3.1 バス車両(昭和)・年表

・・このページでは長距離用車に限らず一般的な内容をまとめてみました
 
昭和2年
1927㈱名古屋自動車製作所 設立
・・名自車体㈱に改称
  
昭和5年
1930.3脇田自動車工業㈱ 設立
・・1938年に帝国自動車工業㈱に改称
 
昭和6年
1931.12.10
名古屋市、市営バス、車体の色を変更
・・濃茶色・白帯→上半淡緑・下半濃緑・赤帯
・・この頃の中京地区の交通事業者は関西志向であり、当時の大阪市バスのデザインに似る 
 
昭和7年
1932.5三菱造船(神戸造船所)、三菱初のバス、B46型(‘ふそう‘と命名)を生産
・・B46型は鉄道省に10台納入された
・・当時の日本のバスは、フォード製などの輸入車がほとんどであった 
1932上毛中央自動車、キャブオーバー型バスを導入
・・エンジンはボンネット型と同じく最前部にあった。箱形のボディとすることで客室定員を少々増やすことができた

昭和8年
1933.9㈱豊田自動織機製作所、社内に自動車部を独立設置
・・この時点がトヨタ自動車の起源である
1933浮田自動車工業、創業 (大阪市西淀川区御幣島)
・・のち1935年に、朝日車輛㈱となる
 
昭和9年
1934三菱造船㈱、三菱重工業㈱に改称
1934.6.1自動車製造㈱、日産自動車㈱に改称
1934.12(日産自動車、小型自動車’ダットサン’量産開始)
・・当初は’DATSON’という名称が考えられていた。しかし’ざっと損に通ずる’と皮肉られかねないので’DATSUN’(ダットサン)に改称したといわれる
(高田勝之助 著 巷談・鳥取の自動車 による)
 
昭和10年
1935.1安全自動車、芝浦工場 操業開始
1935.10朝日車輛㈱、設立 (大阪市西淀川区御幣島)
・・創業は1933年である (大阪商工会議所編・会員名簿1972年版による)
1935.10中北車体工作所、創業 (工場:新潟市一番堀)
・・1989年に榎町に移転
1935三菱重工業、日本初のディーゼルエンジン搭載のバスBD46型を生産、鉄道省に納入
・・このころより前までの自動車はガソリンエンジン車のみであった
・・扉は折り戸を採用
1935.5㈱豊田自動織機製作所自動車部、バスを製造
・・㈱名古屋自動車製作所と共同開発したキャブオーバー型バス’キソコーチ’を名古屋市に納入

昭和12年
1937日本自動車㈱ (本社:東京市中野区)
・・自動車の車体製造を行う
・・1950年代までバス車体の製造があった
 
昭和13年
1938.6脇田自動車工業㈱、帝国自動車工業㈱に改称
 
昭和14年
1939.9帝国自動車工業㈱、工場を東京芝浦より横浜市鶴見区尻手に移転
 
昭和15年
1940.10.1岐阜車体工業㈱、設立 (本社:岐阜市長森岩戸)
 
昭和16年
1941東京自動車工業、ヂーゼル自動車工業に改称
1941.8.1日本軍の南部仏印(ベトナム)進駐に対して、アメリカ合衆国は日本への石油輸出を停止)
・・このころ、日本の主な石油輸入先はアメリカであった
1941.10.1
乗合バスのガソリン使用が全面的に禁止となる

昭和17年
1942.4金沢航空工業㈱、設立
・・のち、1945年に金沢産業㈱に改称、1946年にはバス車体製造開始
1942.5国策により、ヂーゼル自動車工業の日野製造所が日野重工業として分離独立させられる
・・日野重工業では戦車を生産していた

昭和19年
1944.7.1京成自動車工業㈱、設立
1944.7尾張車体工業㈱、設立 (本社工場:名古屋市中村区)
・・バス車体のメーカーではないがボンネットバスタイプの車体(電源車など)を架装した時期がある
 
昭和20年
1945.8.15(終戦)
1945中島飛行機㈱、富士産業㈱に改称
 
昭和21年
1946日野重工業㈱、日野産業㈱に改称
1946運輸省のはたらきかけにより、在日米軍から軍用トラックの譲渡が実現
・・このトラックシャシーの上に車体を新製架装しバスとして使用
・・大量の車両が供給されることになり日本の戦後復興に貢献した
1946.2日本国際航空工業㈱、日国工業㈱に改称
・・鉄道、バス車両の製造に業態変更
1946.5金沢産業㈱、バス車体製造事業を開始
1946.10.1西日本車体工業㈱、設立
1946.11三菱重工業 B1型ボンネットバス生産開始(三菱戦後の第1弾といえる)
・・1935年製のBD46を基本にしてつくられた(120馬力)
1946㈱日交整備工場、設立 (本社:大阪府大阪市)
・・日本交通㈱(大阪)のタクシーの修理・部品調達を目的に設立 

昭和22年
1947日野産業、トレーラーバス(98人乗り)を生産
・・トレーラーバスは大量輸送ができて重宝がられたが、1950年代に入り一般のバスがディーゼルエンジンを搭載し大型化してくると、逆に機動性などの面でデメリットが目立つようになり、比較的早く姿を消した
1947三菱重工業、電気バス(MB46型)を製造開始
・・終戦後は電力が余り気味であった。商工省により電気バス(蓄電池を使用)の導入が推奨されていた
 
昭和23年
1948.1ヂーゼル自動車、BX91型ディーゼルバスを製造開始
1948.4.18ヂーゼル自動車、BX91型ディーゼル車を東海バスに2台納入
1948.7.15頃東武鉄道、前橋―渋川、渋川―伊香保間にてトレーラーバス運行開始
・・車両価格は1台200万円程度であった
(1948年の200万円は現在の金額に直すと2000万円程度である)
1948日野産業㈱、日野ヂーゼル工業㈱に改称
    
昭和24年
1949.2富士産業、日本初のモノコックリアエンジンバスを製造
・・エンジン民生産業製KD2型ディーゼルエンジンを搭載
1949.7ヂーゼル自動車㈱、いすゞ自動車㈱に改称
1949.8.1日産重工業㈱、日産自動車㈱に改称
1949.10いすゞ自動車、BX95型ボンネットバスを発売 ベストセラーとなる
1949.10バスの車両に消火器設置が義務付けられる
1949.12民生産業、BR30型リアエンジンバス’コンドル’を発売
1949新日国工業㈱、設立
・・日国工業㈱のバスボディ製造部門を独立させる

