱は会社として解散となる
2022.4.29近畿日本鉄道、大阪難波‐近鉄奈良‐京都間に観光特急’あをによし’運転開始
2022.5.2南海電気鉄道、特急ラピート 全列車が運行再開となる
2022.5.26京阪電気鉄道、3000系プレミアムカーがローレル賞受賞
2022.6.4近畿日本鉄道、長野線 喜志‐富田林間 上り線高架化
2022.6.5近畿日本鉄道、橿原線 結崎(ゆうざき)駅 新駅舎使用開始
2022.7.1JR西日本、特急はるか(関空‐京都)につき、昼間時間帯の運行を再開
2022.7.1阪急バス、千里中央‐光風台線 新設
2022.7.1京都市交通局、市バスの左最前列席が着席可能となる
2022.7.4大阪高速電気軌道、御堂筋線 10系電車 営業運転終了
2022.8.3阪急電鉄、今後全駅にホーム柵を設置すると発表
2022.9.23阪急バス、妙見口駅‐ケーブル黒川駅‐黒川ダリア園線、期間便運行開始(11月3日までの日祝日)
・・翌年には運行されず(期間到来前に廃止)
2022.9.11京阪電気鉄道・大阪府・寝屋川市・枚方市、京阪本線の寝屋川市駅‐枚方市駅間の連続立体交差事業につき、起工式実施
2022.1012阪急電鉄、2024年に京都線にて座席指定サービス実施する予定を公表
2022.11.1阪急電鉄・西宮市・尼崎市、阪急神戸線の西宮北口・武庫之荘間(武庫川橋梁上)に新駅を設置することで合意
2022.11.5神戸電鉄、花山駅 新駅舎使用開始
2022.12.11阪急電鉄、6300系の’京とれいん’(=2011~) 運行終了
2022.12.17神戸電鉄、大池駅 上り線新駅舎使用開始
・・この駅は上り線と下り線では別々の駅舎を使用
2022.12.17阪急電鉄、ダイヤ改正
●快速急行という列車種別を準特急に改称
2022.12.17阪神電気鉄道、ダイヤ改正
●平日日中の快速急行を1時間当たり3本から2本に減便
●土休日の朝にあった新開地発奈良行き快速急行を神戸三宮始発に変更
●平日の日中以降と土休日の快速急行につき、武庫川、今津を停車とする
2022.12.17能勢電鉄、ダイヤ改正
●列車の運行につき、川西能勢口‐日生中央間を基本とし、妙見口方面は山下‐妙見口間の区間運転主体に改める
●土曜ダイヤがなくなる
 
令和5年
2023.2.25大阪バス、新大阪駅線(新大阪駅‐帝国ホテルほか)
・・1日8往復運行
2023.3.18JR西日本、和田岬線、103系電車 運行終了
2023.3.18JR西日本、ダイヤ改正
●新快速、Aシート車連結列車を1日2往復から6往復に増便
●特急’くろしお’・’はるか’、大阪駅(地下)に停車となる
(これに伴い特急’くろしお’の西九条停車がなくなる)
●奈良線、京都‐城陽間が完全複線化されたため所要時間を短縮
2023.3.19JR西日本、和田岬線、207系電車 運行開始
2023.3.19阪急バス、表六甲線(阪急六甲‐丁字ヶ辻)(=1956~) 運行終了
2023.3.30京阪電気鉄道、中期経営計画を発表
●プレミアムカーを2両にする
2023.4.1JR西日本、草津線および湖西線、113系・117系電車の運行終了
2023.4.1神戸住環境整備公社、摩耶ケーブル・摩耶ロープウェーおよび六甲有馬ロープウェイの3線につき、㈱こうべ都市未来機構に営業譲渡
2023.4.29南海電気鉄道、こうや号の運行本数が11か月ぶりに通常本数に戻る
・・30000系電車の修復が完了したため
2023.5.1阪神バス、中国BYD社製電動バスを使用開始
2023.5.8(政府、新型コロナにつき、第5類に扱い変更)
・・阪急バス、阪神バスなどにて左最前席着席が可能になる
2023.6.14大阪バス、布施-八尾線、11往復から5往復に減便
2023.6.23能勢電鉄、近畿運輸局に妙見の森ケーブル(=1960~)の廃止届を提出
・・2024.6.24の営業をもっての廃止を予定(廃止の繰上げありとする)
・・利用者の減少の他、今後の設備保全に要するの出費も理由とする
・・同社では妙見の森事業すべてから撤退する方針である
2023.6.30金剛自動車、この日をもってタクシー事業を廃止 