昭和25年
1950.1三菱重工業、同社初のリアエンジンバス(R1型)を完成させる
・・車体長が11mの現在のバスと変わらない大きさのものが出現している
1950.1三菱重工業㈱、過度経済力集中排除法により3社に分割される
・・東日本重工業㈱、西日本重工業㈱、中日本重工業㈱となる
 ●バスシャシーの製造は東日本重工業㈱が担当する
 ●バスボディの製造は中日本重工業㈱が担当 
1950.3日野ヂーゼル工業、BH10型ボンネットバス 発売
・・剣道のお面のようなボンネットグリルが同社ボンネットバスの特徴となる
1950.4.1京阪自動車、車体の塗装を現行のものと同じ赤と白の2色塗りとする
・・塗り分けはアメリカの長距離バス会社、グレイハウンドバスのデザインを参考にしたといわれる
・・それまでは、銀色の地に黄色のラインが入っていた
1950.4呉羽工業㈱、呉羽自動車工業㈱に改称
・・リアエンジンバスのボディを製造開始
1950.5.1民生デイゼル㈱、民生産業㈱の自動車部門が独立して発足
1950.5.1川崎産業㈱、清算
・・これにより、岐阜工場が㈱川崎岐阜製作所として独立
1950.5伊予鉄道、子会社として四国日野ヂーゼル販売㈱(現・愛媛日野自動車㈱)を設立
・・これにより伊予鉄グループのバス車両は日野製のものにほぼ統一される
1950.8富士産業㈱、財閥解体により、おおよそ工場ごとに10数社に分社化される
・・このとき、伊勢崎工場が富士自動車工業㈱となる
1950.9神姫自動車、バス車体の塗色をバフ色(黄褐色)と朱色の2色塗りに改める
・・それ以前は黄色と青の2色塗りであった
1950.10いすゞ、同社初の大型リアエンジンバス(BC10型)を発売
1950国鉄バス、車体色に新デザイン採用
・・クリーム色の地に窓回り、および車体裾をマルーンとする
・・のちに’寒地色’とよばれる
1950梁瀬自動車、いすゞBX91型ボンネットバスに豪華仕様の車体を架装(京浜急行電鉄に納入)
・・ヤナセはもともとコーチビルダー(トラックやバスの車体架装業者)であり、1950年代前半までバス車体が製造された

昭和26年
1951.2
㈲イズミ車体製作所 設立 (本社:熊本県熊本市)
・・コーチビルダーとして発足
1951.5.1 
代燃車のガソリン車への転換(改造)禁止令が解除される
・・バス会社には歓迎された
1951.7 
道路運送車両保安基準(運輸省令)により、定員が29名を超えるバスの車体には非常口の設置が義務づけられる 
1951 
三重交通、乗合バスの車体色をクリーム色の地に濃青(窓回り、車体裾、窓下の3本の細いライン)という塗装に改める
1951 
東京都交通局、バス車体のの標準塗装を制定
・・淡緑色とグレーの2色塗(さらに窓下に細い赤色のラインがはいる)とした 
1951
小糸製作所、バス用リクライニングシートを開発
1951
民生デイゼル、フレーム付きリアエンジンバスを総称して’イーグル’という商品名を使用開始
・・架装ボディメーカーは呉羽、新日国など複数あり
・・フレームレス車’コンドル’と並列させるための措置
1951.12
金沢産業㈱・朝日車輛工業㈱、資本・技術提携を開始
・・朝日車輌は大阪市西淀川区御幣島にあったメーカー
 
昭和27年
1952.3.27 
三重交通、子会社として三重いすゞ自動車㈱を設立
・・これにより同社のバス車両はいすゞ製が大半を占めるようになる 
1952.6 
東日本重工業㈱、三菱日本重工業㈱に改称
・・バスのシャシーを製造
1952.6
中日本重工業㈱、新三菱重工業㈱に改称
・・バスのボディを製造
1952.7.1 
政府、ガソリン 統制を全面解除
・・11年ぶりにガソリンを自由に購入し使用できるようになる
1952 
富士自動車工業、R7型ボディ 製造開始
・・当時のアメリカのバスで流行したのデザインの影響をうけ、正面の窓が深く奥まった位置にあり、後傾しているのが特徴である
・・当時のテレビの形状に似ているので’テレビ型’とよばれる
1952
(富士自動車工業、乗用車P1 試作)
・・当時のバスシャシーメーカーの横暴に奮起したことによるといわれる
・・のち、1958年にスバル360として発売される
1952 
日野ヂーゼル、日本初のアンダーフロアーエンジンバス’ブルーリボン’ を発売
・・長所としては出入口・非常口の取り付け位置の自由度が高い、駆動機構を単純化できるといったところがある
 ●BD10番台・・前扉設置可能(フロントオーバーハングが長い)
 ●BD30番台・・中扉専用
1952 
三菱日本重工業、エンジンを横置きにしたリアエンジンバス(R2型) 発売
1952
大阪市交通局、バスのカラーリングにツートンカラーを採用
・・車体下部をグリーン、上部をグリーンとする
・・のち、1957年にゼブラ(シマウマ)塗装が採用されたため短期間でおわる
1952
(この頃、補助席やハイバックシートを装備したバスが製造される)
  
昭和28年
1953.4小田急バス、貸切車(観光バス)に白地に腰部に赤の帯を配した塗装を採用
・・のちに一般路線車にも普及
1953.7.15富士重工業㈱、設立
・・旧中島飛行機(富士産業)グループの5社が再び合併、1955年より伊勢崎工場がバス車体製造を担当
1953.9.21㈱川崎都城製作所、川崎航空機工業㈱に改称
1953

川崎航空機、バスボディのデザインを変更
・・ボンネットバス:正面窓左右の三角窓(平面ガラスであった)をパノラミックタイプに変更
・・リアエンジンバス:正面窓が拡大され、その上に1本の水切りが備わった
 ●このボディを架装したシャシーには、いすゞBX91X、BC20などがある

1953新三菱重工業、K2型ボディ 製造開始
・・車体最後部の三角窓が通気口になっている
・・前面は流線型、側窓下部にRがつく
・・側面は窓下に3本のビートが入る
1953.12日産自動車㈱、民生デイゼル㈱に資本参加
1953三重交通、貸切バスの塗色デザインを制定(白地に濃緑のライン)
・・この塗色は現在も一般路線バスに継承されている
1953西武自動車、バス車体の塗装をベージュのベースに青緑色の笹の葉をデザインしたものとする
1953京都バス、カラーリングにつき、クリーム色地に腰部に赤が入るデザイン採用
・・これ以前は薄いブルー地に赤のラインが入るデザイン
1953刈谷車体㈱、トヨタ車体㈱に改称

昭和29年
1954.2.1
川崎航空機工業㈱、㈱川崎岐阜製作所(=1950~)を吸収合併
・・この体制で1969年(川崎重工業に合併)まで続く
1954.3.1 
北海道中央バス、車体塗装を赤白の2色塗りデザイン採用
・・京阪バスとよく似たものとなった。これはともに当時のアメリカのグレイハウンド社(長距離バス会社)のバス車両の塗装デザインを模倣したことによる
1954.7.23 
名古屋鉄道、系列会社として名古屋ふそう販売㈱を設立
・・これを契機にバス車両の増備はほぼ三菱車のみとなる
 (以前はトヨタ製のバスなども採用されていた) 
1954 
富士山麓電気鉄道、濃淡グリーンのストライプの塗装デザインを採用 
1954
広島電鉄、バスのカラーリングを白地に窓まわりと裾にオリーブグリーンを配したデザイン(令和まで続く)とする
1954
大阪市交通局、観光バスのカラーリングを変更
・・赤地に細いクリーム色の細いライン(8本)がはいったもの(ゼブラ塗装)とする
 
昭和30年
1955.1 
奈良交通、車両の塗色を統一 (ライトグリーン、マルーン、ホワイトの3色塗り)
1955.4
㈱名古屋自動車製作所、名自車体㈱に改称
・・戦後は特装車などを手がける
1955 
新三菱重工業、K3型ボディ、製造開始
・・車体側面のビートがなくなる
・・前面の窓が拡大され、後傾角度が小さくなる 
1955 
バスのナンバープレートの形状が改められる
・・オレンジ色の地に文字が黒となる
・・それまではプレート自体がさらに横長で、黒の地の上に白の文字であった 
1955
日野自動車工業㈱、帝国自動車工業㈱に資本参加
・・当時、帝国自動車工業は経営危機の状態であった
1955前後 
北海道中央バスほか、バチぞりバス 運行
・・冬季積雪により道路走行が困難となることに伴い、木材運搬用の馬ソリに幌を取り付けたうえ、雪上車(旧・陸軍払い下げの九五型戦車)にけん引させた
・・バチとは当地において馬ソリのことをさした方言である
・・九五型の95とは皇紀2595年(=1935年、昭和10年)のことをさす 
1955
国鉄バス、バスのカラーリングを制定
・・ベージュ地に窓回りと裾にマルーンを配したものとする
・・のち、西日本地区においてはマルーンを青系に色違いとしたものが出現したため’寒地色’とよばれることになる
1955
車内照明に蛍光灯が使用されるようになる
 
昭和31年
1956.2 
いすゞ自動車、ボンネットバスBX351、352型 発売 
・・BX351と352では架装する車体の高さが異なるだけでほぼ同じもの
1956.7 
民生デイゼル、国内初のエアサスペンションバス(RF91型) 発売 
1956
富士重工業、R9型ボディ 製造開始
・・フレームレスモノコック構造を採用
・・正面が少々流線形となり、パノラミックウィンド を採用
・・旧・南部縦貫鉄道で使用されたレールバスは、この車体を鉄道用にアレンジしたもの
1956 
いすゞ自動車、リアエンジンンバスBAシリーズ(BA341、BA351型)発売
 ●BA341・・前扉設置可能(ホイールベース:4.8m)
 ●BA351・・中扉専用  (ホイールベース:5m)
1956
日野自動車、ブルーリボン短尺車(BKシリーズ) 発売 
1956
日野自動車、ブルーリボン長尺車(BGシリーズ) 発売
1956 
西武バス、中津川線にて三角バス運行開始 (1978年まで)
・・初代の車両はボンネット型であり、1966年に投入された2代目車はキャブオーバー型であった
1956
安全車体工業㈱、設立
・・安全自動車㈱のバスボディ製造部門が分社化

昭和32年
1957大阪市交通局、市バス(路線バス)のカラーリングを変更
・・緑地に細いクリーム色の線が多数入るものとなる(通称:シマウマ、ゼブラ)
・・3年前に貸切バスに採用されたデザインの赤を緑に変えたもの(色違い)に過ぎない
1957排気ブレーキを備えたバスが製造される
 
昭和33年
1958 
新三菱重工業、K4型ボディ、製造開始
・・前面のイメージはK3型とあまり変わらない
・・側面窓下のRが廃止された
1958 
トヨタ自動車、リアエンジンバスDR系(DR10型)を発売 
1958 
日産自動車、キャブオーバーバス’キャブスター’(E591型)を発売 
1958
日野ヂーゼル工業、エアサス使用のアンダーフロアーバス(BD14P) 発売
1958
いすゞ自動車、ボンネットバス(BX331、同341、同352) 発売
・・BX91型をパワーアップ(118ps)した型式である
1958 
京都市交通局、市バスの塗装デザインを変更(淡緑地に濃緑ライン2本) 
・・現在もこのデザインが継承されており、2本のラインは鴨川と高瀬川を表現している(一方別の文献には鴨川と京都疎水を表現したものとの記述がある)
・・これ以前の塗色は車体上半分がベージュ、下半分が青であった
1958 
京浜急行電鉄、観光バスと一部の路線バスの塗色を白と赤の2色塗りとする
1958 
西日本鉄道、日本初の冷房バスを導入 (いすゞBA341P) 
1958
国鉄バス、バスの車体構造はフレームレスとする方針を表明
・・これにより、新日国がそれに対応できなかったため富士重工業が車体架装指定業者となる
1958 頃 
この頃から、おもに観光バスにおいてエアサス(空気ばね)が採用されはじめる 
  
昭和34年
1959 
日野ヂーゼル工業㈱、日野自動車工業㈱に改称 
1959
日野自動車工業、センターアンダーフロアーエンジンバス、BD14型を製造
・・従来のブルーリボンと異なり、扉を車体前後に配置できるようになった
1959.9
日野自動車工業、BK11型シャシーに金沢産業製の電車型ボディを架装したバスを大阪市交通局に納入(7台)
・・以下の特徴があった
 ●前後構体に同型のプレス使用
 ●車内には鉄道車両のようなボックスシートが設置された
 ●後扉は4枚折り戸であり2人並んで乗車できた
1959 
東京都交通局、路線バスの塗装デザインを変更
・・従来はおもにグレーと淡緑色からなるデザインであったが、クリーム色の地に窓下に赤帯が1本はいるシンプルな塗装に変わった。都電との統一性が図られるようになった
1959
京浜急行電鉄、一般路線車のカラーリングにつき、銀色地に窓下赤ライン、腰部・裾部に水色帯を配したものとする
1959
トヨタ自動車、ガソリンエンジンバス(FB80、FB85)、発売
1959
呉羽自動車工業、フレームレスモノコックボディの量産体制確立、三菱と提携
1959
帝国自動車工業、バス前面ガラスを連続窓に改める
・・同社製のボンネットバスも少しのちにこれに追随
1959
西日本車体工業、東浦自動車工業(大阪)と技術提携
・・西工ボディを大阪にてノックダウン生産する
1959
いすゞ自動車、ボンネットバス(BX521、同531、同552)、発売
・・前年に発売された型式をパワーアップ(125ps)