2023.8.8泉北高速鉄道、9300系電車 営業開始
・・4両単位で1編成としている
2023.8.24JR西日本、大和路線の区間快速・直通快速(うち各2往復)につき、有料座席指定サービスの実施予定があることを発表
2023.10.1南海電気鉄道・泉北高速鉄道、泉北ライナー(うち5往復)につき、南海50000系(ラピート車)による運行をとりやめ
2023.10.6阪急電鉄、来年夏に神戸・宝塚線および京都線に新型車を運行させると発表
・・形式名は2000系および2300系となる
(車体寸法はそれぞれ19.0m、18.9mとなり異なる。車体幅も異なる)
2023.10.7JR西日本、臨時特急’まほろば’(大阪(地下)‐奈良、おおさか東線経由) 運行開始 (週末のみの運行)
2023.10.17JR西日本、近畿車輛徳庵工場の側線にて273系特急電車を公開
・・構体は271系(=2020~)と類似するが塗装に茶色系のものを採用
2023.10.20JR西日本、嵯峨野線(山陰線)、紅葉シーズン(12月10日まで)につき嵐山嵯峨野駅に一部の特急列車を停車
2023.10.21南海電気鉄道、ダイヤ改正
●特急ラピートの運行本数をコロナ禍以前の本数にもどす
●多奈川線:日中の運行を1時間ヘッド化(従来は30分ヘッド)
2023.11.5阪急バス、以下の4線につき、運行終了(廃止)(運転手不足による)
●三宮‐有馬線(=1962~)(同区間の神姫便は3月末まで存続)
●豊中西宮線(豊中‐西宮北口(=1962~)、石橋‐西宮北口)
●阪北線梅田系統(園田‐梅田)
●空港宝塚線(大阪空港‐宝塚)
2023.11.14西日本JRバス、’~Osaka Dream Tour~なにワンダー’(大阪市内周遊観光)運行開始
・・12月24日までの特定日運行、運賃:5000円
2023.11.26京都丹後鉄道、KTR8500形(4両)(もとJR東海85系) 一般公開
2023.12.3能勢電鉄、妙見の森事業(ケーブル・リフト・バーベキュー施設) 事業終了
・・予定より半年早く繰り上げ実施となる
2023.12.3阪急バス、妙見口駅‐ケーブル黒川駅線 運行終了(廃止)
2023.12.20金剛自動車㈱(本社:大阪府富田林市)、バス事業を終了(廃止)
2023.12.22阪急バス、白水峡墓園前付近の迂回運行とりやめ、通常ルートに戻る
 
令和6年
2024.1.13阪神バス、北大阪線(野田‐天六) 休止
・・1週間に1往復運行していた路線
2024.1.13 阪神バス、野田尼崎甲子園線 休止
2024.2.1北港観光バス、コスモドリームライン(コスモスクエア駅‐夢洲島内)につき、8月に廃止すると発表
2024.3.16JR西日本、ダイヤ改正
●北陸新幹線敦賀延伸に伴い、特急サンダーバードの運行区間がが大阪‐敦賀となる。また全車指定席となる
●大和路線、’らくラクやまと’(奈良-天王寺-新大阪) 新設
●特急らくラクはりま、京都-網干間運転に変更(延伸)
●特急スーパーはくと、多くの便を京都発着から大阪発着に変更(短縮)
●特急びわこエクスプレス、愛称を'らくラクびわこ'に改称
2024.3.16智頭急行、特急料金を値上げ
・・自由席が730円、指定席が830円となる
2024.3.20京阪バス・京都バス、比叡山ドライブバス(京都駅-比叡山)期間便運行開始
・・12月8日まで平日2往復、休日4往復運行
2024.3.23北大阪急行、千里中央‐箕面萱野(2.5Km) 延伸開業
2024.3.29阪急バス、妙見口能勢線(森町-妙見口駅-地黄-倉垣地区) 運行終了
2024.3.31神姫バス、三宮‐有馬線(=1962~) 運行終了(廃止)
2024.4.1近江鉄道、上下分離方式 実施
2024.4.1阪急バス、芦屋-有馬線(=1963~)につき、奥池-有馬温泉間 廃止
2024.4.1南海バス、高師浜線高架化工事に伴う代行バス 運行終了
2024.4.1神姫バス、神戸駅‐三田線、休日運行を廃止
・・谷上以北は平日2往復が残るのみとなる
2024.4.6南海電気鉄道、高師浜線 運行再開