昭和35年
1960 
日野自動車工業、同社初のリアエンジンバスを発売 (RB10P型)
・・これまで同社ではアンダーフロアーバスでもって勝負してきたが方針転換
1960
日野自動車工業、BH15 製造開始
・・同社のボンネットバスとしては最後の型式となる
1960.4
京王帝都電鉄、八王子地区にてワンマンバス 運行開始
1960.8.8 
近畿車輛・日野自動車(共同開発)、 日本初の二階建バスが完成(試作車1台)、’ビスタコーチ’という愛称をあたえられる
・・これまでセンターアンダーフロアーエンジンバスのみを製造していた日野自動車にとっては初期のリアエンジンバスとなった
・・9月15日より、まず大阪上本町6丁目-石切神社間にて運行開始
1960.8
札幌市交通局、寝台バスを試験的に導入
・・車内は国鉄のB寝台のような構造で3段ベッドになっていた
・・重心が高いため、横転事故が発生し本格導入には至らなかった。のち法規的にも導入が禁止されることとなる
1960.9.9 
沖縄バス、冷房付き観光バス導入 
・・本州の大手私鉄のバスよりもさきんじて取り組んでいる
1960.12 
民生デイゼル㈱、日産ディーゼル工業㈱に改称
・・以降、日産グループのディーゼル車部門として位置づけられる
・・なお、フレームレス架装車のブランド名’コンドル’ はこの時にとりやめられる
1960 
三菱日本重工業、マイクロバス’ローザ’(B10型) 発売 
1960
国鉄バス、バスのカラーリングにつき、’暖地色’塗装(クリーム地に窓回り濃青緑)にカラシ色の帯(腰部)を追加したデザインを標準塗装とする
1960
いすゞ自動車、BA541 発売
・・出力を120PSに増強
1960
川崎航空機、いすゞBA541の発売に対応し車体をモデルチェンジ
・・前面窓を連窓化、前面窓の傾斜を抑える、側面最後部に極小窓設置
   
昭和36年
1961.2金沢産業、同社初のフレームレス(リアエンジン)車体を架装 (シャシー:日野RB10)
・・このころからフレームレスの時代に入る
1961.4日野自動車工業、RC系バス発売 (RB系の高出力版、観光バス向け)
1961.7.17運輸省、車両制限令を制定
・・道路の幅により通行できる車両を制限する法令
1961三菱日本重工業、ボンネットバスの製造を中止
1961新三菱重工業、K4型ボディ 製造開始
・・フレームレスモノコックボディの本格的生産となる
1961近畿車輛・日野自動車工業、2階建バス量産車8台製造
・・2階正面窓は平面ガラスに変更された(試作車はパノラミックウィンドウ)
・・阪奈生駒線(大阪梅田-奈良ドリームランド)にて使用される
・・1960年代後半には近鉄系列の吉野熊野観光に移籍している
1961日野自動車工業、ボンネットバスの最終モデルBH15型を発売 
1961国際自動車、バスのカラーリングにつき、白と薄茶の’kmカラー’を採用
1961運輸省、自動車運送事業運輸規則において15条を緩和し、条件付きでワンマンバスの運行を容認
・・当時はバス車掌の不足が深刻であり、バス業界側からの要望によっている
1961京都バス、カラーリングをクリーム地にマルーン帯とする

昭和37年
1962.1
新日国工業㈱、日産車体工機㈱に改称
・・一般バスの車体製造より撤退のため会社名を変更
・・同社はフレームレス製造への移行はしなかった。将来の注文数減少を踏まえた判断となる
・・なお、新日国製ボディはスタンディウィンドウの形状などに特色があった
1962.3.27 
阪急バス、貸切バスに冷房装置を装備 
1962.5
西日本鉄道、特急バスと一部の貸切バスに冷房装置を装備 
1962.7.1 
西日本車体工業、小倉市(現・北九州市)西港町に本社、工場を移転 
1962.7.1 
名古屋鉄道、桑名線(名古屋駅-桑名駅)において冷房バスを導入 
1962.12 
三菱日本重工業、MAR820型 製造開始
・・290馬力のエンジンを搭載し最高時速134Kmを達成
・・当時は名神高速道路の開通を目前にひかえ、高速道路走行にたえられる能力のある高出力車が追求された 
1962 
東武鉄道、急行バスに冷房装置を装備 
1962
いすゞ自動車、全社的に形式称号の変更を行う
 ●BX系ボンネットバスはBXD系ボンネットバスに変更

昭和38年
1963.2
いすゞ自動車、BU系リアエンジンバス(路線・自家用)、発売
・・ホイールベースの異なる2車種がリリースされた
 ●BU10(ホイールベース:5m)
 ●BU20(ホイールベール:5.5m)
1963.4 
奈良交通、観光バスに冷暖房装置・リクライニングシートを装備 
1963.5
日野自動車工業、高速道路対応車・RA100P 開発
・・水平対向12気筒、320PSエンジン搭載
1963.9 
阪急バス、ガソリン車全廃 
1963 
富士重工業、バス車体のモデルチェンジを行う(R9型よりR12型に移行)
・・正面はR9型と同じく上半分を後傾、屋根との境にはひさしを設定 
・・観光用と一般路線用では正面のガラス窓の高さに違いがあるだけで基本的な設計は同一としている
1963 
川崎航空機工業、観光車用に’丸型車体’製造開始
・・軽合金を使用したりして軽量化に努力が注がれた当時の最高級のボディ 
・・’オバQ’とのあだ名がつけられた
1963 
いすゞ自動車、BXD系ボンネットバス 発売 (BXD20,30,50)
・・フロントグリルのデザインを変更している
1963 
日野自動車工業、BDシリーズ(=アンダフロアーエンジンバス)製造中止
・・しかしアンダーフロアーエンジンバス自体は別の型式で1970年まで製造される
1963 
三菱日本重工業、MAR870型 を発売 
・・220馬力の長距離観光バス用のシャシー
1963 
近畿車輛・日野自動車(共同開発)、ノンステップバス(試作)を完成させる
・・1960年に製造された2階建バスをもとに開発された。しかし普及はせずにおわった
1963 
富士急行、ワールドバス(主に東京五輪開催等に伴う外国人観光客を対象)を特注開発
・・窓を極力拡大した、現在の感覚でも古さを感じさせないデザインである
・・シャシーは日野RC100Pを使用し、ボディは帝国自動車工業で架装された 

昭和39年
1964.6 
三菱重工業(2代)、誕生 (三菱日本重工業、新三菱重工業ほかが合併)
・・これまでシャシーは三菱日本重工業、車体は新三菱重工業と同じ三菱グループでありながら異なる会社での生産となっていたが、ここで同一会社による一貫生産が可能となる体制ができあがった
1964.10
日本交通(大阪)、トイレ付観光バス 導入
1864.12
関東バス、日本初の3扉車を導入 (シャシー:ふそうMR470、ボディ:富士重工業)
1964 
日野自動車工業、中型リアエンジンバス(RM100型) 発売
・・同社製造のトラック’レンジャー’と部品を共通化
・・ボディはRB10系やRC100系を小型車化した丸っこいスタイルであった
1964
運輸省、全国のバス事業者に対して’ワンマンバス構造規格’に関する通達を出す
・・主な内容は以下のとおりである
 ●扉は2つ以上設置(乗降扉の分離)
 ●インターホンの設置
 ●危険物の持ち込み禁止の周知徹底
1964
帝国自動車工業、前面窓につき、4分割の視野拡大型バージョンを製造開始
   
昭和40年
1965.5
金沢産業㈱、金産自動車工業㈱に改称
1965.7.15
国鉄バス、松山高知地急行線の車両をマイクロバスより大型車に置きかえる 
1965.11金産自動車工業㈱、工場を金沢市より松任市に移転
1965
・・この頃、ガソリンエンジンのバスがほとんど姿を消し、ディーゼル車におきかわる
1965 
川崎航空機工業、観光車用’丸型車体’に 鋼製・折戸・引違い窓を備えた普及型を製造開始
1965
川崎航空機工業、一般路線バス用車体のデザインを変更
 ●スタンディウインドウを廃止し角型上下2段窓に変更
 ・・これ以降他のメーカーも上下2段窓を採用する 
1965
近畿車輛、日本高速自動車向けに軽合金使用の高速バス車体を試作
・・三菱AR820フレームつきシャシーに架装
 
昭和41年
1966日野自動車、トヨタ自動車と業務提携
1966西日本車体、バスボディのモデルチェンジをおこない42MC型製造開始(1978年まで製造)
・・バスマニアの間ではカマボコとよばれた
・・初期のボディはバス窓を採用していたが、のちに四隅にRを伴う2段窓に変更

1966

三菱重工業、MAR870 発売
・・観光バス専用のシャシーである 

1966

運輸省、ワンマンバス構造規格(通達)に’後乗り前降り方式’を追加
・・前後扉のバスは当初関西地区と名古屋市バスにて採用され、のちに北海道と沖縄をのぞいて全国にひろまった

1966

西武バス、中津川線(埼玉県)に2代目の三角バス使用開始
・・シャシー:いすゞBF20、ボディ:安全車体が架装(キャブオーバー型)
・・1977年まで使用

昭和42年
1967.1.25 
阪急バス、観光用車両の塗装デザイン変更 
・・アイボリーの地に窓下に太い赤紫色の帯が入る
1967.2.10 
東京特殊車体㈱、設立 (本社:東京都八王子市)
・・京王帝都電鉄㈱の出資により発足
・・1968.2.1 京王重機整備㈱北野工場内に移転
1967.3.17 
東京急行電鉄、観光バスの塗色を変更、白地に赤と金色の3色塗りとなる、
1967 
三菱自動車工業、G4型(ボディ) 製造開始
・・G4型には観光用と一般路線用があり、ともに’ひさし’をつけたデザインとなった。ただし、正面に関しては窓上辺の高さのほか窓ガラスの後傾角度が異なりかなり違った印象となっている
1967.8 
三菱重工業、B8系 、B9系観光用バス(シャシー)を発売、併せてボディもあらたにモデルチェンジされたG4型を装架した
・・B9系はベストセラーとなった
1967.12 
日野自動車工業、観光用シャシーRV系(RV100P型) 発売
1967.12
日野自動車工業、RC300系 発売
・・2車種がラインナップされた
 ●RC300、車長:10.5m(RE120と同寸法)
 ●RC320、車長:11.1m(RE140と同寸法)
1967
いすゞ自動車、ボンネットバスの製造を終了
・・ボンネットバスはすでに1950年代後半には時代遅れな存在になっていた。しかし当時は山間部においては未舗装の道路が多く砂利の巻き上げなどのトラブルあったためボンネットバスの需要は少々ながら存在していた
 
昭和43年
1968.1 
日野自動車工業、RE系 発売
・・RB系の後継としての新車種 
・・ホイールベース別にRE100、RE120、RE140があった
1968.7.12 
西日本鉄道、バス保有台数が3000台を超す 
1968.9 
東京急行電鉄、一般路線バスの塗装を銀色の地に窓下赤帯という シンプルなものに変更開始
1968 
日産自動車、大型バスの製造を中止 
・・以降、大型バスの製造は系列化した日産ディーゼルにて行う
1968
東京都交通局、バス車体の塗色変更
・・白地に水色のライン(美濃部カラーとよばれる)になる
1968
安全車体㈱、バス車体製造事業より完全撤退

昭和44年
1969.3日野自動車工業、RV100P 発売
1969.4.1
川崎系3社合併により、川崎重工業㈱となる
・・バス車体の製造は同社岐阜工場である
・・のち、5年後の1974年には川崎車体工業㈱に分社化
1969.8
京成自動車工業、バス車体製造より撤退し、特装車専門となる
1969 年末
日野自動車工業、リアエンジンバス・RD100型 発売
1969 
近畿日本鉄道、観光バスの車体の塗装を変更
・・白地にレッドとオレンジの帯が入るデザイン 
1969 
川崎重工業、一般路線バス用ボディをモデルチェンジ(KBX型、川崎角型ともよばれるタイプに移行)
・・フロントに大型平面ガラス2枚を設置
・・雨といを前部から後部まで一本で続くデザインとした
・・この型のボディを架装したシャシーには、いすゞBU10などがある
1969
小田急バス、一般路線バスより(銀色の)犬マークを撤去
   
昭和45年
1970.5日野自動車工業、中型観光用車・RL100 発売
・・従来のRMシリーズをフルモデルチェンジ、車長も350ミリ延長
・・この型式においては金産・帝国の車体が共通化され、以降踏襲される
1970.6.1三菱自動車工業㈱、設立 (三菱重工業㈱(2代目)より自動車部門が分離独立)
1970日野自動車、アンダーフロアーエンジンの大型バスとしては最後の型式となる
BT100型を発売
・・この車両の後方の乗降扉は戸袋よりも後位にあるのが特徴であった
・・群馬中央バスなどで昭和60年ごろまで見かけることができた
1970.8月末東武鉄道、路線バスの車体色をベージュの地に窓回りと裾をブルーとしたシンプルなものに変更

昭和46年
1971 
日産ディーゼル㈱、本店を埼玉県川口市より上尾市に移転 
 
昭和47年
1972.9
日野自動車工業、RV730型 発売
・・同社の観光用車はRC系よりRV系にかわる 
1972 
富士重工業、一般路線バス用のボディをモデルチェンジ(3E型ボディとする)
・・正面上半分の後傾をなくした形状となった
1972 
国鉄バス、一般路線車、および貸切車の塗装を東名・名神高速線と同じく白とブルーのツートンカラーに変更
1972
日本交通(鳥取)、一般路線用でありながら前面を観光バスタイプにしたバスを導入 (三菱MAR450)
 
昭和48年
1973.2 
三菱自動車工業、電気バス(ME460) を試作、4台を神戸市交通局に納入
1973.8.6
神戸市交通局、電気バス 使用開始
1973 
いすゞ自動車、BH21P型観光用バス 発売
・・車体は川崎重工業製の73SC型ボディーを架装
・・このときに’オバQボディ’の架装が終了
 