2024.4.26(神戸ポートタワー、営業再開)
2024.6.9JR西日本、関西線、奈良-大和郡山間高架化工事 起工式
・・この区間には新駅設置が予定される
2024.6.17スルッとKANSAI協議会、デジタル乗車券サービス ’スルッとQRtto’運用開始
2024.6.17大阪高速電気軌道・大阪シティバス、QRコードのデジタル1日乗車券販売開始
2024.7.7大阪バス、市内路線バス新大阪線、当面運休
2024.7.21阪急電鉄、京都線特急列車にて座席指定車運用開始
●車両は車体中央1か所のみに両開扉を配置
●座席は横3列(2:1)となる。座席指定料金は500円
2024.7.28近鉄バス、茨木線エキスポシティ系統(100番)(JR茨木駅-万博記念公園駅前) 運行終了(休止)
2024.7.28近鉄バス、茨木線弁天系統(14番)(JR茨木駅-茨木弁天前)運行終了(休止)
2024.8.1阪急バス、阪神地区にて運賃改定(大方10円~20円の値上げ)
・・例えば、阪神尼崎⇔阪急塚口の場合、230円より240円となる
2024.8阪神バス、尼崎市内線、東富松停留所(北行き)、上屋張替
2024.8.21 南海電気鉄道、グリーン濃淡の旧塗装を施した710O系(1編成)運転開始
2024.10.1南海電気鉄道、明光バスを子会社化
2024.10.1 阪神バス、尼崎市内線、均一運賃を230円から240円に値上げ
2024.10.1神姫バス、三木‐三田線 休止
2024.10.26波賀森林鉄道、678mに延伸
2024.10.29阪神電気鉄道、タッチ決済に対応
2024.10近畿日本鉄道、8A系電車 導入
2024.11.8神姫バス、連節バス’Port Loop’、神戸駅南口に乗り入れ開始
 
令和7年
2025.1.6神戸六甲鉄道、六甲ケーブル線につき、車両・施設のリニューアルのため4月12日まで運休(バス代行)
2025.1.19大阪メトロ、中央線、ココスコスクエア-夢洲((3.2km) 延伸開業
2025.2.10阪神電気鉄道、5001型 営業運転終了
2025.2.22
阪急電鉄、ダイヤ改正
●神戸線、朝ラッシュ時の10連運転を廃止
       朝夕のラッシュ時、通勤急行を快速に変更⇒塚口を通過とする 
       夕ラッシュ時、特急を準特急に変更      ⇒塚口、六甲にも停車
・・夕方における塚口、武庫之荘の両駅は快速と準特急にて’千鳥停車’となる
●宝塚線、夕ラッシュ時、急行を通勤急行に変更     ⇒曽根、岡町にも停車 
2025.2.22近鉄、ダイヤ改正
●奈良線、平日昼の快速急行を20分ヘッド化(従来は30分ヘッド)
●京都線、新田辺以南につき、平日昼間の普通列車を15分ヘッド化
       (橿原線・天理線も同様の増発を行う)
2025.2.22京阪電気鉄道、ダイヤ改正
●日中のダイヤを12分ヘッドに変更
●(一部の例外を除き)普通と区間急行を4両化
2025.2.22山陽電気鉄道、別府駅に直通特急及び特急が停車となる
・・これに先立ちホームの6連対応の延伸工事が実施された
2025.2.24阪急電鉄、宝塚線、2000系電車 運用開始
2025.3.3阪神電気鉄道、8000系(全19編成)電車につき、旧・赤胴車カラーリングに戻すことを発表
2025.3.29能勢電鉄、妙見線末端区間にラッピング電車(′茜音’ア,’藍彩’アイ 運行開始
2025.3.15JR西日本、大和路線、201系電車 引退
・・221系に置きかえられる
2025.3.31近鉄バス、東花園-大阪経済法科大学線、運行終了(路線休止)
2025.4.1南海電気鉄道㈱、泉北高速鉄道㈱を吸収合併
2025.4.7
近鉄・南海・名鉄、デジタル3・3・SUNフリーきっぷを発売
●窓口では販売しない
2025.4.15京阪バス、中之島駅‐万博会場、および大阪駅南‐万博会場 シャトルバス期間限定便(10月13日まで) 運行開始
●運賃:1000円、両路線とも1時間に1,2本程度
2025.4.18関西エアポート神戸、神戸空港第2ターミナル、供用開始
2025.4神戸空港、国際チャーター便 発着開始