昭和49年
1974.4.11
川崎車体工業㈱、設立
・・川崎重工業㈱の自動車事業部を分社化
・・同年6月1日に事業開始
1974 
トヨタ自動車、マイクロバスを除き、バス製造を中止
・・大型・中型バスの製造はトヨタグループの日野自動車に一本化 する
 
昭和50年
1975.4京王帝都電鉄、路線バスの塗装デザインを変更
・・従来は西東京バスと同じデザインであったがクリーム色に窓下赤帯のシンプルなものに変わる
1975.7.12西日本鉄道、一般路線バスの車体色をアイボリーホワイトにワインレッドの帯の入ったデザインに変更
1975.4日野車体工業㈱、発足 (帝国自動車工業㈱と金産自動車工業㈱が合併)
・・形式的には帝国自動車工業が存続会社として改称
・・日野自動車製のシャシーに対しての車体を製造
・・なお、金産の経営悪化は海上コンテナ事業進出の失敗によっている
1975日野自動車工業、アンダーフロアーエンジンバスの製造を終了
・・メンテナンスに手間がかかる構造であったことが理由である
1975名古屋市交通局、市バスのカラーリングを変更
・・下半分を濃緑、上半分をクリーム色とする

昭和51年
1976.6.12 
東海自動車、ボンネットバス’伊豆の踊子号’(いすゞBXD30) 運行開始
・・全国のボンネットバス復活のさきがけといえる存在となった 
1976 
三菱自動車工業、MP系製造開始
・・ボディは1978年まではG4型が採用されていた
1976 
三菱自動車工業、K11型ボディの屋根前部に明かり窓をもつタイプ’パノラマデッカー’を製造 
    
昭和52年
1977.11日野自動車工業、スケルトンバス(観光・高速) 発売 (RS120P型) 
1977日野自動車工業、RE161型バス 発売
・・車長が11.7mの大量輸送用である

1977

三菱自動車工業、B9系 製造中止

1977 

中央交通(大阪府)、ドイツ・ネオプラン社より観光バスを輸入し運行開始

1977

北村製作所、いすゞ小型バス・DBR370型シャシーに骨格構造の角型ボディ架装

昭和53年
1978.4.1名古屋市交通局、一部路線に新塗色車 運行
・・アイボリーの地にブルーの複数のラインをのせた現行の塗装
1978.4.3神戸市交通局、路線バスにおいて初の冷房車を導入
1978.7.30沖縄県において交通方法の変更(右側通行→左側通行)がおこなわれ、大量のバス車両の入れ替えが実施される
1978.9日野自動車工業、観光・高速用バス RS360P型 発売
・・前年に発売されたRS120P型を改良して量産型とした型式
・・側面窓は完全な連続窓となった
1978.10台東区、上野-浅草間に英・レイランド社製2階建バスを運行開始
・・ただし車高は約4.3mであり、日本の道路運送車両法に抵触することから特別許可を要した
1978近鉄バス、一般路線バスの塗色を変更(アイボリー地にレッドのライン)
・・アイボリーもレッドも従来より明るい色調となった
1978三菱自動車工業、MR系及びB8系 製造中止
1978三菱自動車工業、MP系シャシーに、新設計されたB35型ボディを架装
・・B35型ボディは前面のヘッドライト周りのデザイン形状から’ブルドッグ’のあだ名がつく
1978

西日本車体工業、53MC型モノコックボディ 製造開始
・・1983年まで継続
・・モノコックボディの製造はこれが最後となる

1978

ダイハツ工業、輸出用マイクロバスを製造開始 (1995年まで)
・・2トントラックのシャシーをベースに金産車体がボディを架装する


昭和54年
1979.7
名古屋市交通局、バスの整備につき、緑区森の里の新工場に移転
1979 
中央交通(大阪府)、ドイツ・ネオプラン社より2階建バス’スカイライナー’を輸入、運行開始
・・わが国においては、初の2階建バスの本格的な導入例となる
1979
松本車体製作所、廃業
・・熊本県にあったバス車体メーカーである。納入先としては九州産業交通、熊本バス、熊本市交通局などがあった
1979
(西ドイツ)メルセデス・ベンツ、O 303型バスにハイデッカータイプを製造開始
 
昭和55年
1980 
西武バス、貸切バスの塗装を白地に赤青緑のライオンズカラーに変更 
1980 年末 
西日本車体工業、観光・高速用フルデッカー車体 S-Ⅲ型(S型旧タイプ) 製造開始
・・窓の四隅のRが大きく優美な造形の車体となる
1980 
三菱自動車工業、観光・高速 用ボディ’フルデッカⅡ’製造開始
・・車体前頭部とそれ以後の断面形状が異なっているのが特徴
1980
川崎車体工業、一般路線車用ボディモデルチェンジ
・・BU系の後継となるいすゞC系シャシーの新製に伴いボディデザインを変更
・・前面が傾斜のついた曲面ガラスを採用し丸みのある印象となった
・・このボディを架装したシャシー型式としては、K-CJM500などがある
1980
静岡鉄道、路線バスのカラーリングを変更
・・ベージュの地に窓下及び扉周辺をマゼンダ付加

昭和56年
1981 
呉羽自動車工業も(三菱と同じく)’フルデッカⅡ’ボディ製造開始 
1981
神奈川中央交通、代燃バスを復元 (’三太号’と命名)
・・会社創立60周年記念事業として実施された
  
昭和57年
1982 
富士重工業、一般路線バス用の車体をモデルチェンジ (R15型)
・・R15型には、15型E(5E)と15型B(5B)がある
1982 
富士重工業、観光・高速バス用ボディ 製造開始(R3型) 
・・従来のように一般路線用との共通設計ではなく観光・高速バス専用に設計された
・・正面マスクのデザインは同時期に製造されたレールバス用にも流用されている(例:樽見鉄道ハイモ180)
1982.5
トヨタ自動車、小型バス・コースター フルモデルチェンジ(=2代目)
・・以下の変更点がある
 ●前輪が全車において独立懸架となる
 ●マイクロバスでは初のスイング扉装備タイプを設定
 ●扉が車体中央より若干前寄りに移動
・・1992年まで10年間製造が続けられる
1982.6 
日野自動車、観光・高速用バス RU60/63系観光・高速用車 発売
・・登場当初はRS(1882年発売)のように角ばったデザインのボディを架装していたが、1985年より前面のガラスを後傾させるなどの形状の変化があった
1982.9.26
西東京バス、いすゞボンネットバス’夕焼け小焼け号’ 運行開始
・・2007年5月まで25年間定期運行が継続された
1982.10 
日野自動車、スケルトンボディの一般路線用バスを発売 (RT/RU22系)
・・RTはリーフサス、RUはエアサスである
・・エンジンは縦置きのためデッドスペースがある
・・販売が伸びなかったので1985年に製造中止
1982 
呉羽自動車工業、観光・高速用ボディ’サンシャインデッカー’製造開始
・・三菱自工の新型シャシーMS7の製造開始にあわせて登場
・・扉の直後の側面窓下辺が斜めとなるデザインとなる
・・本格的なスケルトン構造 
1982 
西日本車体工業、観光・高速用ボディ(C系)製造開始
・・スケルトン構造で連窓、リベットレスとなり、従来のS-Ⅲとは全く印象の異なるものとなった 
1982 
近畿日本鉄道・日野自動車、共同開発にて2階建試作バスを完成させる
・・日野のRE161都市低床タイプをベースとした。当初は乗合バスとしての運行を想していたが認可が下りず貸切バスとしての運行となった。
・・のち、香川県の観光施設、瀬戸大橋タワーの送迎車として使用(自家用)
・・坂出駅と同所間を運行。車体は赤一色に塗られていた。 
1982
大阪空港交通、カラーリングにつき、濃淡ブルーを基調としたもの(現行のデザインに近いがブルーがより濃い色合いであった)に変更
1982
大阪市交通局、カラーリングを変更
・・クリーム地に窓下にライトグリーンラインを入れる
1982
阪急バス、乗合バスに逆T字窓を採用
1982
東京都交通局、カラーリングを変更
・・クリーム色地にライトグリーンを付加したデザインとした
・・1988年に全車完了となる
1982.12.15 
三菱自動車工業、MS7系 ’エアロバス’発売
・・イタリア人デザイナー、アルド・セッサーノによる斬新な造形となった
・・同氏の作品は直線基調であるのが特徴である。なお、同氏は乗用車の初代ミラージュなども手がけている

昭和58年
1983.3.26 
奈良交通、スケルトン構造車導入に伴い一般路線バスの塗装を変更
・・クリーム地に窓回り濃オレンジ色、車体裾をブルーを配したものとする
1983.4.1 
京浜急行電鉄、路線バスにおいて日本初の両開き扉をもつ車両を使用開始 
1983.12 
国鉄バス、東京湾岸線(東京駅-TDL)投入の新車(三菱K‐MS613SA、富士重工ボディ)に新デザイン(白と青の2色塗り、中央部に大きなツバメマーク)
を採用
・・翌年には東名高速線の新車にも同デザインを採用
1983
日野自動車工業、2階建バス’グランビュー’ 発売
1983 
西日本車体工業、スケルトン構造化によりフルモデルチェンジする
・・58MC型ボディの製造開始(1996年まで製造)
・・このうち、観光・高速用ボディは58MC-Sとよばれる角ばったものとなった
1983 
中央観光、独・ネオプラン社よりサンプルとして 2階建て連接バス(N128 ジャンボクルーザー)を輸入
・・全長18mの2階建バスであり国内にかつて存在したバス車両においては史上最大のものであろうと思われる
・・一般道走行の許可はおりず、のち兵庫県の姫路セントラルパークに売却され同園内にて運行された
1983~92 
三菱自動車工業、エアロバスに全高が255ミリ低いスタンダード・デッカー(標準床)を追加 (MS713-)
    
昭和59年
1984.3いすゞ自動車、キュービックスタイルのバス(一般路線用) 発売
1984.3いすゞ自動車、中型バス・ジャーニーK 発売
・・CDM系の後継車シリーズとしてスケルトン化した車体を架装した。路線用と観光・自家用の両方がある
・・のち、1999年にエルガミオ、ガーラミオ製造に伴い製造中止
1984.4名自車体㈱、本社および工場を名古屋市港区より同県弥富町に移転
1984.7.21国鉄バス、三菱MS735SA型ハイウェイ専用車を運行させる(1986年までに計16台投入された)
・・最後の国鉄バス特注型式となった
・・車体は富士重工業製であり、正面が樽見鉄道などに納入したレールバスに似たイメージをもつタイプのものを架装
・・2000年に全車引退した
1984.7北海道中央バス、高速バスに新塗装デザイン採用
・・白をベースに車体下部に赤とグレーの帯を配し、車体後部にて帯がたちあがるものとした。高速むろらん号用の新車にあわせて導入された
1984.8三菱自動車工業、一般路線用車’エアロスター’発売
 ●フィンガーシフトが標準装備される (ただしロッド式も選択可能)
1984.11日産ディーゼル、2階建バス(GA66T) 発売
・・ボディは富士重工が架装し、’スペースドリーム’と命名
1984.11三菱自動車工業、ノンステップバス 試作 (MP218M改)
・・ボディは上記エアロスターを基にしており、中扉より前がノンステップ(高さ35cm)となり、現在のノンステップバスと同じようなものが製造された
・・名古屋鉄道に納入された
1984.12.1名古屋鉄道、超低床バスを名古屋-小牧間にてテスト運行
1984西日本鉄道、乗合バスに標準仕様として逆T字窓を採用
1984富士重工業、科学万博’つくば85’用連節バス 製造
・・シャシーはボルボ社製・B10型を使用
1984三菱自動車工業、スーパーエアロⅠを発売
・・最前部は1982年登場のオリジナルのエアロバスと同様とするも、そこから第3柱まで傾斜した屋根が続くスタイルで’えび’のようにボディが曲がったような印象を与える
・・日本急行バスに納入された
1984西日本車体工業、S型新タイプとよばれるハイデッカー車体 架装開始
・・S型旧タイプに比べ全く丸みが失われ、スケルトン構造特有の外観となる
1984山陽電気鉄道、一般路線バスの車体色を黄色基調に変更

昭和60年
1985.1三菱自動車工業、2階建バス(エアロキング) 発売
・・1983年の東京モーターショーで発表された
・・エアロキングは5代にわたり生産・発売がおこなわれた
 ●P-MU515TA  (1985年発売開始)
 ●U-MU525TA改 (1990年製造開始)
 ●KC-MU612TA (1995年発売開始)
 ●MU612TX    (2000年製造開始、2005年製造中止)
 ●BKG-MU66JS(2008年4月2日発売、2010年8月末製造終了)  
1985.4.5東海自動車㈱、貸切バスのカラーリングを変更
・・オレンジ色主体より白地に赤とグレーのラインとなる
1985.4.25東京急行電鉄、観光バスの塗装を変更、白地に赤、青、オレンジの4色塗りとする
1985.6.3東武鉄道、一般路線バスの塗装につき、新デザイン採用
・・クリーム色とオレンジ色を使用したものとなる
1985ウエスタン自動車(ベンツの総代理店)、ベンツ製バス(O 303 RHD型)輸入開始
・・販売およびサービスについてはヤナセが担当
・・なお、O 303型にはRHD(=スーパーハイデッカー)のほか、KHPやRHSなど多くの型式がリリースされていた。日本に導入されたのはRHDにとどまる
1985.8日野自動車、一般路線用車 HT/HU22系スケルトンリアエンジンバス発売
・・デッドスペースがないのでRT/RU22系より多く受け入れられた
・・リーフサスがHT、エアサスがHUとなる
1985.10日産ディーゼル、観光・高速用車、DA67UE型’スペースウィング’発売
・・後輪が2軸のスーパーハイデッカー
・・架装するボディは、あらたにモデルチェンジされた富士重工製(HD-Ⅱ型)を使用
 ●正面のガラスは上下2分割タイプ(上段は後傾)
1985.10三菱自動車工業、エアロクイーンW 発売 (-MU525TA)
・・2階建バス・エアロキングに少し遅れて登場した後輪2軸のスーパーハイデッカーである
1985.11三菱自動車工業、MK126F(エアロミディMKの派生型式車) 発売
・・エアロシリーズでは車長が7mの最小クラスの観光用車
1985三菱自動車工業、エアロクイーンK 発売
・・フロントガラスを2分割し、2階建バス・エアロキングに似た顔立ちとなっている
1985三菱自動車工業、スーパーエアロⅡ 発売
・・エアロバスをベースに車両全体の車高を高めたタイプであり、後輪が1軸であるほかは上記エアロクイーンWとほぼ同じ車体である
1985つくば博のシャトルバスとして連接バスが導入される
・・ボルボ社製・B10Mシャシーに富士重工業が標準床観光・高速タイプのボディを架装した
・・総数100台であり東日本の30ほどのバス会社がシャトルバス運行を担当
・・つくば博終了後はうち40台を東京空港交通がひきとり数年間運行した
1985日野自動車、2階建バス(P‐RY638AA) 発売
・・しかし同社では平成元年規制をクリアする車種を製造することはなく、国産2階建バスの製造は三菱のみとなる
1985日野自動車工業、初のリアエンジンの小型バス(RB115AA) 発売
1985北村製作所、スケルトン構造の大型路線バス用車体を製造(1988年まで)
・・いすゞ製のシャシーに架装され、主に新潟交通に100台ほど納入
・・同社のスケルトン化は同業他社メーカーに遅れをとったため、納入先が新潟県内に限られる結果となった。これが同社のバス車体製造撤退の引き金となる
1985東都自動車、東名板多用にて視野拡大させた観光バス’クリスタル号’ 導入
・・シャシー:いすゞLV219SでボディはハイデッカーⅣ型を改造
・・屋根と窓下にアクリル板を使用
1985名古屋鉄道、バンホール社製・中型一般路線用バス(AU138J型) 導入
・・1985年3月21日から25日間にわたり名古屋市国際展示場においてワールドインポートフェアが開催された。観客輸送用に10台が輸入された
・・車両は車長が9mほどの中型車であり、車内は鉄道車両のような向かい合わせシートが設置されていた
・・フェア終了後は一般路線バスとして1990年代なかばまで使用された
1985メルセデス・ベンツ、O 303型バスにアンチ・ロック・ブレーキを採用

昭和61年
1986.1
呉羽自動車工業㈱、新呉羽自動車工業㈱に改称
・・従来は三菱製バスシャシーのボディ架装にとどまっていたが、この時点で三菱自動車㈱の資本が入り社名変更となる
1986.2.28
アイ・ケイ・コーチ㈱、設立
・・川崎車体工業㈱の経営悪化にともない、いすゞ自動車㈱と川崎重工業㈱の合弁によりバス車体製造を継承する会社を設立
1986.3.23 
阪急バス・西日本鉄道、ムーンライト号用車両を更新
・・この時以下のような新機軸が採用された
●独立3列シート
●床下交替乗務員仮眠室の設定
●床下トイレ  
1986.4.1
アイ・ケイ・コーチ㈱、バス車体工場を岐阜県各務原市より栃木県宇都宮市に移転
・・宇都宮の工場は、もと汽車製造㈱(=のち川崎重工業㈱に合併される)が貨車製造のため建設したもの(1968年より操業開始)
1986.4.23
日本交通(鳥取)、雲山車庫 開設
・・それまでの車庫は末広温泉町(市街地中心部)にあった
1986.7 
東京急行電鉄、ワン・ロマ車導入
1986.10.13
京成電鉄・グループ各社、貸切バスを’KaNaC’の文字列を入れたデザインに統一
1986.11.12
京浜急行電鉄、ノンステップ試作車 運行開始
・・運行は横浜駅‐YCAT間に実施
・・三菱製エアロスターを基にしており、中扉に電車のような両開きを採用
1986.12.5 
東京空港交通、連節バス 営業運行開始
・・上記つくば博のシャトルバスとして活躍後、高速道路のみの運行という条件付きで同社に使用が認められた 
1986.12.15
国鉄バス、’ドリーム’号にスーパーハイデッカー使用開始 
1986 
いすゞ、観光・高速用バス ’ス-パークルーザー’(スーパーハイデッカー)発売
・・四角く角ばったデザインを採用し13年ぶりのフルモデルチェンジとなった
・・さらに翌年にはハイデッカーを発売
・・1989年には床下運転席構造(アンダーフロアーコックピット)としたタイプも登場
1886 
京王帝都電鉄、3代目ワン・ロマ車導入
・・初代(1981年)、2代目(1984年)と異なり、側窓が逆T字窓となったほかフロントマスクが観光・高速タイプのものとなり、一般路線バスとしての使用時においては実に豪華な印象をあたえる車両であった 
1986.3
尼崎市交通局、バスのカラーリングを変更
・・クリーム色の地に虹をあしらったデザインとなる
・・このデザインはこれ以降の新車のみに採用され、既存車の塗装変更はされていない
 
昭和62年
1987 
富士重工業、観光・高速用車’アステローペ’発売 
・・シャシ-は外国から輸入し、ボディは国産のものを使用した新しい発想による車両
●シャシー・・スウェーデンのボルボ社製B10M型(エンジンは前後車軸間)
●ボディ・・・・富士重工製(HD-Ⅱ型車体をベースとしたタイプ)で後輪より後ろが2階建構造となっていた
・・JRバス関東、庄内交通などで採用された
1987.10.1 
上毛電気鉄道、ボンネットバス(日野BH15) 復活運行(~1993) 
 
昭和63年
1988.3.22 
名古屋市交通局、3扉車 本格導入開始 
1988.7.1
阪急バス、全車冷房化 完了
1988.9 
三菱自動車工業、エアロクイーンM(スーパーハイデッカー)(-MS729S)発売
・・発売が高速バス開業ブームと重なったため多くの会社で導入された。800台ほども販売されたという
1988 
三菱自動車工業、エアロバス・クイーンバージョン 発売
・・ハイデッカーであるがフロントバンパーを上記エアロクイーンMと同じものにしたタイプである
1988 
新呉羽自動車工業、観光・高速用ボディ’エアロバスK’製造開始
・・従来製品のの’サンシャインデッカー’をモデルチェンジしたもの
1988
西日本車体・日産ディーゼル工業、両社共同にて一般路線用車’スペースランナー’を開発、発売
1988 
富士重工業、一般路線用ボディをフルモデルチェンジし17型E(7E)を製造  
1988
北村製作所、大型バス・中型バスの車体製造を終了
・・これにより小型バス車体の製造のみとなる(1995年に終了)
 
昭和64年
1989.1.8 
(昭和より平成に改元) 
 
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